贖い傷   - aganai kizu -  8







 名工たるこの男の作る刀には、様々な蟲が宿る。

 ギンコの手にした小柄は、男が前に住んでいた家に残されていた小柄。妻子が死んだとき、彼が自暴自棄になってすべての刀を壊したせいで、辛うじて残った小さなこの小柄に、蟲たちは身を寄せたのだ。それがやがて売られ流れて、憑いていた蟲も少しずつ減っていき「みうつし」だけを憑けたまま、ギンコの元へ辿り着いた。

「あぁ…そうだ。確かに俺の作ったもんだよ」

 見せられると、刀師の男は頷く。ギンコはその手で布を解き、小柄を取り出して男へと差し出す。男は左手でそれを受け取り、自らが施した模様を撫でながら、懐かしげに目を細めた。

「随分、昔の品だ。作りが粗くて拙い…。だが、確かこの小柄にも『兆し』は現れたんだがな。今となっては微塵も見えない。命の宿る刀を、あと一振りでいいから作りかったが…」
「兆し?」

 化野が何気なく聞き返す。その問いへは、ギンコが答えた。

「……そりゃ、多分、蟲の寄る兆しってことだな。美しいものに寄り付く蟲は少なくない。ここからは俺の想像だが…」

 ギンコは自分を庇う化野の手を、やんわりと退けさせて立ち上がった。そうして家の床に散乱する、作り損じの刀を無造作に足先で小突いて歩く。潜んでいた蟲の逃げる様が、ギンコにだけは見えた。

「類稀な名工に打たれて仕上がる刀には、様々な蟲が吸い寄せられる。あんたは刀師として、随分腕がいいんだろうよ。時が流れるにつれ、他の蟲が嫌々離れたその後も、最後までこの小柄に憑いていた『みうつし』という名の蟲は、小さなこの刀じゃ満足出来なくなってたんだろうな。それで俺みたいな物好きに、あんたの痛みを伝えて、なんとかさせようと頑張った」

「ギンコ…お前、いったい何言って…」

「俺は生憎、蟲の姿もよく見えるし、蟲の言ってることも聞こえちまうんでね。蟲が毎夜夢に出てさ、あんたを救えと訴えるのさ。あとたった一つきりでいい、満足のいくものを作らせてやってくれろ、とな」

 刀師は、放心したような顔でギンコを見ていた。ギンコの語る法螺の混じった話のすべてを信じたわけではないが、彼が自分を助けようとしてきたのだということは分かった。

「確かに、酷い物好きだ…」

 ぽつり、と男はそう言って、視線を化野へと移した。

「そっちのあんたもな。仇みたいに憎い俺の体を、今でも診てくれる気があるんなら…」
「無論だ。物好きとは心外だが、俺も医家の端くれだぞ」
 
 気の変わらぬうちに、と、化野の行動は迅速だった。床に散らばるものを退け、その場に男を横たえさせると、携えてきた道具を広げる。男の右腕は、滲んでくる膿と、それが固まった瘡蓋で酷い有様だったが、それでも化野は根気よく患部を清めていく。

 何度も何度も、裏の井戸から水を汲み、それを沸かすのはギンコの役目だ。清潔な布には限りがあったので、一度治療に使った布を洗い、熱湯で消毒してはもう一度使う。化野は内心危惧していたのだが、治療が一通り済む数時間後まで、ギンコの右腕に痛みが及ぶことはなかった。

 布を噛んで、ずっと声を押し殺していた男が、汗の滲んだ顔で息をつく。

「あぁ、楽になったよ…。本当に名医だ。で? どうなったんだ? 俺の右腕は」
「……手首までは、あるさ」
「そうか、ならまだ…鎚を腕に縛りつけりゃ、打てるな」

 そう呟いた男に、化野は密かに眉を顰めたが、言っても無駄だろうと止めなかった。もしもこの男が、ギンコに痛みが及ぶ時を選んで鎚を取った時には、医家の矜持などかなぐり捨てて、殴り飛ばしてでも止めてやる。そうとはっきり心に決めた。

「いいか。最低でも、今晩だけは動くことを禁じる。痛み止めが切れて熱を持つだろうし、無茶をしてまた悪化したら、今度は肘まで落とすことになるぞ」
「化野」
「ん? あぁ、なんだギンコか」

 なんだとは酷ぇな、と言い返しながら、ギンコは化野の腕を引いた。連れて行かれた裏の庭には、大小の石が並べて置かれてあった。それが何なのかはすぐに分かり、化野はそこに膝を付いて目を閉じた。あの男の妻子が死んだのは、この土地ではないのだろう。だからこれは仮の墓所だ。随分前に供えられたのだろう小菊が、石の傍で乾いていた。

