移  緋     1 







叶えたい願い事ならば、誰しも一つは持っている。
否、一つきりとは限らない。二つ、三つ、四つと。
それが我侭など言わぬ者だとしても…。
秘めたる望みは表へ出ねば、誰にも知られず罪にもならぬ。

…どんな願いで、あろうとも。




 ギンコは夜半に着いた。深夜だというのに風呂を貰い、出来うる限りの馳走も出して貰って、敷かれた布団に横になれば、疲れているか、すぐ眠りたいだろうな…と、遠慮勝ちに化野は尋ねる。

「まぁな…。けど、構わねぇさ。途中で寝たら、悪ぃ…。今から謝っとくよ」

 そう言ってギンコは化野へと片手を伸ばす。枕元に膝を付いて身を屈め、口付けだけでも欲しいと願っていた彼の頬に触れれば、酷く切ない顔をして、化野はギンコが胸まで掛けていた布団を捲った。

「すまんな、少し、触れれば俺も眠れると思うから…」

 そんな訳があるかい、とギンコは内心で苦笑する。それでも無理なことはせず、ギンコが応じてくれるまでは、優しく子供の頭を撫でるような、そんな触れ方しかしない化野だった。

 今夜もまた化野の手のひらは、そろりそろりとギンコの頬を撫で、髪を撫で、暫くしてからようやっと首筋に触れてきた。瞼を伏せているギンコが、少ぅし目を開いて、ちらりとその顔を見上げれば、困ったように彼の手が止まる。

「眠いか? だろうな。すまん」
「ん、いや、別に。気にすんな」

 この言い様、なんてぇつれない恋人だろう。でもこんな態度は性分で、会いたくて会いたくて会いたくて、身をよじるほどだなんて、例えそうだったとしたって、ギンコは表に出したくとも出来なかった。

「ギンコ。俺もなんだかお前の眠そうな顔見てたら、眠くなってきちまったよ。そもそもお前が来るまで寝てたしな」
「……あー、そうだよな…」

 ごく、と喉まで鳴らして、嘘の下手な化野が、おずおずと手を引っ込める。少しばかり乱してしまったギンコの寝巻きの襟元を、律儀にきちんと整えてから、化野は少し離して敷いてある自分の布団へ潜り込んだ。

 向けた背中が辛そうだよな、とギンコは思って、それでも黙って目を閉じた。



 目を覚ますと、隣の部屋へ続く襖が少し開いていた。そこから外の明るさが差していて、縦に細長く見える向こうの部屋で、化野が文机に向かっていた。ギンコは起き上がって着替えると。襖をもう少し開けながら、書き物をしている化野に声を掛けた。

「寝過ぎちまったかな、今、何時くらいだ、化野」
「あぁ、起きたのか。いや、まだまだ朝のうちだぞ。腹は減ってるか?」
「んー。いや、昨日、色々喰わせてもらったし」

 腹が減るようなことを、夜のうちにしてないしな、との言葉は、勿論声には出さない。化野は多分、理性的な男なのだろう。自身の欲望は自身で律して、無体なことはしないのだ。

 ということはつまり、ギンコの方から「欲しい」とでも口に出すか態度に表すかでなければ、いつまでも欲望を露にはしないということだろうか。

 寝たことは、ある。というか、くれば次に旅に発つまで、一度は閨を共にする。だけれどそれは妙に紳士的な性行為で、元々そういうことに淡白なギンコでさえ、こいつはこれで本当に満足しているんだろうか、と疑ってしまいたくなるものなのだった。

「朝っぱらから、何だが、その、化野?」
「んん? 夕飯の心配か?」

 おどけてそう言う化野に付き合って、馬鹿か、違うって、と、ギンコは笑った。

「じゃなくて、夕飯の後のことだがな。今夜はす…」

 するんだろう?と言い掛けたその言葉が、隣に行って化野の顔を覗き込んだ途端に止まってしまった。

「化野、お前…目が赤いぞ」
「…そうか? まぁ、早朝から書き物してたし、夕べも去年の診療の記録を整理してたせいかな」
「いや、そういう…。そういう、赤い、てんじゃなくて」

