「雪の東雲」という話と繋がっています。
 そちらもどうぞー♪ 異色ものってとこにあるヨ。







雨の化野  4





 明け方までのほんの少しの間に、どうやらもう一度眠っていたらしい。ギンコはだるい体を励ますように、畳に手をつき、這うような格好で身を起こす。

 はぁ…。ったく、ひでぇ目にあった…。

 いてて、と腰をさすりつつ、髪を適当に撫で付けて、奥の方へと入っていく。家の裏手へ出て井戸まで行くが、化野の姿は何処にも見えなかった。往診だろうか。それともまた何か手伝いに借り出されたか。人にあんなことをしておいて、放ったらかしか、と心の中でつい悪態をつく。

 詳しく思い出しそうになり、ギンコは慌てて頭を振る。太陽は割と高くまで上っているのだし、化野も多分、そろそろ戻ってくるだろう。
  
 井戸から冷たい水を汲み上げて、ざぶりと顔に浴び手布で吹いて、それからギンコは縁側へと出た。蟲煙草に火を灯して、白い煙を漂わせながら、何かをする気にもならずに、ただ晴天の空を眺める。

 視線を下ろせば、広い湾に囲まれた海。岸に近い場所には小舟が何艘もいて、多分あれは海草やなんかを採っているのだ。座りなれた縁側で、白い煙をゆるゆる立ち上らせながら、何もせずにぼんやりしていたが、そのうち手持ち無沙汰になって、ギンコは荷物の整理をし始める。

 しておきたい書き物があったのも思い出し、文机を借りて、蟲の記録も書き止めた。

 そうして気付けばもうそろそろ昼を回ってしまう頃、蔵の方から物音がして、出掛けているとばかり思っていた化野が、片手に何かを持ってギンコの傍へと近付いてきたのだ。

「い、いたのか…」
「あぁ、蔵にずっとな。なんだお前、放っとかれたんでそんな顔してんのか?」
「……そんな顔…て…」

 くす、と化野は余裕たっぷりに笑うのだ。

「拗ねた顔」
「お、俺は別に…っ」
「まぁ、拗ねるな。お前が夕べ、俺の家のことを知りたいと言ってたんでな。何か思い出の品でもないかと思って、蔵の奥を探ってたんだよ。言わばお前の為だ。機嫌を直せ」

 どこか様子がおかしい気が、ちらりとはした。夕べだって、今朝だって、いつも通りとは言い難かったが、それはギンコが化野の過去を聞きたがったせいだし、ギンコがいつもと違うのを、変な方向に疑ったせいだ。

 けれど、あれを「あらぬ疑い」と言ってもいいのかどうか…。もしかしたら「勘付かれた」と言った方がいいのかもしれない。東雲に感じた想いを、ギンコは未だに自身の心の中で、どう分類していいか判らずにいるのだから。

「で、これだ」

 ギンコの隣へと、少し間を開けて化野は腰を下ろし、抱えていた何かを広げて見せた。分厚い本だった。布まで張った豪華な造りで、表紙の真ん中に大きく紋が書かれている。

 幾種類かの植物が、真四角の中に綺麗におさめられた、
 不思議な…。

「…見覚えは?」

 そう聞いた声に返事をする、ギンコの喉が震えていた。

「いや、無いが」
「夕べ話した俺の生家の紋だよ。そしてこれは一族の歴史やなんかを印した書物。捨ててきた家からなんでこんなもんをって? 後ろの方にいろんな薬の調合法が載ってるからだ。まだ全部覚え切れてなかったんで、そいつが欲しくて持ち出した」

 語りながら、化野は最初の数枚を捲った。幾重にも畳まれた家系図が出てきた。破けないように気を付けながら、それを床の上に広げる。

「そらここ…。日輪、長兄だ。次兄が露月。その隣に俺の名、そして俺の隣が東雲。で、俺の名前と東雲の名前の間に、小さく、彩薬庵とあるだろう。これが俺たち双子のどちらかが、婿に行かされる大棚の薬屋でな。こうして、一人生まれる都度書き換えられる家系図まで、末の居場所を記される。
 書かれてあるのが俺の名前寄りなのは、どちらかというと俺がゆく可能性が高かったからだそうだ。…東雲は生まれるその時に、死に掛けてしまうくらい病弱だったからな」

 化野はあまり感情を含めない声で、つらつらとそう語った。ギンコは下を向いて、目の前に広げられた図を眺めながら、複雑な思いで聞いている。

「東雲」の名を口にされるたびに、ざわざわと心の奥で何かが動いた。自分がどんな表情でいるのかは判らなかったが、ギンコは顔を上げて化野を見ることが出来ずにいる。

「その…日輪とか露月っていう二人も、お前と似て…」
「兄達か? そりゃ血の繋がった兄弟だから、それなりにな。だが、長兄の態度や感情の表し方、ものの言い方までが、父親の命令通りだったし、その長兄と何でもそっくり同じに出来るようにしろ、と、命令されてたのが次兄の露月だよ」

 そうやって、何気なく話を逸らそうとしたのに、化野の言葉はすぐに「東雲」へと戻ってしまう。

「上の二人と違って、俺と東雲は放置されてたようなもんだったんだ。使用人やら外の人間に見える場所では、目立たぬ人形のようにしていろだとかな、医術や薬に関して、お前達が深く学ぶ必要は無い、とか。そう言われてはいたが、人目のないとこでは、案外と自由だったよ」
「へぇ。でも…それを自由とは言わんだろ…」

 当たり障りの無い相槌を返しながら、ギンコの声は震えていた。居心地が悪い。段々と、ギンコは何かに気付き始めた。化野はわざと、ギンコに東雲の話ばかりしているのではないのか。ただ、自分と気の合った唯一の兄弟のことを話したいだけなのか、それとも…。

「これも見てみるか? 写し絵というやつで、腕のいい画家に一族の絵を書かせたものだ」

 次に見せられたのは、書の中の頁ではなかった。酷く丁寧で、生々しいくらい緻密に写された、古い絵。ざっと十数人の人間が書かれていたが、その右端で一際目に付くのは、まだ幼い少女の姿だった。

 色の無い白い着物。そして長く長く伸ばして、右肩で緩く纏めた髪も、真っ白だった。小さく描かれているというのに、それでも目は赤く塗られていたのかも知れぬ。絵が古いから、その色は既に褪せて茶色く見えた。

 そうしてその痩せた体を、さり気なく支えるように手を添えている、少女と同い年くらいの少年。多分これが、化野の姿。さらに少女の逆隣にいて、少し項垂れているのが、紛れなく…東雲だった。

「どこで会ったんだ、ギンコ」

 化野の声が、ギンコの耳に静かに響いた。ギンコは息を止めて、暫し返事が出来なかった。そんな彼の顎に手を伸べて、強引に顔を上げさせて、化野はもう一度聞く。

「会ったんだろう、東雲に。寝てると思って、お前、そんな大事なことを呟いて…。例え眠ってたとしても、意識に届くほどのことだぞ」
 
 どうしてか、声は少し震えていた。不安そうな目の意味を、ギンコはこれから聞かされることになる。
















 書いてて面白いんですけど、きっと読んでたら面白くないだろうなーって。最近、どうも後ろ向きですみません。読んでも面白い展開になるようにっっっ、次回の目標だーーーーーっっ。


11/05/29