聲 戀 し    こえ こいし   4







 虹の夢を見た。あれはきっと、いいことが起こるしるしだ。せっかくそう思っていた気持ちが陰っていくのを、化野は感じていた。そんな感情を隠さぬまま、愛想なく彼は言う。

「いや…すまんが、奥は少々散らかっていてね。ここで出来る話なら、ここで聞こう」
「そうかい。別に構わねぇけど、それならおもてと変わらんこの場所で、できる話だけにしとこうか。随分限られちまうが」
「で…ギンコはなんで、あんたと一緒じゃないんだ」
 
 揶揄するような言い方を、遮る気持ちで化野は言った。ギンコの持ち物とそっくりな木箱を背負い、蟲煙草の匂いをさせたこの男がこなければ、ギンコが今ここに立っていたのではないかと思えてくる。そもそも譲り受けた品というのはなんだ。どうしてギンコが自分で持ってこない?

 この男と会ったあと、もしやギンコは道を違えたのだろうか。ここへ来るはずだったのを、来られなくなるような何かが起こって、もしや、何かよくないことが、ギンコの身に…。

 微かに強張った化野の顔を、まじまじと見ていた男が、いきなり小さく吹き出して、そのまま縁側にどかりと腰を下ろした。

「いや、想像通りどころか、それ以上のべた惚れだな、あんた」
「な、何…」
「まぁ、俺のこの声一つで、あんたのこと思い出して幾夜も体あずけたあいつだからな。そんくらいでなきゃぁ、気の毒通りこして、いっそ哀れってもんだ」

 一瞬、言われた意味が分からなかった。分からないままで、先に気付いた。この男の声をどこで聞いたか、だ。もう分かる。自分の声に、似ている。いや、似ているなんてもんじゃない。口調が違うから、今まで気付かなかったが。

 まるでこれは、俺の声じゃないか。
 それで、この声でギンコが…なんだって?

 体…を? 

「やっぱり上がらしてもらうかな、その方がいいだろうよ。俺の話はさておき、聞いて取り乱すあんたの姿は、里人に見られない方がいいんじゃないのかい?」

 男はそう言いながら、否やも言わせず履物を脱いだ。まるで自分の家にでも上がるように、無遠慮に上がりこんでいくと、どこも散らかった様子の無い室内を見渡してにやりと笑う。囲炉裏の傍の、いい場所に座って、男は言った。

「俺は雨月ってんだ。さぁ、早速あんたの知りたいことを教えてやるよ。ギンコは山ん中でぶっ倒れたんだ。酷ぇ熱出して、意識も切れ切れになりながら、俺のこの声聞いて、あんたなんだと錯覚したよ。そんだけ会いたかったんだろうぜ」

 それでな、と男は顔を化野の方へと向け、反応を確かめるようにしながらゆっくりと続きを言ったのだ。

「雨で全身びしょ濡れだったし、氷みてぇに体が冷えてたんで、脱がして身を絡めて、人肌であっためてやったってぇわけだ」

 それなら、ギンコの命の恩人…ということになる。なのに化野は、素直にこの男に感謝出来そうも無かった。ほんのちょっとも和んだ様子の無い化野を、ちちりと見やって雨月はにやにやと笑っている。

「中々聡いねぇ、あんた。俺がそれ以外に何かしたんじゃないかと思ってるんだろ? 当たりだ。もののついでに、いろいろやりたいように弄ったがね。別に大したこっちゃねぇよなぁ、男同士で何したって、孕むでなし、な」
「ギ…ギンコは…それを、許したのか…?」

 眩暈のしそうな不安の中で、やっとそう聞いた言葉は、弾けるように笑い飛ばされる。

「おいおいっ、何聞いてんだ、あんた。熱に浮かされたうえ、この声で俺をあんたと思い込んでたんだぜ? 愛しい恋人に抱かれてると思ってりゃあ、抵抗なんかするわきゃねぇさ。ま、滅多にない楽しい数夜だったよ、ごちそうさん」
「な…なん、て、ことを」

 頭に血が上るのがわかった。それと同時に理性も頭をもたげる。だが、暴れてなんになる、だなんて、そんな平静さは足の下で踏み躙った。恩人、知るものか…! こいつは、ギンコを…! 俺のギンコを…!

