聲 戀 し    こえ こいし   5





 ギンコはまだだろうか。雨月と名乗った、あの男の言うことにはきっと嘘はないだろう。ギンコはまだだろうか。蟲を預かっているというのに。倒れたあとだというのに、いつまでどこを歩いているのか。ギンコはまだだろうか。

 早く来い。俺んとこへ、早く来い。

 化野は瓶を奥の間の棚に置くと、縁側に出て遠くを眺めた。瓶、と言っても油紙に包まれたまま、中身がどんなかも見ていない。まぁ、開いてみたとしてもきっとカラの瓶にしか見えないのだろうが。
 とにもかくにも、化野はギンコを待っていた。昼を過ぎ、夕になってもそこで待っていた。誰かが登ってくると見るや、そわそわと腰を上げて、それが治療を求める里人だと知るとがっかりしたし、頼んでいた大きな魚が二匹届くと、ますます逸る気持ちで待っていた。

 そうして夕も過ぎて夜になって、月が随分と動いた後に、ギンコはようやくやってきたのだ。

「ギンコ…っ!」

 履き損ないながら下駄をつっかけ、垣根を跨ぎ越して化野が駆け寄ると、ギンコはまるで焦ったように歩を止めた。変に強張ったその顔の理由を、化野はもう知っていたが、そんなもの自分が笑い飛ばせばいいものと思っていた。

「どうした、ギンコ。体はもう大丈夫なのか? お前はいつも無茶をするから、そういう…」
「…あ、化野…?」

 何故、知っているのか、と、ギンコは明らかに問う顔になった。体は平気なのかと、手のひらを額に当てて熱を診てやり、化野はこだわりなく雨月の名を言った。

「雨月っていう、蟲師の人が朝ここへ寄って行ったよ。行き倒れてたお前を、三日も掛けて看病してくれたそうじゃないか。お前が無事で本当によかっ…。ギンコ?」
「あ、あいつ…が?」

 聞くなりギンコは真っ青になった。その顔を見て化野は思わず言葉を止めている。何があったか聞いている、と。でもそんなこと気にしなくていい、と。続ける筈の言葉を、言わずに喉奥へと飲み込んだのだ。

「…よく来たな、ギンコ。まぁ、ともかく上がれ。実は虹の夢を見てな? いいことが起こる前兆のように思えて、それで獲れたばかりの魚を二匹貰ってあるんだ。何よりいいことと言ったら、お前のくることに決まっているしな」
 
 夢も案外当たるもんだなぁ、と、朗らかな顔をして化野が笑うと、ギンコもまだぎこちないままで、それでも少し笑った。

「夢占、か? 虹を見るのは旅に出たい気持ちのあらわれで、旅の空で見るのは里へ戻りたいということなんだとも聞くけどな」
「ほぉ、そうか。それは知らなかった」

 言いながらふと見ると、ギンコは木箱を下ろしただけのなりで、上着も脱がずに座っている。

「なんで脱がないんだ?」
「…あ、いや…、そうだな」

 いぶかしむとギンコはすぐ膝立ちになり、上着を脱いで木箱の上へとのせていた。視線が中々合わない。どころかギンコは殆ど項垂れていて、どんな表情でいるのかも分からないくらいだ。気の短いことに、化野はあっという間に焦れた。
 たまにしか会えないのに。また二、三日したらお前は行ってしまうのに、どうしてこんなにぎくしゃくしていなくちゃならないんだ。

「なぁ、ギンコ」「少し…」

 互いの言葉が重なって、化野がギンコへと譲ると、ギンコはやっぱり顔も上げないままで言った。

「やっぱり、まだ少し…調子が良くなくてな。寝さしてもらっていいか? 魚は明日食うから」
「…そうか、ならそうしろ。布団を敷いてやるよ」
「すまん」

 

 部屋の隅の行灯に火を入れて、それから化野は布団を敷いた。ギンコのために一つ、それから自分のために一つ。並べて敷いて、二つをぴったりとくっつけるのは、そういう関係になってからはいつものことで、それを見たギンコが動揺するのが、どうしてなのかさっぱりわからなかった。

「あ、化野…」
「え? どうした?」

 くっついて並んだ布団と、枕元に寄せられた灯り。

「いや、疲れているから、今夜は…その…」
「別にしなくったっていつも布団はこうだろう? 寝入るまでのほんの少しの間でいいから、お前の話を聞いたりとか。今日はそれも駄目だっていうのか? 俺のせめてもの楽しみなんだぞ」
「あぁ…」