 どら?と、化野はその場を立って、隣の部屋で鏡を覗いていた。でも何とも思わなかったようで、首を傾げながら戻ってくる。

「別にこんなもんだぞ、いつも」
「……」

 ギンコは返事をせずに、傍にくっ付いたままでこっそりと、よくよく化野の目を覗き込んだ。目は赤い色をしている。赤というよりも薄紅色だ。しかも白目が血走っているとかじゃなくて、本来黒い色をしているはずの彼の虹彩が赤い色になってしまっている。

「体の具合は、平気か。どこもなんともないか?」

 ギンコはそう尋ね、なんともないとの返事を聞いてから、その場を離れて自分の蟲箱の方へと近付いた。

 あれは、化野が手鏡を見ても見えるものじゃない。蟲なのだ。なんと言う名の、どんな蟲だったか、よく覚えていないが、確か何処かで読んだ。抽斗から幾つもの巻物を取り出しながら、ギンコは記憶を急いで探っている。そう、あれは自分の持ち歩いている書付の中じゃなくて、確か…。

 うつしひ…。そう、移緋という名前の蟲だ。淡幽のところで読んだのだ。どんな蟲だったかも思い出した。ちらり、とギンコは化野の後姿を見て、どうするべきなのか、暫し考えた。

 まだ大丈夫だ。色が淡いし、化野本人の様子にも、特に違った様子はない。それでも、いつどうなるか判ったものではない、とギンコは思った。
 自分がここにいられるのは、ほんの数日。しかもあの蟲は、払うとしても時期を選ぶ。今、無理に払おうとすれば、恐らく化野の目に、何らかの負担を強いることになるだろう。最悪、失明ということも…。ごく、とギンコは息を飲んだ。

「なぁ、ギンコ、俺は今から往診に行くんで、戻りは大体昼くらいになる。魚かなんか分けて貰ってくるが、海のと川のと、お前、夕飯にどっちがいい?」
 
 いつの間にか後ろに来ていた化野が、能天気にそんなことを言う。夕飯のことなんか、今はどうだって…。と思いながら、顔を上げたギンコの眼差しが、化野の目に再び釘付けになった。赤い。いや、さっきの薄紅色よりもずっと赤くなって、もうすでに緋色…と言ってもいい色だ。

「そ、その…往診、てぇのは、今日じゃなきゃ駄目なもんなのか」
「…いや。別に明日でもいいんだけどな。でもお前に喰わす魚を」
「なら行かんでくれ…。今は俺の傍にいて、俺以外の誰にも会うな」

 聞いた途端、化野はうっすらと頬を赤らめた。聞きようによっては酷く熱っぽい、愛の言葉のようなものを、ギンコがいきなり言葉にしたからだ。

「や…。う…うん、わかった」

 ギンコが何か、もっと嬉しいことを言ってくれるのではないかと、化野はどぎまぎしながらそのままそこに立っていた。だが、ギンコが眉間に皺を寄せ、蟲箱の抽斗の中を探り出したのを見て、ちょっとがっかりしたらしい。すごすご文机へと戻っていく。
 
 ギンコは抽斗の中から、蟲払いに使う道具や薬草を、幾つか手にとってはまた戻し、最後にある草の葉を選び出して、乾いたその葉に息を宛てて湿らせる。そうやって少ししんなりさせたその葉を、なるべく細く巻いて煙草に似た形にして、それを服のポケットへと押し込んだ。

