聲 戀 し こえ こいし 6
お前は俺のものだな。
うん、と言えよギンコ。
言ってくれ。
たった今だけは、
それで信じるから。
でもきっと明日はその言葉が
幻のように不安になる。
何度目だろうか、化野は自分で自分を罵る気持ちを抱えている。何をのほほんと、ギンコを旅に送り出していたりしたのか。戻れなくなることだって、奇禍に会うことだって、ないとは言い切れないというのに、何故。あぁ、どうして…。
「も、っ、しつけ、ぇ…あだし…っ、ひ、ぁ…ッ」
甘い果実をでも頬張るように、大きく口を開けて奥まで飲んで、苦い汁まで愛しむように、舌を使う。念入りに。そうだ、言われた通りだよ。いったい、いつまでしゃぶっているのかと思う。さっきからずっとだ。
「…はッ、ぁ…、んんっ」
広げた脚がもがいて跳ねる。この脚も撫でられたか、腹もか、胸も? 最初はちっとも感じなかった胸の二箇所は、俺がイイようにしてやったのに、そこも弄らせたのか? どのくらい? 何度? 何度もか? それで感じたのか、俺を相手じゃなかったのに。
思い出すとたまらなくなって、少し前に散々舐めた突起へと、体ずり上がらせて、化野は吸い付いた。ちゅ、ちゅ、と音を立てて、唾液を絡めて舐め回す。
何をいきり立っているのかと、心の隅の冷静な自分が、ケダモノに成り下がった自分を諌めようとする。ギンコはちゃんと、無事に戻ってきたじゃないか。もう落ち着け。もういいだろう。折角の逢瀬なのにと、お前が気にしたくせに、台無しにする気か?
無事だと? 無事なものか、他の男に抱かれたんだ、ギンコは!
あぁ、もう、馬鹿だ。まったくもって冷静じゃない。こんなことして、嫌われたらどうする。あぁ、冷静な自分とケダモノな自分の他に、臆病な自分までが現れて、たった二つの目を使って、ギンコを見た。心配そうに、愛しそうに…。
「な…ん、だよ? その顔。まえ、からなら、いいよ…どうでもさ…。お前の、好きに…」
視線を絡めたギンコがそう言って、自分でさらにシャツの前をたくし上げる。他の男のことが頭を過ぎらないように、顔の見れる方向から抱いてくれ、と、そう言ったギンコのことが、もう一度ぶり返すように愛しくなった。
「振り回されてる」
「…何が? 俺がお前を? …うん…すまんな、いつも心配かけ」
「違う。お前が愛しくて大事にしたいのに、酷くしたくもなって、困ってるんだ」
選べとでも言うか。ギンコは困り果てて視線を逸らす。
「ん、とにかく、そろそろ、入れて…く……」
消え入っていく声に、否やのあるはずもなく、化野はギンコに覆いかぶさった。口を吸いながら下も重ねて、根元まで飲ませて揺さぶった。
二度も三度も続けて犯して、落ちるように眠った。悩みは人を疲れさせる。それよりも疲れてやってきたギンコを、尚更疲れさせた自分の癖に、と、詫びる気持ちで化野は目を閉じた。一度は思い出した気掛かりが、また浮かんで沈む。
預かりもの
が 、あったっけ
あぁぁ、いかん、また忘れて…
重たい体を身の上からなんとか退かせて、それへ寄り添ったまま、ギンコはぼんやりと目を開けていた。いつの間にか、そろそろ朝がくるらしい。
まったく自分に呆れる。行き倒れるほど辛かった心と、行き倒れて負けそうだった体とを、行きずりの同業者に助けられ、礼代わりのように無理に抱かれかけた。意識のない間に、何されたかはこの際、考えないこととして。
とにかくそれでも心の奥に、ぐずぐすと蟠っていた小さな黒い感情は、こうして化野の傍にいるうちすっかり漱がれて、今では、いったい何をあんなにも、と、いっそ馬鹿馬鹿しいやら呆れるやら。
何でも気の持ちようだ。
人の体でさえそうなんだというだろう。
ほれ、病は気から、ってな。
そう言って笑ってた化野、この記憶は結構古い。こいつの傍にいつもいられりゃ、黒くも暗くもならずにいられそうな気がして、出来ないことと苦笑した。
そういや今日は木箱を、なんにもせずに置いたままだ。土産もないが、何か好きそうなものを、持っていやしなかっただろうか。こりゃ珍しい、と目を見開いて喜ぶ顔が見たいしな。
化野を起こさないように布団から出て、ギンコは膝で木箱に近寄った。上の方からひとつひとつ抽斗を開けて、何もねぇなぁ、と顰め面。最後の左下に指を掛けて、隙間開けた途端に彼は気付いた。心臓が跳ねる。
ここに入れてたあの瓶、どうした…?
