贖い傷   - aganai kizu -  6








「あの家だな」

 化野の声が常より低い。ギンコは自分の隣にいる彼の腕に手を伸ばした。触れると、びくりと震えるように身を揺らし、化野は変にゆっくりとギンコへ顔を向けた。

「…おっかねぇ顔、してんなよ、化野」
「別に普通だ」
「どこが。子供が見たら泣き出すぜ? とてもいつもの優しい化野先生じゃねぇって」

 くす、とギンコは笑って見せた。それから化野の横を通り抜け、自分から先に家へと近付いていく。彼は言った。

「俺が話を付ける。お前は黙ってろよ」
「……黙ってられるような話だったらな」
「…黙っていろ」

 困ったような苦笑までが、化野には愛しい。夕べ縋り付いてきた姿と重なって、強がりなのだとわかるから。こんなに大切で愛しい男を、あんなにも苦しめる誰かが、あの家にのうのうとしていると思えば、それだけで行って殴り付けたいほどなのだ。

 そんな化野の思いも、きっと判っているだろうが、それでも『黙っていろ』とギンコは言うのだ。彼は早足に近付いて、まずは閉じた木の扉を叩いた。返事は無いが、人の気配をはっきりと感じて、次には声を掛ける。

「ここは刀師の家だと聞いてきたんだが、違うかね」

「……今、仕事は受けてない」

 低くかすれた返事が返る。ギンコはそれ以上、何か言い添えるでもなく、力を入れて扉を押した。もう殆ど外れてしまいそうなくらい、風雨に痛んだ戸が開く。中は暗かった。構わず進むと、足元で金属の触れるような音がした。

「…化野、足元危ねぇぞ。刃物が落ちてる」

 後ろから続こうとしていた化野が、家の中に光を入れるために戸をさらに大きく開いた。目も少しずつ慣れて、何が散らばっているのか判ってきた。

 刀だ。

 まだ刀の形にもなっていないものもある。はっきりと刀だが、折れたもの、曲がったもの。酷く錆びているもの。それが無造作に放り出されて重なり合っている。何本も、何十本も。

 そうやって散らばる刀の向こう側、案外と広い家の中の、一番奥の壁に、人影が見えた。背を壁に預け、両脚を投げ出すようにして座り、右腕を曲げて腹の前に、もう一方の手には、鎚が握られて…。

 死体、かと思った。それほど男の姿は異様だった。目は開けている。そしてその目は、恨みを込めたように鈍く光っている。ギンコは言った。

「あんた、腕に怪我をしてるだろう? 後ろの男は医家だ。診せる気はねぇか…?」
「無い。帰れ。忙しいんだ」

 淡々とそれだけを告げて、男はじっと前を見据えていた。辛抱強く、ギンコはまだ男に言う言葉を探していたが、そんな彼の後ろから、男を見ている化野は堪らなかった。

 どう見ても、この男はまともじゃない。気が違っているのだ。目を見るだけでそのくらい判る。家の中の惨状も酷い。こんな家に一人で籠もって、恐らくは、寝食すら拒むような暮らしをしているのだ。錆びた鉄の匂いに混じって、何かが腐った匂いがする。

 その腐臭は、恐らく…。

「お前…、な…」

 黙っていられず、言い掛けた化野を片手で制して、ギンコは言った。

「忙しいのは、刀作りのためか。あんた、どうしても作りたい刀があるんだろう」

 男の目がやっとこちらへ向いた。何故知っている、と、問うような表情が一瞬浮かんだが、男は何も聞こうとはせずに、目がまた宙空だけを見た。さらに、ギンコはゆっくりと告げる。

「なぁ? 俺はあんたが、むかし作った小柄を、ここに持ってるんだぜ」

 はっきりと、男の表情が変わった。どろどろと濁ったようだった目に小さな光が灯る。這いずるようにして動いたが、男の右腕は腹の前から動かない。よく見れば、布をぐるぐると巻きつけて、胴へと縛り付けてあった。

「小柄…? 見せろ。見せてくれ」
「見せてやるが、その前にあんたのその腕を、こっちの男に診させる気はねぇか。若いが、名医だぜ? その方があんたのその右腕のため…」