「化野、ちょっと蔵まで来てくれ、話がある」
「…? 話ってなんだ」
「いいから来てくれ。ここじゃ色々、障りがあるかもしんねぇし」

 振り向いた化野の目の色は、ますます色濃い緋色をしている。先に立って蔵へと入り、扉を閉めて鍵までかけて、閉じたその戸に背中を寄りかけたまま、ギンコは言った。

「お前に、蟲が憑いてるんだ」
「…む、蟲が?」
「そう。払う方法は判ってるが、時期を選ぶんで今すぐは出来ない」

 蟲が憑いている、と言われ、化野は一瞬嬉しそうな顔をしたようだった。でもそれがすぐにがっかりしたような表情に変わって、彼はどさり、と二階への階段の上に腰を落とす。

「…そういうことか。なんだか、凄く嬉しいことをお前が言ってくれたから、舞い上がってたんだがな」

 落胆する化野の様子を、複雑な思いで見下ろして、ギンコはこう言ってやる。

「舞い上がりついでに教えるが、今、お前に憑いてる蟲はな、お前の願いを叶えてくれる蟲なんだ。化野、お前の今現在の願い事を、ちょっと俺に教えてみろよ。幾つでもいいぞ」
「…え? いや、そういきなり言われてもな」
「いいから言えよっ。それを聞いて俺も対処を考えるからッ」

 地団太でも踏みかねないギンコの態度に、化野は困った顔をしながらも、考え考え、願いとやらを言葉に変えていった。

「そうだな、まず…里のもんたちが、大病にかからないといいな」
「他には」
「薬が最近、ものによって手に入りにくくて、も少し安く」
「他には」
「もっと色んな知識を得て、早くいい医者になりた」
「他に」
「俺は…お前がずっとここにいてくれりゃぁ、と思ってるけどな」
「…無理だ」

 勇気を振り絞ってやっと言った、一番の願い事だったのに、ギンコはあっさりとそう言うのだ。無理なのは判ってる。だけど願いを叶える蟲とやらが、それを叶えてくれるなら、と、一縷の望みをかけたくて。

「じゃあ、つれないお前が、これからは少し俺に優しくしてくれたら、俺は嬉しいかなぁ」

 半ば自棄になって化野はそう言った。それを聞いてギンコは暫し顔をそむけ、愚痴を零すようにぼそりと呟く。

「俺は、そんなにお前につれないかね。…いつも『嫌だ』とは言わねぇだろが」

 欲しいと思っていたって、尻尾振って媚びられないのは、性分だから仕方ない。なのに化野はどこまでも引いてしまうから、いつまでたっても関係は乾いたようでさらりとしてて、求め合うのにも本心は隠したままになってしまう。

「ギン…」
「移緋っていうその蟲が叶える願いはな、恒久的なもんじゃ駄目なんだ。これからずっととか、この先とか、そういうのじゃなくて、多数の生き物や人が関わるのじゃなくて、今ここで数時間限り、せいぜい俺一人をどうかするような、そういう願いはねぇのかって聞いてんだ」

 早口でまくし立てられて、化野はそんなギンコを見ていた。ギンコは一瞬化野と目を合わせて、それから逃げるように横を向いて、ぽつりと呟く。

「願いを叶えたその後なら、移緋は簡単に落とせる。そうして無害な蟲になってすぐに消える。判ったらさっさと…」
「…ある」

 化野のその声は、酷く間近で聞こえた。直後に両腕を掴まれ、その美しく妖しい紅い目に、じっと見つめられてギンコは怯えた。

「あるさ、ギンコ。夕べだって、俺はほんとは…」

 そうだろうさ、とギンコは思っていた。思いながら彼の体はもう動かなかった。移緋は化野の願いを、その身のうちに取り込んで、紅い紅いその色を鈍く光らせる。

「ん…、ふ…ぁ…ッ」

 口付けされて、今度は動かなかったギンコの体が動く。だけれどそれは、彼自身の意思ではなかった。





 












 おかしいな、一説(?)には連載まず全て終わらせるって、言ってたはずなのに。でも書けるときに書いておこうと思っているみたいです。←ヒトゴトのように…。

 あな珍しや突発ノベルぅーーー。でもエロまでいかなかっ…。うぅぅう。まあいい、次回を楽しみにするさー。

 頑張るので、頑張ってくださいね、ギンコさんも←何故に限定。それは続きを見てのお楽しみ♪

 ありがとうございましたー。


10/01/29