つがい の とり ・ 2





 左の道を、ギンコは行く。北北東へ行く道。化野の里へは続かない道だ。ギンコが北へ行くのだと、思い込んでいるのだろう、あの蟲はすこぅし、北へと飛んでいって、すぐに気付いた。

 自分の選んだあの旅人が、後ろについてきていない。力強く羽ばたいていた翼が、ぐらり、と弱く揺れて、鷺はすぐ目の前の木の枝にとまり、首をあちらこちらへ向けて、旅人を探す。木々の枝の隙間、随分と離れた向こうに、白い髪の、翠の瞳の旅人が歩いていた。
 
 鷺は北へと嘴を向ける。行きたいのは北だ。自分を待っている「つがい」がいるのは、北なのだ。北へ行かなければならない。別の方角では駄目だ。どうしても北へ…。でなければ、この身は。

 ギンコの脚もまた、自分の選んだ道を行きながら、時折不安定にぐらりと揺れる。まるでその道をいくのを嫌がっているように揺れて、脚を止めたくて、止めたくて、彼は傍らに見つけた切り株に腰を落とす。

 疲れる。なんだってんだ。このくらい、いつも歩く距離だろう…。
 それほど坂が急なわけじゃない。
 石ころばかり、木の根っこばかりで、歩きにくいわけでもないってのに。
 北へ進む道ならば、平坦だとでも言うか。
 だから、そちらへいくべきなのだとでも、言うのか。

 はぁはぁと息をついて、顔を上げたその視線の先に、あの鳥が…鷺が居た。ギンコは一瞬、言葉も見つけられずに黙り、そうして苛立ったように言った。

「お前…! なんで…っ。こっちは北じゃねぇだろが! なんでこっちの道へ来たんだ。どういう事になるか、判ってねぇなんてこと、ないだろうが…っ」

 蟲に向かって叫んで、言葉が通じるとも思えないが、言わずにはいられなかった。実際、その鷺の姿はもう、輪郭から崩れかかって揺らいでいる。北へと向かうように生かされている姿は、それに逆らうだけで壊れてしまうのだ。このままでは「つがい」の相手と会えずに、消えてしまうだろう。

 くる、るる…。

 鳥は鳴いた。短く、か細い声で鳴いて、そのままそこに膝をついた。もう立っていることも出来ないのか、片翼を広げ、それでなんとか体を支えて、首をもたげてギンコを見る。

 北へ、どうか北へ。そう、言っているように思えた。北へ。会いたい相手が、待つところへ…。

「俺は、行かない…。どんなに辛くても行かないと決めたんだ…っ」
 
 と、その時、がさり、と葉を揺らして、ギンコが歩いてきた同じ道を別の旅人が進んできた。旅人は驚いたように目を見開いてギンコを見て、こう言った。

「大声出して、どうしたんだ、お前さん。辛いとかなんとか、怪我でもしてるのかい? 医家なら、北へ少し行った里に、いい人がおるよ。わしもそっちへ行くとこだが」

 背中に大きな風呂敷をのせて、人の良さそうな老人だった。化野の里へ、つまりは北へ行くのだという老人を、地面に座り込んだままで見上げ、ギンコは心底ほっとしたように、柔く笑った。それでもその笑みは哀しげだった。

「北へ、いくんだな、じいさん」
「おぉ、そうだよ。お前さんはそうじゃないのかい。辛い、と聞こえたが、体をどこか悪くしてるのなら、一緒にその医家、訪ねてやろうかね」
「いや…俺はいいよ。でも、真っ直ぐ北を目指してやってくれるか?」

 そこで消えそうになってる、美しい白鷺。
 あんたの目には見えてないようだが、
 どうかこいつにいざなわれ、北へと進んでほしいのだ。

 ギンコは切り株に背中を預け、ぐったりと疲れ切ったように目を閉じた。蟲を、助けることが出来たのが嬉しかった。北へいく理由が、ひとつなくなったのが、心に酷く痛かった。

「あんたの言うのは、よく判らんが、つまりは北へ行けというんだね? 自分はいかないが、わしには北へ進め、とな」
「そうだよ…。さっぱりわけが判らんだろうが、助けると思って、そう頼む」

 老人は首を何度も傾げながら、ゆっくりした足取りで、それでも道を歩いていき、きっと次の分かれ道で、北の方を目指していくだろう。そしたら白鷺の姿した蟲も、それを導くように先を飛んで、会いたい「つがい」の鳥に会えるだろう。

