半月身 ハン ゲツ シン 4
「ねぇさん」
「なぁに、月太」
「傍に、居てくれるよね…?」
「勿論よ、だって、あたしたちは元々ひとつじゃない」
囁き合いながら、月太も、月子も衣服を脱いだ。月太はぼろぼろの擦り切れた着物を。月子は貰ったばかりの赤い着物を。脱ぎ散らかすようにそこらに放って、敷かれた布団の片方に潜り込む。
重ねて抱き締めた月太の体は、酷く冷たかった。鼓動が弱い、息遣いも…。
「月太…」
「なぁに、ねぇさん」
「ご飯、美味しかった…?」
「うん、美味しかったよ、とっても」
だから、またねぇさんに、分けてあげられる。ねぇさんがご飯を食べられない代わりに、僕が食べて「僕」の半分を、ねぇさんにあげる。
布団の中で、月子は小さくかぶりを振った。そうして痩せた腕で月太を抱いて、光るような、不思議な目で、月太を見つめた。
「そんなにくれなくていいのよ。あたし、月太から貰い過ぎてるから、少し返すわ。…出来るか分からないけど、やってみる。じっとしててね」
「…ねぇさん…?」
布団の中で、月子の目だけではなく、その体が淡く光り始めた。彼女はまるで、空にかかる月の光のようだった。その光がゆっくりと広がって、月太の体まで包んでいた。光の色は綺麗だったけれど、きつく目を閉じた月子の顔が、苦しそうだ。
「ん…っ、ん…」
「ねぇ、さ…、ぁ…」
月太が心配して、身をもがいたけれど、さらに強く抱き締められて、何も言えなくなる。
「…あぁ…」
悲しげに、苦しげに、月子が喘ぐ。痩せっぽちな月太の胸に、額をのせて彼女は言った。
「駄目、出来ない…。返せない…」
「ねぇさん、いいんだよ。僕、大丈夫だよ」
月太はそう言って、月子の髪をそうっと撫でた。何だか体に力がうまく入らなくて、それだけの動作で疲れるような気がする。そんな自分を心配して、月子が無理をしようとしているのだと分かった。
月子に「自分」を渡し過ぎるとどうなるのか、月太も心の何処かで気付いて、怖かったけれど、やめると月子が居なくなる気がする。だから怖いのに、そうすることが嬉しい。傍にいて欲しいから、嬉しい。
「大丈夫だよ、ねぇさん、大丈夫…」
だから傍にいて。かぁさんみたいに居なくならないで。僕を置いていかないで。
やがては眠ってしまった月太から、月子は体を離して起き上がった。触れていると、返したいものを更に削り取ってしまいそうだから、怖くて、辛くて、そんな自分が恐ろしい。でもそれは彼女が元々そういう存在だから、どうしようもない。
「つ、月子…?」
唐突に、閉じた襖の向こうから声がした。月子は慌てて着物を纏って、月太にちゃんと布団を掛けてやりながら返事をした。
「なに?」
「あ、あぁ…起きてたか? すまんな。昼間、着物をくれた人がな、お前に会いたいって言うんだよ。もっとあげたい着物があるから、見にお出でって、言ってくれてるんだ」
聞いた途端に、つきり、と胸が痛んだ。月子は顔を上げて、まだ閉じている襖を見つめた。あの、着物をくれた人。悪いことをしたのに許してくれて、笑い掛けてくれた人。あの人が、あたしに…?
「…で、でも月太、眠ってるから」
「月太のは、俺が別の家から着物を一枚貰ってあるよ。昼間のあの人は、月子に貰って欲しいんだって、いらないか?」
「い、い…行くわ」
月子は月太の寝顔をもう一度眺めてから立ち上がった。閉じていた襖を開くと、化野の後ろに、女が待っていて、月子の顔を見ると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ごめんねぇ、休んでたところへさ。あんたに似合いそうな着物がもっとあったのを、思い出しちまってねぇ。着て欲しいんだよ。あぁ、その赤いのも凄く似合うよ」
女は月子の手を取って、本当に嬉しそうに、自分の家まで連れて行った。死んだわが子の身代りかもしれなかったが、その笑顔には偽りはなかった。化野は二人の後ろからついて行きながら、表情が沈むのを止められなかったのだが、月子が気付く様子はない。
月子は少し困ったように、けれど嬉しげにしていて、手を握ってくれる女の顔を見上げていた。
女の家に上がると、奥の部屋には何枚もの着物が広げてあった。勿論、高価な品などではなかったが、娘らしい可愛い柄の着物や、綺麗な花模様の布で縫った小物とか、髪飾りなどもある。月子が頬を染めて駆け寄ると、女は、うんうん、と頷いて、どれでも好きなのを貰ってっていいんだよ、とそう言った。
そうして女は月子にそれらを見せて置いて、化野の袖をさり気なく引っ張り、土間の方へと連れて行く。
「あの、ねぇ、聞きたいんだけど、あの子らは身寄りのない子、とかなのかい?」
見れば女の夫も隅の方に居て、気掛かりそうに化野の返事を待っていた。
「いや…それが、まだ俺にもよく…」
「親とはぐれたのかい? そしたら親御さんは今に探しに来るの? それとも、もしかして…もう?」
もしかしてもう、行方が知れた?
