半月身 ハン ゲツ シン 3
「……ちょ…ちょっと、待ってくれ。り、理解が追い付いていないんだ。だって、あの子らはふたりじゃないか。月太も月子も、どっちも普通にヒトだったぞ」
月太は空腹に堪えかねて、化野の家で飯を食べていた。月子は娘らしい気持ちから、紅い着物を欲しがった。自分に大声を出されて、怯えた月太の顔を覚えている。着物をあげると言われて、自分から詫びた月子の顔を…。
それが、どちらかヒトじゃないというのか? もしくは、ヒトじゃなくなると?
「月太は母親に、女の子だったらと言われ続けて、女に生まれ直したいと思ったんだ。そうすりゃ母親を困らせずに済むし、捨てられたりしないで、連れて行ってもらえると。運の悪いことに、と言っていいのか、丁度そこに、カサネカガミが居たんだ」
「重ね…鏡?」
聞き返した化野の顔から視線を外して、ギンコは空を見上げた。厚い雲が立ち込めていて、今日は月は出そうにない。
「そういう名前の蟲だよ」
カサネカガミは、揺らぎの無い水の表面に薄っすらと浮かんで、そこに映ったものの心を覗き込むという。そして、姿を映したものの願いを、叶えると言われる。
例えば、死んだ子供を取り戻したいと思えば叶う。別れた女房に、また会いたいと思ったとしても叶う。蟲がその姿を真似て、願い通りのヒトの形になるからだ。だが、願いが叶った代わりに、その人間は命を取られる。つまりは消えるのだ。
「文献でも幾つか読んだし、実際に見たこともあるよ。元は蟲だったのに、すっかりヒトになって、普通にヒトとして暮らしてる『人間』をな」
「つ、つまり、月太は母親の願いを叶えようとして、女の子になりたいと思っていて、その願いを聞いた蟲が、月太そっくりの女の子になって表れた、と…そういうことなのか…?」
「あぁ、そうだ。ちゃんと理解してるじゃねぇか」
でも、それは、月太が女の子になるんじゃない。月太そっくりの女の子の姿をした蟲が本当の人間の女の子になって、その代わりに月太が死ぬのだ。それに、月太の母親は、もう、あの子を捨てて行ってしまった。
「…月太も月子も、今はどっちも半分『ヒト』で、半分『蟲』って感じなんじゃねぇかと思う。それでも、最初に『ヒト』だったのは月太だから、月太に聞くしかねぇかな」
「な、何を聞くって言うんだ…?」
いつの間にか、化野の顔は真っ青だった。ギンコが何を聞こうとしているのか、それを知るのが怖かった。あんな…まだ親を必要としてるような子供に、ギンコは…。
と、その時、母屋の方からひょっこりと、里の女が顔を見せた。昼間、月子に赤い着物をくれた女だった。
「おや、ギンコさん来てたんだね。話してるとこ、ごめんよ。ちょっといいかい? 昼間のあの子、まだせんせのとこ居るの?」
「い、いるが、どうしたんだ、わざわざ」
どことなく重たいような雰囲気を感じたのか、女は少し気兼ねしながらも要件を言う。
「あぁ、まだいるんならよかった。何ね、うちのだんなが戻ったんで昼間の話をしたら、着物、あの一枚だけじゃなくて、他に残しといてるのも、貰ってもらえって言うんだよね。ほら、宝の持ち腐れだろ、もう着る娘はいないんだしさ」
「そ、それは…喜ぶよ、多分…」
「だろ! なんだか昼間のあん時も、嬉しそうにしてたみたいだからさ。欲しいんだったらって思ったんだよ。それじゃ明日の朝でもいいけど、うちに連れておいでよね」
頷いていいのかどうか、化野は迷った。月子は消えてなくなるかもしれない子供なのだ。なのにギンコは化野の腕をつついて、僅かに顔を寄せ、すぐ、連れてけ、などと言う。
「月子だけ起こして連れて行って、月太は部屋に残しとけ。丁度いいから、さっきの話をする」
「ギン…っ」
「いいから、連れて行け。今夜のうちに決めさせねぇと、選ぶ余地も無く月太の方が消えるぞ」
有無を言わせぬような声だった。化野はギンコの顔を見たが、何か、怖いものでも見たようにすぐに視線を逸らした。わかった、と言った小さな声が、辛うじてギンコの耳に届いた。
「月太」
あかりも灯さぬ暗い部屋で、ギンコは子供を揺り起こした。月子は化野に連れられて、さっきの里の女の家に行ってしまったから今は居ない。
目を覚まし、すぐにあたりを見回して、月太は月子の居ないのをいぶかしんだ。首を傾げてギンコを見るが、どこかぼんやりとしていて、まだ半分、夢うつつのようにも見える。白いギンコの髪を見ても、緑の色した目を見ても、驚いた様子すら見せていない。
「あぁ、もうちょっと月子から離れないと駄目かもな。じゃあ、こっちにおいで。立てるか? おい」
