「雪の東雲」という話と繋がっています。
そちらもどうぞー♪ 異色ものってとこにあるヨ。
雨の化野 2
布切れで髪を拭きながら、化野は呆れたような声でギンコに言った。
「なんか、お前、今日は本当に変だぞ?」
視線を合わせようとせず、それでもうっかりと目が合ってしまうたびに、うろたえたように俯くギンコ。言葉は変に少なくて、その一つ一つはどうでもいいことばかりだ。寒いな、とか。暗くなってきたな、とか。
有り合わせで夕餉を食べて、そののちに取って置きらしい酒を出され、ほれ、と差し出された盃を受け取るのも視線が逃げているから、上等の酒が少し零れた。
「あぁ、もったいない」
「す、すまん」
詫びながら盃を干したギンコの手首に、いきなり化野の手がかかる。ぐい、と引き寄せられたかと思ったら、零れた酒で濡れていた指を舐められた。
「な…っ、何…っ!?」
「いや…『何』はこっちの言うことでな? 折角こうして会っているのに、さっきから随分他人行儀じゃないか。どうしたらいつも通りのお前になるんだ? こうしたらいいのか? 手っ取り早く」
引き寄せられて口を塞がれる。嫌がるかどうしようか、迷っているうちに押し倒されて、着物の襟を無理に広げられた。すぐにも肌に唇が落ちる。
「…ぁ…。ちょ…っ、待っ…」
「誰かと何かあったか? ギンコ」
「え…?」
思わず視線を上げれば、化野の目の中には不穏な色があった。怒っているのが分かる。つまりは、疑われているのだ。言えないような何かを、隠しているのだろうと。
「嫌がるなよ」
ギンコの目を見ながら、短く化野は言った。そう言い捨てて彼は目の前に開かせた胸を吸う。敏感な場所をざらりと舐め上げられ、歯を立てられてギンコはもがいた。嫌なわけじゃないが、こうも急では気持ちが追い付かない。何とかやめさせたくて、指が化野の髪に掛かる。
何故なのだろう。その瞬間、ギンコの心のどこかが回想へと落ちていく。
あぁ、髪の感触までが同じだ。あいつもそういえば、薬の匂いがしたっけ。けれど種類は全然違うのだろう。東雲のはきっと、高い金を積んでやっと手に入るような調合のもの。化野のは、最低限の値段で処方できる、それでも効果のあるもの。同じ家に生まれた兄弟でありながら、こんなにも運命を変えた何とは、いったいなんだったのだろう。
見るからに裕福そうだった東雲の身の不幸。今までどんなことがあったか知らないまでも、今は充分に幸せそうな化野。
「し…の…」
「……」
零れたのは、どちらの名を呼ぶ声だったのか。ぱたり、と畳の上に腕を落として、ギンコはすっかり体の力を抜いた。ぼんやりと天井を見ながら東雲の事を思う。化野の手がギンコの腰の帯を解き、着物の前を左右に開かせ、彼の白い胸を撫でていた。
「……なぁ、話して…くれねぇか?」
そう言ったのは、ギンコの隠し事を知りたがっている化野ではなくて、ギンコの方だった。顔を上げた化野はもう怒った顔などしていなかった。ただ真摯に、ギンコを想う目だ。嫉妬も疑いも、相手を慕うが故のこと。化野は短く雄弁な溜息を吐き、それからぽつりとこう言った。
「色々打ち明けて欲しいのは、俺の方なんだけどな」
「話せる時がきたらな」
「いつだよ。そりゃぁ…」
ギンコの顎を捕まえて、化野はゆっくりと口付けをした。ほんの欠片も嫌がらず、それどころか珍しくもギンコの手が、化野のうなじへと伸びて、唇はさらに深く重なった。息が徐々に速まるような、そんな長い接吻の後、喉を吸われながらギンコが呟いている。
「お前の家のことを、聞いてみたいんだ。今夜じゃなくてもいい。明日でも、その次の日でもいいからさ。お前が俺に、話してもいいと思うことだけでいいよ」
「……」
ギンコの言葉が止まると、化野の愛撫もつられるように止まった。彼はごろりとギンコの隣に寝転んで、畳にそっと耳を付けた。目を細めて、長い睫毛をギンコへと見せながら、彼は雨の音を聞いている。懐かしい音だ、と、そう思っている。
「…家の話か。あそこは、雨の多い土地でなぁ。中々梅雨が終わらないんだ」