それとも、
もしかしてもう、迎えに来ない?
もしかしてもう…あの子はどこにも行く当てがないのなら、この里で、いいや、この家で、あたしらのところに。
女はまだそこまで言っていないけれど、続く言葉ははっきり聞こえるようだった。夫も深く頷きながら、彼女の願いを叶えて欲しがっている。何年も前、急な病で娘を失くした夫婦の、ぽっかり空いた心の穴が、そこへ埋めるものを欲しがって急いていた。
「ごめんねぇ、先生。そんな今日の今日で、こんなこと。だけどさ、あたしらはあの子がもしも自分の娘だったら、なんて夢みたいなこと…つい思ってさ…。どっかに居なくなっちまう前に、どうだろうって、一言聞きたくって。あ…」
「おば…さん…」
月子は花模様の着物を肩にかけて、髪にかんざしを添えたなりで、土間のすぐ傍に立っていた。立ち聞きするつもりなんかなかったろうに、聞いてしまったのだ。
「…月子ちゃん。ごめんね、びっくりしたろ。ゆっくり考えてくれていいんだよ。でもねぇ、おばさんたち、月子ちゃんが可愛くてさ、ほんとにうちの娘になって欲しいんだよ」
嫌かい? と聞いてくる優しい声。見つめてくれる温かな眼差し。腕に触れた手も温かくて、こんな手に抱き締めて貰えたら、どんなに幸せだろうと思ってしまう。
生まれた瞬間から抱いていた「おかあさん」を求める心。月太から流れ込んできて、いつでも心の真ん中にある凍えた魂が、ずっと一番に欲しがっているもの。
「けど、あたし…っ」
自分は「ヒト」じゃない。月太の心が望んだから、こうして「ヒト」の姿をしているだけの、別の命。蟲という、大抵の人間には嫌がられる存在。だが、月太の命を丸ごと貰いさえすれば、すぐにだって本当の「ヒト」になれる存在でもある。
「あたし、あたしは…月太と…っ」
月子が泣き崩れるのを見て、うっかり言うのを忘れていたとでもいうように、女は言った。
「あぁ、違うよ、月子ちゃんだけ貰って、月太ちゃんのことはいらないなんて、酷いこと言うわけないだろ? 二人でうちの子になればいんだよ」
彼女は月子の頭を撫でて、撫でて、泣き出しているその顔を覗き込んで言った。
「月太ちゃん、さっきは随分無口だったけどさ、私のことおかあさん、て思ってくれるよう、おばさんは、ほんとに頑張るつもりだよ」
「俺だって頑張るぞ、男の子供なんて初めてだが、釣りとか色々教えたいぞ」
夫婦に揃ってそう言われて、もう月子は何も言えず、もっとずっと小さい子供のように泣きじゃくっていた。そうしてかぶりを振り続ける月子を、化野は一人で、ぼんやり眺めていた。
声を出さずに、化野は呟いている。
どうしてだ? ギンコ。何もかも、丸く収まりそうなのに、それでも、どうしても無理なのか? 月太か月子、どちらか一方は駄目だなんて、俺だって、言いたくないよ。言えやしないよ。
気付いたら、空が妙に明るかった。雲の切れ間から、真円の満月が、地上を照らしているからだった。
続
あぁ、本当にねぇ、どうしても駄目なんですか、ギンコさん。って、ギンコがどうにか出来るなら、勿論いいようにしてくれるに決まってるんですが、ギンコは万能ではないのですね。そして、顔を覗かせた月は、何をもたらすのでしょう。
まぁ、その…次回までには考えておきますっ。
13/03/03