 そうだったな、とか、わかった、とか、そんなことを口の中で言って、ギンコはやっと横になった。自分の方へ背中を向けているのを、どうしても不満に思いながら、化野はいつものように話し掛ける。

「なぁ、ギンコ、虹の夢のことだが」
「…っ…。あ、うん…」

 びく、とギンコの体が震えたのがわかった。そのまま彼が震えたままでいるのも、続く会話での声で知れる。ふ、と、化野の理由に気付く。だから語っていた他愛の無い話を、酷く半端なところで切って、ぼそりと言った。

「馬鹿だなぁ、お前は」
「…何、なんで…?」

 なんだと?、と切り返さないのだって、らしくない。いつも通りのお前でいて欲しいのに、いつも通りの俺とお前でいたいのに、雨月の存在がそれへ水を差すのだ。

「嫌だろうが、するぞ、ギンコ」
「……化野…っ、今日はッ」
「今日はなんだ、疲れてるってか? 病み上がりだからってか? 俺そっくりのあいつの声を聞きながら、俺が相手と錯覚して、なにやらされたそうじゃないか? なのに今度は俺の声を聞いて、あいつを思い出して嫌だっていうのか?」
「…違う、…やめ…っ!」

 布団を剥いで、化野はギンコを後ろから抱いた。それはギンコが雨月にされたのと同じ抱き方だ。金縛りにでもあったように全身を強張らせ、次の瞬間にギンコは必死で足掻いた。けれど、もがく大腿の片方を膝で挟まれ、腰と胸に腕を絡められて、ギンコの抵抗はあまり意味を為さない。
 寝巻きの着物の帯を緩められ、合わせ目からそこへ手が届くのは、あっと言う間だった。捕えられ緩くさすられて、仰け反っている間に、敏感過ぎるその括れを、化野は指の先で丁寧になぞってくる。

「…ぁ、あ…っ、ひ…ッ」

 抵抗が緩んで、無意識にギンコの脚が開きかかる。耳元で、ギンコ、と名前を呼べば、もっと体の力が抜けた。分かっていて許せたつもりだったのに、今更のように化野は苛立って、愛撫の手に容赦がなくなった。

 まさか、こんなふうにあいつにも? 
 自分から力抜いて脚を開いて、
 そんな色っぽい声出して泣いたのか。
 いくら声が同じだって、
 抱かれりゃ分かりそうなもんだろう。
 
 あぁ、違う。酷い熱で意識が薄れてたって聞いたのに、それでも俺は責めたい気持ちになるのか? こんなに心が狭いなんて自分でも思わなかった。ギンコ、お前は知ってたのか? 悋気起こして酷くされると、分かってて嫌だったのか?

 お前は俺よりずっと、俺のこと判ってるんだなぁ…。

 イくまで放さず、小さく腰を震わせながら、ギンコが最後の一滴まで吐精してしまうと、化野は彼の首筋に顔を埋めて呟いた。

「俺は、俺の小ささに怒ってるんだ」

 するとギンコは少し手を動かして、自分のそこに触れている化野の、手首のあたりをそろりと撫でた。

「俺も別に、嫌なわけじゃ…ねぇよ…」

 お前に最初に抱かれた時から、一度も嫌だと思ったことは無い。あんまりよすぎて気を失ったって、激しくされて次の日体が軋んでたって、知らぬ間につけられた跡で、恥ずかしい思いをさせられたって。

「あの…な…。  から… て… くれねぇか」

 暫し黙り込んだそののちに、ギンコはぼそりと何かを言った。聞き取れなくて、もう一回と、化野が急かすと、覗き込んだ額をはたかれた。薄暗い灯りではよく見えないが、顔を赤くしているのがどうしてか分かった。

「ま、前…から…」
「…あー、つまり、顔見てしたい、って?」

 分かったからって、すぐさま口に出すもんじゃないらしい。もう一回、今度はもっと強く額をはたかれる。きっと赤く跡がついてしまっただろう。嬉々として向かい合い、化野は抱き締めながらちらりと思った。

 あ、雨月からの預かりもの
 ギンコに言うの、忘れてた…











絶望に突き落とされていたことなんか、すっかり忘れているらしいギンコが、可愛いっちゃ可愛いですよねぇ。雨月とあって、あーんなことをされてたと気付いた時点で、すぽーんと抜けたままなんだろうか。おい、おまえ…と思いつつ。

ラストまでの流れがやっと決まったので、多分あと、二話か三話だと思います。どっちにしても年越しだわね。年内に蟲師は多分、あと三本くらいかけるかと思いますわ。頑張りますよー。


11/12/18