優しいのか素っ気ないのか、どちらとも言えない態度で、それでもギンコは月太の体を、そっと支えるようにして立たせた。どこかふわふわと、水の中でも歩くような仕草で、月太はギンコに付いてくる。握って引いた小さな手が、酷く冷たい。
「万が一、月が出てきたら今夜だって危ねぇからな、裏庭の方へ出よう。悪いな、まだ眠いだろ?」
ギンコは裏庭の真ん中に木箱を置いて、月太をそこに腰掛けさせた。そうして自分は地面に片膝を付き、少し言葉を迷い、それから言った。
「お前はまだガキだからな、加減して言ってやりてぇけど、遠回しに言ってもあんまし意味はねぇんだ。だから、ちぃと酷だが、はっきり聞くぜ?」
「なに、を…?」
「これからどうしてぇかってことをさ。…お前、一人になっても生きていてぇか? それともひとりになるくらいだったら、月子に自分の命をくれてやれるかい?」
無造作に放った問い掛けを、もしも化野が聞いていたら、きっとギンコを咎めただろうと思う。こんな子供に、なんてことを聞くんだ、と。それでも、決めるのは月太だ。赤の他人が勝手に決めて、従わせていいことじゃない。
これは猶予の無い、命の話だ。
「ねぇさん、は?」
「月子は今はここにいねぇよ、それに、あの子はお前のねぇさんじゃないだろ? ヒトですらなかったモノだ。お前が『欲しい』と願って、ヒトの形になったモノだよ。覚えてないなら、思い出せ」
月太はまだぼんやりしている。時間を掛けていては月子が戻ってきてしまうだろう。ギンコは一瞬目を閉じて、その一瞬で言うべきことを選んだ。
「お前が母親と住んでいた掘っ立て小屋の近くに、大きな溜め池があっただろう。お前の母親は、お前を置いていなくなった。もしも戻ってきたとしても、女の子じゃないお前は、連れて行っては貰えない。だから、お前は…その溜め池に映った自分の姿を眺めながら、女の子になりたいと」
「…違う」
月太はギンコの声を遮った。項垂れて、両のこぶしを握ったまま震わせて、消えそうな声で言った。
「違う。溜め池の底に沈んだら、いなくなれるかな、って思ったんだ。夜になると、池の底は真っ黒だったから、その中に溶けたら、もう、辛くないかなぁ…って…」
「居なくなりたかったのか…? 本当に」
問えば、月太は項垂れていたのをさらに深く項垂れるように、強く静かに頷いた。項垂れている月太には見えなかったけれど、ギンコは酷く、苦しげな顔をしていた。
もしも本当に月太が死にたかっだけなら、カサネカガミは月子になれない。だから月太は消えたかったんじゃない。母親に連れて行ってもらえるように、女の子に生まれ直したかっただけ。薄情な母親に捨てられたと分かっていても、女の子になれば、探しても許されると思いたかったのだ。
「今も、居なくなりたいか? それは死ぬってことだぞ?」
「……ねえさん、と…」
ぽつ、ぽつ、と透き通った滴が夜の中に零れ落ちた。途切れた言葉が、深い意味を物語っていた。
「…お前、自分が生きたら月子が消えるのを、ちゃんとわかっているんだな」
「だって…っ、僕、が…っ」
「そうだな、月子がああしてこの世に生まれたのは、お前の願いを叶えたからだな。それでも、お前が生きていたいんだったら、そう言っていいんだぞ、月太」
ぽつ、ぽつ、と、また涙が。
「月太は、月子のことが好きか?」
「……うん…」
「死んでも、いいくらいにか?」
月太の返事は無かった。酷な問い掛けしかなくて、ギンコの胸も軋むばかりだった。涙を零すしか出来なくなった月太に、ギンコは優しく言う。
「あぁ…お前の気持ちは、よくわかったよ…」
ギンコは月太を抱き上げて、元のように布団に寝かせてやった。縁側から空を見ると、厚い雲のところどころが風で千切れて、空がほんのわずかに覗いている。
ぴったりと障子を閉じ、雨戸も閉じて、ギンコはゆっくり、坂を下りて行った。
続
頭の悪い私には、大変な話だったかもしれません。書いてる私がよくわかってなかったら、読む人には余計わかんないというのに…! なんで私、こんな難しいものを書いてるの? い、いや、もしかしたら読んでくれる人の方が何か分かるかも?!
人の命も命、蟲の命も等しく命。それでも蟲には心が無いから、失われるとしても、多分少しは気が楽で…。ヒトと同じ心を持ってしまった蟲がいたら、その命は? それを失う時の、心に掛かる負担は?
いやぁ、重い話ですよねぇ…。むむ。ハッピーエンドを目指し…。失敗したらゴメンナサイ。
13/02/24