「雪の東雲」という話と繋がっています。
 そちらもどうぞー♪ 異色ものってとこにあるヨ。










雨の化野 1







 濡れた衣服を引きずるような気持ちで、ギンコは化野の里を訪れた。寒くはないが疲労が溜まっていて、普段、意識していないようなことを思う。

 あいつの顔が、早く見てぇ…。

 思ってしまったそんな心に、一瞬遅れて自分で気付けば、誰が見ているわけでもないのに、つい後ろを振り向いて周り人影がないのを確かめた。雨は降り続いている。多分、もう五日にはなるだろう。手持ちの食料も腐るか、そろそろ危ない具合になり始めていて、そんなこともまた、急いで辿りつきたい思いに拍車をかける。

 足を速めて、坂を登る。すぐにあの家が見えてきて、心が緩むのを感じる。あぁ、厄介だな、こういう気持ちは。冬には来たくないと、そう思う気持ちと同じだ。弱い自分を意識する。

 見えてきた家は、障子を大きく開け放ち、しとしとと降る雨の匂いを吸い込んでいた。家の中に化野の姿は見えなくて、きっと少し前まで見ていたのだろう書物が、文机の上に広げて置かれてあった。

「化野」

 名を呼びながら、雨にすっかり濡れた尻を縁側に乗せて靴を脱ぐ。散々だ。ギンコは靴の中に溜まった、僅かな水を捨てた。脱いだ雨よけに上着を被せてあった木箱を、ゆっくり背から下ろして蓋を開ける。

 少しは水が染みてしまっているが、濡れて困るものは油紙に包み、さらに箱の真ん中に寄せているから大丈夫そうだった。

「化野、居ねぇのか? 出かけてんのか、こんな天気に…」

 思いながら靴下も脱いで、勝手に奥へと入っていく。箪笥を開けて、着物の一枚を出す。いつも借りているのがどれだか覚えているが、それが見当たらなかったので、別なのを借りることにした。多分これは、普段、化野が着ている着物だろう。見覚えがあったし、それに、

 匂いが、ついてる…。

 奥の部屋で濡れた服を脱いで、ギンコはその着物の袖に腕を通した。胸の前で掻き合わせれば、ふわりと香る匂いは、染み付いているのだろう煎じ薬の匂いと、何とは言い難いこの家の匂い。…化野の匂いだ。


 あなたの…においがします…
 

 唐突に思い出した言葉と声。またしてもギンコは無意識に後ろを向いて、誰もいないのを確かめてしまった。後ろめたい、とはこの事だ。うっかり忘れていたが、化野の実の弟『東雲』とのことがあったから、この家に来るのは初めてだった。

「…あー…」

 別に、うろたえることなんかない。こんなことがあったのだと、言葉にして伝える気など元々ありはしないのだから、忘れていたっていいくらいだ。そう思い返してギンコは縁側の傍に座ると、動揺した自分をごまかすように、蟲煙草を取り出して火をつけた。

 ゆるゆると上がる煙。それが雨の気配に乱されて、微妙な形に歪みながら広がる。

 今頃あいつはどうしているだろ。ああ見えて、案外と芯は強く思えた。次にもしも出会えたなら、見違えるくらいに様子を変えて、田舎の里々を歩き暮らす薬師にでもなってそうだよ。そんなふうになった東雲の姿は、きっと前以上に化野に似て見える気がする。

 忘れていようと思ったくせに、揺れる煙を見ながら淡々と思っている。泣いて縋ってきたことも、抱いて眠ったことも、そうなればまるで、ただの夢にでも思えるだろう。あぁ、そうなればいい。達者で暮らしていてくれよ、と、軒から滴る雨の雫を見上げ、ギンコはうっすらと笑った。


 ぱしゃ  ぱしゃ  ぱし…ゃっ

 
 聞こえてきた小さな音を耳にして、首を伸ばすようにして垣根の向こうを見た。藍色に濃く色を変えた、着物の袖を傘代わりにして、化野が散々な姿で歩いてくるのが見えた。

「…っ! ギ、ギンコ…っ。よく来たな!」
「はは…。そんな濡れ鼠になっていてまで、その台詞吐くこたぁねぇよ。なんでまた」
「あぁ、まぁ、こういうこともあるさ。田んぼに水を引いてる水路が詰まってしまってな、手が足りんというので手伝ってきた」

 風呂を使ってけと言われたんだが、戻ってよかった。と、化野は酷く嬉しげに笑う。それから水をたっぷり滴らせたままの格好で、まじまじとギンコの姿を眺めた。

「ふぅん、俺の着物だ。似合うな。そういう色もいい。…え?」

 ギンコの顔が赤くなる。普段、そうは見せない反応に、化野は目を見開いた。ギンコは実は、東雲のことを思い出していたのだが、それほど似ていないか、と思って見ていた化野が、ほんのかすかに瞼を伏せた途端、ぎくりとするほどそっくりで。

「どうした? いつもと違うぞ」
「別に、何でもねぇよ。お前こそ、いつまでそうやってずぶ濡れでいる気だよ。さっさと上がって着物を変えろ…っ」

 思わず声を荒げると、化野は柔らかく浮かべていた笑みを深める。もう一度伏せた睫毛から、綺麗な雨雫の珠が零れて落ちた。視線を逸らしながら、ギンコは思っていたのだ。


 やっぱり、怖いくらいに似ている。
 隠そうと思う気持ちに変わりはないが、
 心臓が変になりそうだ…と。














小説を書くコツを忘れそうです。週に二つは書きたいのに時間がたりないっ。日曜をもう一つ私にプリーズ。そんなふうに思うこの頃です。ふふふー。



11/04/24