「あ、そうだ、あいつ、言ってたぜ? 『助かった。こんなとこで死にたくないって、思ったんだ』ってな。死んだらあんたに会えないって、そう思ってたんだろうなぁ」
「…ギンコ、が……」

 ガクリと項垂れて、化野はその一瞬でこぶしから力を抜いた。畳の間までやっと上がって、部屋の隅で崩おれる。両腕で顔を覆っていたら、雨月がぽつぽつと、言い訳みたいに何かを打ち明けていた。

「…あぁ、やりすぎだったか? 悪かったよ。ただの愚かな嫉妬ってぇやつだ。あんな別嬪モノにして…。あいつはあんたにはいつだって、色っぽい顔とか見せてんだって思ったら、意地悪の一つもしてやりてぇ、と、つい…な」

「べっ…ぴん…」

 顔を上げて、妙な物言いをいぶかしんだ化野を、正面から見据えた雨月が、揃いのような腑に落ちぬ顔。

「なんだよ、美人だと思ってねぇのか? 勿体ねぇ」

 言いながら、ついさっき座ったばかりだというのに、雨月は落ち着き無く膝立ちになり、横に置いた木箱の蓋を開けた。
 
「ま、いいや、ほんとは大したことしてやしねぇんだ。意識飛んじまうような容態のやつを、ガツガツ食っちまうほど無体じやねぇよ。何したかって中身は、気になるんならあいつに聞きな、近いうち寄るだろうぜ」
「ほ、ほんとか?」
「そうじゃなきゃ困る、あいつに渡して貰いたいものを持ってきてんだ」

 取り出されたのは四角っぽい、油紙に包まれた何かだった。形に見覚えがある気がしたが、なんだっただろう。雨月は化野の方へ滑らせるようにして、畳の上にそれを置いて言った。

「蟲だよ。硝子瓶に入ってて、それをある方法で包んである」
「硝子瓶…」

 言われてやっと気付いた。四角いこの形は、ギンコが蟲やら薬の類やらを入れて、いつも幾つか持ち歩いている硝子の容器の形だったのだ。

「それが…ギンコから譲り受けたという…?」
「まぁ、荷の中から勝手に盗った、ともいうな。そう目ぇ吊り上げてくれんなって。あんたは医家なんだろう? だったら分かると思うがな。俺がこれを黙って持ってきた理由がさ」

 雨月は今一度それを手にして、耳の傍で軽く傾けた。音を聞くように目を閉じて、ほんの微かに口元で笑う。雨月は瓶の中身のことを、それ以上何も言わなかったが、なんとなく、化野には分かるような気がした。

「雨月、って言ったか、あんた」

 唐突に名を呼ばれて、雨月は眉を上げる。

「今更だが、礼を言いたい。雨月、あんたはギンコと、それから、ギンコの持ってた大事なもんを守ってくれたんだろう? 俺も、俺の手の届かないとこで、あいつがどうかなったりするのは真っ平だよ。…ありがとう」

 雨月はばつが悪そうに項垂れて、後ろ首を掻く仕草をしながらひとりごちた。

 やれやれ、根が素直なヤツにゃあ
 敵う気がしねぇよ、まったく…。

 熱い茶を一杯、それだけを終わりに所望して、雨月は木箱を背中に負った。よければまた寄ってくれ、と化野が言うと、また凹まされたような顔で、雨月は首を掻いて、背中を向けながら片手を振るのだった。













 蟲師の好きモノ親父が退出しましたぁーww いや、この人はこの人で、癖がありますがいい人でございますよ? ギンコと生い立ちが少し似てて、強かに生きてきた蟲師の大先輩ですかね、きっと。

 ギンコが来ます、とかいって、次回になってしまったよ。ごめんなさいっっ。ではまた、その次回でーっ。


11/12/08