 いきなり、後ろから肩を掴まれて、ギンコは言葉を止める。黙っていろと命じた筈の化野が、無理に感情を抑えた声でこう言った。

「…いくら名医でも、腐って落ちる寸前の手は治せない。あとは、どこまで失うかの問題だ。手首までか、肘までか、肩からか」
「あ、化野…」

 実際、ギンコはそこまで気付いていなかった。だが、そうやっていきなり告げられた事実に、男はそれほど驚いていず、逆に、清々した、とでも言うように口元を歪めて笑う。

「……なるほど、名医だ。自分の腕のことだからな、俺だって判ってる。手首から先はもう無理だ。既に骨が崩れてきてるからな。だが、それより上はしっかりしたもんだよ。こうやって…まだ仕事が出来る」
 
 う、と男は呻いた。呻きながら前屈みになり、鎚を握ったままの左手で、あたりに散らばっている刀の残骸をどける。空けた空間で、彼は右手と胴を固定した布を解き、口と左手だけで、右手に鎚を縛り付けていくのだ。

 その間、彼はずっと呻いている。聞いているだけで、顔を歪めてしまうような痛みが、彼の声から伝わってくる。あぁ、この痛み、この痛みだ。この痛みを、ギンコは何度も、何度も肩代わりしていたのだ。こいつはそれを知っているのか…?

 化野は無意識に歯を食い縛り、荒い息をついて喘いでいた。人を憎むのが、こんなに苦しいものだなんて。こんなに御し難いものだなんて。

 男はギンコと化野が、何故ここに来たのかも知らずに言った。焦るように声が上擦っている。

「もう邪魔をせんでもらおう。時間が無いんだ。どうやってでも、まだ腕が使えるうちに、刀が打ちたい、刀が、打ちたいんだよ。…ぁあ、来た、痛みだ。この後、来るんだ…。腕が使える、まだ俺は刀を打てる…!」

 異様に目を輝かせて、男は一度蹲った。ギリギリと歯を鳴らし、声一つ立てずに激痛をやり過ごした後、男にとっての「無痛」のひと時が訪れるのだ。まだ痛むのを堪えながら、這う様にして彼は扉一つ向こうへと出て行く。

 化野の脚ががくり、と揺れた。あいつを追いかけて、殴って、お前のせいでギンコが、と、俺は…!

「頼む、そんな顔、やめてくれ…、化野…」

 その時、強く体に縋られて、化野は我にかえった。憎しみの塊になって、彼は男を見ていたのだろう。縋り付いて来たギンコを見て、無意識に返すように、その体を抱き締めると、彼が小さく震えているのが判る。

 ギンコは怯えている。これからくる痛みと、それから、本気の怒りを見せた化野の姿にも。

「後悔、しちまうよ。お前に助けを求めたことを…さ。そんなお前の顔…。俺は、一生見たくなかった」
「…ばか、や…」

 馬鹿野郎、と罵りの言葉が途切れる。一瞬後、カ…ンッ、と、高い音が響いた。その途端にギンコの体は仰け反った。白い髪が乱れる。そのまま座り込み、蹲って震える。自身の着ている服の一部を、無理に口に押し込んで、ギンコは声を抑えて…。

 あの音は、鉄を打つ音だ。男が入って行った隣の部屋から響いてくるのだ。化野はギンコの体を抱き締めて、呻き声一つ立てないようにしている彼を、その痙攣する体を、守るように包んだ。

 そうだ。あの男を例え罵っても、何にもならないと判っている。掴みかかったとしても、それが何かギンコの為になるだろうか。俺が憎んだあの男の事を、ギンコは助けたいと言ったのだ。それが自分の、過去の痛みを消すから、と。

 苛立ちも辛さも、恨みも怒りも、それらすべてを、今、ギンコを守る力に変えたい。それだけを化野は祈っていた。強く、けれどあても無く、思っていたのだった。







 

 
 
 

 



 
進展の少ないストーリーですいません。もっと、ガッと、進めたいと思うんですけど、なんつーか、ここ一番、サクっと感情が表せなくてですねぇ。そいでついつい文が長くなるんですわ。

 ギンコの怯え、化野の怒り、そして未だ名も無き(そして姿の描写もないんですが)オリキャラさんの、狂気を孕んだ執着と…! 

 書くのは楽しいんですが、読んで頂いて楽しいかどうか…。ふぅ。飽きられませんようにっっっ。






11/03/06