化野は低く、かすれたような声で語り始めた。
* ** ***** ** *
そういや、不思議なくらいにまったく、お前には何も話していないんだな。我ながら奇妙だよ。なんでこうも言わずにいたものかな。
俺の家は、古い古い医家の家だよ。もしもお前が少しでもその道の人間なら、一度くらいは名を聞いてる。そのくらい古くて大きくて、権力があって、そして…医家としては堕落した家なんだ。
…堕落、と化野は言った。
医家は人の命を救うもんだろう。病で苦しんでいる人々を、救うのが務めなのだよ。少なくとも受け取る金の額や、診る相手の地位や名声、そんなものを尺度にしてばかりいていいものじゃない筈だ。
ご大層な家柄。ご大層な家紋。血筋を重んじるなどと言って、嫁として迎え入れる女は、地位と金の有り余る家のものばかり。患者を受け入れるか否かを見極めるのに、乗ってきた馬車の大きさとか、御付の者の人数とかな…。
馬鹿げてるだろ? なぁ、ギンコ。お前が聞きたいのはどんな話だ? 俺がその家を何で出てきたのかってとこか? だったらもう分かるだろ? そういうのが許せなかったんだ。貧乏人が訪ねてきても扉も開けない。
病で苦しみながら、その患者が雨の中で一晩中跪いていたって、そんなのはただの、門の前の石ころくらいにしか思わないんだ。そんな家にいられると思うか? お前ならどうする?
黙りっぱなしだなぁ、ギンコ。そんなわけで俺は家を出てきたが、だからって別にあの家が断絶するわけじゃない。俺は三男なんだ。男ばかりの四人兄弟で、一番上は家の跡取り、そのすぐ下は、跡取りに何かあったときの身代わり。次が俺…。
「お前の…下の一人は…」
ギンコが零れるように口を挟む。何も気付かずに化野が言う。
あぁ、東雲…か。多分、うちと同じくらい古くて大きな、薬問屋の家へ婿に行ったろうな。俺かあいつがそこへ行くと、生まれた途端に決まったみたいだから。そうだな、東雲はどうしているかな…。
「お前に…似てるんだろうな、その弟は」
似てるさ。そっくりだから、もしも会ったらお前は驚くぞ。何しろ双子でな。ずっと小さな頃は、二人で入れ替わったりして遊んでたんだ。…って言っても、二人きり時の戯言だけどな。そういうガキの遊びに付き合うような、家じゃなく…。
どうしているかな…。婿に入った先でも、家の名前を無理やり背負わされてないといいがな。一緒に家を出ようと誘ったのだが、二人で逃げ出すのも難しくてな。とうとう置いて出ちまったよ…。
あぁ、どうしているか…。東雲…。
* ** ***** ** *
化野の言葉は、そこで止まった。ギンコがこっそり見ると、雨の雫を零すように、化野の睫毛が濡れていた。
「すまんな、もう聞きたくはないだろう? こんなこととは思わず聞いたんだろうが、あまり明るい話にはなりそうもないよ。かと言って、代わりにお前…。いや、何でもない」
何かに思い当たったような顔をして、化野は黙った。何故今まで、自分が何も語らずにいたか、もう一つの理由に気付いたからなのだろう。昔語りを聞いた返しに、打ち明けるような故郷や家の話など、ギンコには無いのだ。
それはとうに分かっていたことだったから、それへは何も言わず、ギンコは気付いたことを呟いた。
「さっき、門の前で貧乏な患者が雨に濡れて…って、話をしてたな。その時だろ? お前が家を出たの」
お前らしいな、と一言付け加え、ほんの微かな笑みを見せると、ギンコも化野と同じ雨の音を聞いた。双子だったのか、どうりで怖いほど似ていた筈だ。
雨音は続く。雲から放たれ、野へと降り注ぐ雨。雪の中で会った東雲の心は、あの時、凍り付いていたのかもしれないが、今はきっと溶かされて、柔らかく降る雨に似ているかもしれない。
自分でも意味の判らないそんなことを、ギンコは思っていた。
続
お出かけ前のノベル更新。間に合ったー。
けど、誤字があるかも。一回しか読み返してませんっ。
今日を含めて、三日留守にするよー。更新できなくてスマン。
11/05/03