蟲の消えた瓶だ。蟲を死なせてしまったと、何度も悔やんで眺めた、あの瓶。中の蟲どころか瓶ごと消えてる。どこへやった、どこかへ置いてきたのか? いいや、違う…。なら、あの男が? 勝手に盗って…。
「あー、そのな」
いきなり声を掛けられて、気配に気付いていなかったギンコの背中がびくりと跳ねた。
「なっ、なんだ、化野」
「あー…悪い。言伝があったんだが、忘れてた。預かってるものもあるんだけどな、これ」
「………」
ぽん、と無造作に渡されたそれは、手に馴染んだ角瓶の形。手触りは違う。油紙に包まれているからだ。
「雨月って、あの男に、お前に渡しといてくれって、言われてたんだが、昨夜はすっかり忘れてて。いや、すまん。なんでもその中身は…」
首の後ろを掻いて詫びる化野の、着物の前が乱れて酷い有様だ。寝床にいる間に思い出して、飛び起きてきたのだろうと思う。
「わかった。…着物なおせよ、化野、凄いぞ」
そう言って傍から追い払って、ギンコは丁寧にそれを包んだ油紙をほどき始めた。まわりをしっかりと括り、固く結ばれた紙糸がほどけにくくてもどかしい。急いで、けれども気を遣って、やっと広げた油紙の中から、それでも瓶の姿が見えない。さらにその瓶が、茶色く枯れた葉に包まれていたからだ。
「これ…って」
葉は篠懸の木の大きな葉だ。そう、ギンコが蟲を払った立派な樹。あの里の人々に御神木のごとく大事にされ、その妄信ゆえか、咲いていた花を枯らしたギンコは散々責められた。枯らした、に見えて、つまりは彼が払ったのは、花の姿の蟲だったものを。
篠懸の木についていた蟲たちは、ギンコによって木から払われ、弱って死んで…。その筈が、この瓶を包んだ葉は? わざわざ守るように包み込んであるのが、ただのカラの瓶である筈がない。
まさか…い、生きて…。
ギンコの震える指が、徐々に葉を開いた。そして、やっとあらわれた透明の瓶の中を…。あぁ、ちらちらと、白い花弁の花に似て、揺れているのは、確かにあの蟲。
「化野」
「ん、居たのか、蟲がっ。でもどうせ俺には見えんのだろうが」
「いや、見えるさ。来いよ…」
嬉しそうに駆け寄る化野の顔よりも、彼に見せないように項垂れているギンコの顔の方が、本当は嬉しそうだった。一度は消えたと思った命は、ふわりふわりと揺れながら、白く光って美しい。すぐ横で喜んでいる化野の顔が見れたのも、そうするとあいつのお陰ということか。
あー、参った。あいつ、もっと恩人になっちまった…。
葉をもう一度巻きなおそうとすると、その内側に巻き込まれた小さな紙片が見えた。中にびっしり書かれた文字は、この蟲をこの後どうすればいいのか、詳しく丁寧に記してある。そうして最後に一つ。
蟲払いの代金は抽斗の底、と。
どうしたことだか、詳しくは知りようもないが、ギンコが出来なかった様々なことを、後から来た彼が綺麗におさめ、蟲をもギンコをも、救ったということだけは確かだった。雨月は彼のことを「ひよっこ」と言ったが、経験の差は確かにあるらしい。悔しがる気も起きなかった。
続
ちょっと謎を残して「続」ですねー。出てきた木はスズカケの木だったようです。知ってる? プラタナス。おっきな葉の。外来樹だ? まぁ、気にすんな。次回で終わりそうですが、来年ということになりそうですよ。今年ももうあと数日で終わりになります…が! 蟲師小説は年内に、少なくともあと一つは絶対に書こうと思ってますよっ。
走る続ける惑い星。そうさ、来年も走るぞ!
11/12/25
