橙の火 3 だいだいのひ
やっと夜になりかけた頃合に、閉じた障子の内から、吐息混じりの、その声が。
「どうした? お前、今日は随分」
化野のそんな声には、喜びが滲んでいる。布団の上で仰向けにされ、喉やら肩やらに口付けされて、ギンコはゆっくり着衣を乱された。緩んだシャツの下から、内側へと手を入れられる時、まだ指先がかすめた程度なのに、喉を反らしてギンコは息を詰める。そんな仕草が何だか意外で、だから化野はそう言ったのだ。
「そんなに、欲しいと思ってくれてたのか。そうだったら」
嬉しいが。
言わずに止めた言葉の先に、ギンコは慌てて首を振る。
「…あ」
今度は化野の着物の袖が彼の脚に、さらりと触れただけ。なのに、ギンコは何かに焦ったように見えた。目を閉じているから、次にされることが何も分からなくて、些細なことに反応する。
「なんか、最初の夜のお前みたいだぞ。長く来ない間に色々忘れたか? そんな怖がるみたいな顔をせんでも」
「んなこと、ねぇ…よ」
「こっち見ろよ」
ぎくりと肌が震えるのを隠せなかった。言われても、見られない。ギンコは今、目が見えないのだ。その事実に、今にも気付かれてしまいそうで怖い。気付かないでくれ、どうか。
知ったらお前は心配する。心を痛め、自分も何か出来ないかと奔走し、何も出来ないと知れば、益々心を痛めるだろう。そんなお前を見たくない。何も心配事などない時の、俺とお前でいたいんだ。
なら、どうして来たんだ? 来なきゃよかった。暮れぬうちから、寝ちまおうとするなんて。いつもと違うと思われそうなことを、何故言った。床に入れば気付かれない。大丈夫だなんて。根拠も何もありゃしないじゃないか。
会いに来たことへの後悔が、胸で回って彼を苛む。そんなギンコの唇吸って、化野はつれなく見えるギンコを甘やかす。
「ギンコ、お前、もしかして拗ねてんのか? からかったわけじゃないぞ。別に抱かれ方なんて忘れてもいいさ。俺は嬉しいんだ。来なかった理由は知らんが、ずっと会えない長い間、お前も俺を焦がれてたんだな。触れた肌で分かるし。息遣いでだって分かるぞ」
分かる分かると繰り返すお前は、俺の思いを分かっていない。分からないでいいんだ。それでいい。知らないままでいてくれ、また来るふりでいさせてくれ。
どうして来たのかなんて簡単だ。会わないでいるのが、怖くなったから。もしも、もっと悪くなったら。昼の間も見えない、なんてことになったら。二度と会えなくなると、はっきり気付いてしまった。
考えてみるがいい。その身に蟲を寄せる体質で、自分で蟲が見えないなんて、そんな危険な人間を、この里に寄せ付けられると思うのか? お前を危険に曝す誰かを、俺なら絶対近寄らせない。だからそれが俺ならば、俺はお前に…会えなくなるんだ。そんな俺を、俺自身が一番許さない。
「化野…」
「すまん、しつこかったか?」
「違う」
髪を撫でていた手を嫌がったかと、化野は妙な誤解をした。構わずに体を返して、ギンコは化野に背中を向けた。四肢をついて頭を下げれば、後ろで化野が息を飲む気配。
「言ったろ、眠くなっちまいそうなんだ…。だから早く」
「だから、…って」
「嫌か?」
「何言ってる、こういうの、いつも嫌がってたのはお前の癖に」
向けられた腰を、化野の手がするりと撫でた。びく、と震えて肌を強張らせるギンコを、宥めるように、さらに何度も撫でる。背中を、大腿を。
「途中で嫌だとか、言うなよ?」
顔が寄せられて、先に化野の髪が肌に触れる。きゅ、と力の入った穴を、化野は親指の腹で、幾分無理に開かせた。
「力抜いて」
「……いいから」
「何が」
「だ、黙ってやってくれ。息が…かかっ、て…」
「息ぐらいで感じててどうするんだよ」