 代わりに供える花が何かないかと、化野は庭の外へ出て、可憐な野草の花を少し摘んで供え、自分が誠心誠意、あの男の治療をするから、と墓前に誓った。

 そうして気付けば、傍らにギンコの姿はない。不思議に思って家の中へと戻り、化野はそこで奇妙な光景を見た。ギンコは部屋の隅で普通に立っているのだが、その手には小さな竹筒がある。刀師の男は何故か床に這い蹲って、自由の効く左の腕で沢山の刀の残骸を掘り返していたのだ。

「お、おい…っ、さっき動くなと言ったばかり…っ」
「化野、すぐに済むから」
「いったい…何が…」
「この男が作りたいのは、蟲も寄るほど美しい刀だ。つまりは、もう一度、刀に寄ってる蟲が見えりゃあいいのか、と、そう思ったんでな。こいつを飲ませた」

 こいつ、とギンコが言ったのは、例のあれだ。飲めば蟲が見えるようになるという貴重な酒。もう一滴も残ってないと聞いていたのに、無いのは化野に飲ませる分だけらしい。

「見つけたか?」
「…あぁ…! あった。こ、こいつを研げば…」

 錆びたり曲がったり、散々な姿の刀達の山、その中から取り出された仕上がり寸前の一振りは、美しくきらきらと輝く蟲に纏い憑かれていた。錆かかってはいるものの、その錆を落として研ぐことは出来る。そうすれば刀は生き返るだろう。

 刀師の男の目は輝いて、その目には涙すら浮かんでいたのだった。


* ** ***** ** *


「説明しろ。どういうことなんだ」

 無理やりに刀師の男を眠らせて、ギンコと化野もまた、自分達の上着を体に掛けて横になっていた。そのまま目を閉じたギンコの耳元に唇を寄せて、問い質そうとする化野。

「どう…って。俺もさっき気付いたばかりだが、つまりな…」

 元々は蟲の見える性質じゃなかったのだろうが、名工たる刀師の腕はかなりのもので、仕上がった刀には大量の蟲が寄り付いた。中には『見えやすい』蟲もいて、その蟲らをあの男も何度も見た。そしていつからか、それを『いい刀』として捉えるようになったのだ。

 だが妻子を失って心の均衡を無くし、男の目には『見えやすい』蟲すらも見えなくなり、いくら苦労しても努力しても『いい刀』が作れなくなってしまったのだと思い込む。

「ヒトの心は弱いからな。『見える』ものも『見えなく』なる。そういうこともよくあるのさ」

 だから蟲は確かに、刀に『いる』のだと気付かせてやる必要があった。見れるのはあの酒に酔った時だけだが『いる』と教えるだけなら、一度酔うだけで事足りる。と、そうギンコは言って、化野の方へ寝返りを打った。

「あの男は、あの刀を仕上げるだろうな。片腕しか使えなくても、きっとやり遂げるだろうが」
「で、でも、打つほどでなくとも、あいつが無理をすればまたお前の腕が…っ」

 悲痛な顔をして言った化野の肩に、ギンコはそっと額を付ける。

「いや、もう蟲は抜けたよ。さっきあの刀が掘り起こされた時、俺なんかに憑いてるより、そっちに憑きたいと思ったんだろうな。腹の立つほどあっさり抜けてった」
「こ、こ…の…っ」
「うわッ!」

 いきなり圧し掛かられて、ギンコは狼狽した。薄い木の壁一枚の向こうには刀師の男がいるのだ。流されるわけにもいかないだろう。

「あだし…っ」
「俺が…どれだけ心配したと思うんだ、ギンコ…」

 化野はギンコの体を抱き寄せたままで動きを止めた。ただ、唇の隙間から零すように、彼は何度もギンコの名を呟いていた。長い時間抱いていると、化野の心は少しずつ澄んでいく。

「あんな思いは、二度とごめんだ」
「あぁ、俺もな…お前に二度と、あんな顔させたくないよ」

 化野が、自身の無力を呪った痛み。鼓動が止まりそうな苦しさ。血が逆流するような憎しみと、心が引き裂かれるような悲しみ。それらが何処からか零れて消えていく。やっと消えていく。本当にもう二度と、こんな思いをしたくはない。

 化野の体が震えているのをギンコは感じ、目を閉じて、すまん、と、小さく一度だけ言ったのだった。














 仕方のないことだったんですが、こんな難しいややこしい話を、途中で二ヶ月も中断したらこうなるんだなぁ。覚えてない、思い出せないよーってことで、たいそう困りました。そしてこんなふうになっちまいました。

 うまく書けてなくてすみませんっっっ。きっと次回でラスト、もうちょっとお付き合いいただけると嬉しいで…す…。ああ、惑い星、精進せねばだねぇ。しょんぼー。

11/05/08