 ばさり、と羽ばたきの音がした。鷺があの老人の先になって、北を目指して飛んだ音だ。良かったな、本当に。お前が「つがい」の鳥と会えるよう。

「会えるように、祈っててやるから…な…」

 だから、どうか俺の分も、満ち足りて。

 ぽつりと言って、ギンコは木箱を一度背から下した。竹の水筒を出して、そこから温い水を一口、飲む。疲れ切った体から力を抜いて目を閉じた。喉が乾いていて、もう一度水を飲むために上を向き、その視線が元のように、北北東への道を映し…。

「お、おま…え…」

 ギンコは言った。視線の先にあの白い鳥が、立っていたのだ。折れそうに細い姿で立っている鷺は、やがてはよろけて土の上に座り込み、弱々しく首を曲げ、体の上にその首のせて鳴いた。哀しげな、弱々しい目をして、鷺はギンコだけを見つめている。

「なんで戻ったんだ…っ」

 折角、北を目指す旅人が居たのに、どうして。
 今を逃したら、もう、どうにもならないかもしれないのに。
 会いたい「つがい」にも会えず、消えてしまうのに。 

 くるる、くるるる…。

 細い声、消えそうに震える声。まるで、ギンコの本当の願いが、形をとってそこにあるかのように、鷺は哀しそうな姿をしている。北へいきたい。北へ、北へ…と泣いているようにも見えた。

 そうだよ。本当は、会いたくて堪らないのだ。
 お前は、俺の心の映し身かい。 

 行きたいのだ、あの医家の居る里へ。そうでなくば、この身こそもう、消えてしまうほど苦しい。会いたくて、切なくて。別の道を行けば、脚も、腕も、体のすべてが、辛くて辛くて壊れてしまいそうなほど、そんなにも。

 …会いたい。

 会いたいよ…。

 危険なことだと判っていても、いつか化野を、危ない目にあわせるかもしれないと思っていても、それでも会いたいこの気持ちは、ただの我がままでしかない。そしてもしも、化野が自分のせいで死んだりしたら、自分はひとり。ひとりになって、死ぬより苦しい孤独を知るだろうに。

 あぁ、それでも。…それでも。

 無心に、北を目指し、会いたい相手に近づいて行く、お前。
 たったひとつの相手を求めて、鷺の姿になって飛び続けるツガイドリ。
 どんなに苦しくとも、不安でも、別の道など選ぼうともせずに。

「なぁ…。俺は、お前が、羨ましいよ」

 ギンコは言って、少し笑った。それから立ち上がって歩いた。よろよろ、よろよろとしながらも、ギンコの前になんとか立った鷺の方へと近付いて、両手を差し伸べた。鷺は一瞬たじろいだが、逃げずにギンコの腕に捕まえられる。

「軽いな…。本当は、霧とか靄とか、そういう姿なんだもんな、お前」

 それに冷たい。だけれど、ギンコが鷺を抱いたまま山道から逸れて、正確に北の方角を選んで足を進めると、鷺の体は温かくなった。そうしてすぐに元気になり、やがては自分の翼で羽ばたいて、ギンコの先を力強く飛んでいく。

「愚かなんだよ、俺は」

 ギンコは言って、哀しげに笑った。あいつに会うのが、嬉しくて嬉しくて、苦しい。惹かれるほど、いつかくる別れが辛くなるのだと、こんなにはっきり判っていて、彼に危険を近づけると判っていて、それでも会わずには生きられない。

「いっそ、あいつの『ツガイドリ』に、俺もなりたいもんだよなぁ…」

 そうして他には何も判らずに、無心にただただ空を飛び、目指すあいつの傍らに添うため生涯費やして、あいつの腕で、満足に笑って死にたいもんだよ。

 ギンコは一瞬目を閉じて、片腕をそろりと横へ伸ばした。先をゆく鷺の美しい翼が、今だけ自分の腕であるように、ぱさり、と幻の音立てて、ひとつ、羽ばたきの真似事を。

 俺は お前の ツガイドリ …



 続
















 不調。すみません、Jさまーっ。あんまり本調子でないですが、よかったらどうぞ読んでやってくださ…。あ、ここを読んでるってことは、もう読み終えた後ですか。そーですよねー。それでもクサイ、この二話目のラストシーンが、結構気に入ってる私なのでした。

ギンコは「ツガイドリ」になりたかった。生れ落ちた瞬間から、「つがう」化野の傍らに添う、そのことだけを思って生きる。他の何ひとつ知らなくても、そうであれたら幸せだ、と。

 一人の人を強烈に好きであるという事は、他の何かが見えなくなるということ。相手以外見えない、盲目の人でありたかった、と…。


08/11/12