最初から、たっぷり唾液を絡ませた舌先で、化野はギンコの後穴を舐めた。濡らすのが目的の行為だ。負担を掛けないように、怪我させないように。
開かせる指に力を入れて、閉じた蕾をこじ開ける。こじ開けた穴に舌を入れる。抜いて、唾液を絡めて、また捩じ入れる。浅い息と、普段の倍も高い声が、何度もギンコの唇から漏れて、聞いてる化野の方が堪らない。色っぽい彼の喘ぎが、化野の雄の部分を刺激して、優しくしているのまで辛くさせる。
「痛かったら、言ってくれ…」
化野は自身あてがって、腰をゆるりと寄せていく。一瞬息を詰め、それでは駄目だと思い出したように、ギンコは無理にその息を吐いた。奥までずるりと擦られて、絞り出すような切れ切れの声が上がった。気付けばギンコは、白い背を弓なりに反らし、枕と敷き布とにしがみ付いている。
「痛く、ないか? ギンコ」
「……いたいよ」
「そ、か…、じゃ、今、一回抜いて」
「いいんだ、そうじゃねぇ…そうじゃねぇんだ」
痛いよ。胸が。
居たいよ。お前の傍に。
「でも、痛いんだろ」
「休んでんなら、寝っ、ちまうぞ…、早く、奥…っ」
「ギンコ」
「…っ、ぁ、あー…」
凄い熱が、ギンコの中を埋めていく。そうして揺さぶられ、やがては、そこから放たれた幾つもの雫が、それよりももっとギンコの奥へと届いた。溶けてしまうほど甘い熱いそれを、後穴で飲み下すように受け止めて、やっと体が離れた頃には、四肢をついた格好でいる力さえ残っていなかった。
「ギンコ、だいじょ…」
「寝る」
「え、そのままか? いや、でも」
「………」
こぷこぷと、ギンコの中から零れ落ちてくる化野の精液を、拭きとって処理してやるのも化野の仕事らしい。布を水で絞って、それを自分の人肌で温めながら、化野はギンコの尻やその周りを清めてやる。
こんな無防備は暫くぶりだった。嬉しかったが、我に返ると何かに違和感がある気がしてならなかった。半年以上も来なかったギンコに、何一つ変わったことが起こっていないとも思えない。次に来てくれる約束も貰えないなら、こんなに放ったらかした理由くらい…。
「聞いたら、お前、答えてくれるか?」
もう寝入ってしまったギンコの背中に、化野は小さく、またそう言った。
「やっと見つけた」
その男がそういうより先に、ギンコは彼の来訪に気付いていたようだった。手元に置いてあった湯飲みはもう空だったが、それへギンコの手がぶつかって、縁側の板の上にごろりと転がる。
「イサザ…!」
「ギンコ、お前、ここんとこずっと山中ばかり歩って移動してただろ。その方が気配は追えるが、それだとはっきりした居場所までは見つけられなくてね。人里に出てきてくれてよかったよ」
ワタリの彼は、ある種の蟲の動きを追って、山中の様子を大まかに知ることが出来る。彼はそれで、ずっとギンコをつかまえようとしたきたのだろう。
「聞きたいことがあってきた。お前、この春先に剣御岳で、ムシツドイの邪魔をしただろう」
知らない、と言いたかった。実際たった今まで知らなかった。でも、思い出したあの日の出来事に、ギンコははっきり青ざめた。イサザはギンコに『ムシツドイ』のことを言い聞かせるように続けている。
「蟲の宴やなんかとは違うが、蟲どもにとっちゃそれなり大事なもんなでな。一つの集い場に必ず一匹、人に化けられる蟲を見張りに置き、人を寄せ付けなくするそうだ。お前、その日にそこで、人に化けた蟲とあっただろう。で、『するな』ということをしたんじゃないのか?」
返事も出来ず、それでもギンコは化野の耳を気にした。元々白い顔が、ますます青ざめて白くなり、表情を浮かべることも出来ないでいる。イサザはそんなギンコの様子を眺めて、困ったように浅く溜息をついた。
「案の定、だね。…ギンコ、お前、今、見極められてるとこかもしれないよ」
続
12/01/25