雪 原 相 思  … 前



 部屋の真ん中に布団を二つ敷く。今は真冬で、吐く息は家の中でも時折白いが、こうして並べた布団に、隣り合って寝ていると、そんな寒さなど感じやしない。

 三日前にやってきたギンコは、いつものようにあと四、五日はいてくれる筈で、それを思うと「まだそんなにある」と感じたり「それしかないのか」と感じたりして、複雑な気持ちだ。

 敷き終えた布団の一つに潜り込んで、隣室からギンコがくるのを待つ。調べた蟲のことなどを、さっきから熱心に紙に書き取っていたから、布団にくるのはもう少し後なのかもしれない。

 そうこうしているうちに、化野はうとうととまどろんだ。今日も昨日も往診が多くて、ろくに家にいられなかったから、実は酷く疲れている。

 床の軋む音に、ぼんやりと目を覚ませば、枕元のランプに手を伸ばしているギンコの顔が目に映った。

「あ、起こしたか。疲れてるみたいだな」

 やんわりと笑む顔は、どこかいつもと違うのだが、微笑みかけて貰える嬉しさに酔って、化野はその小さな差異には気付かない。ギンコの枕の傍には木箱があって、彼はそれを開いて何か小さな瓶の中身を見ていた。

 蟲が入っているのだろうが、化野には何も見えない。それをランプの灯りに透かして、視線をそこに置いたまま、ぽつりとギンコは言ったのだ。

残酷な、残酷な言葉を、無造作に。

「急だが、明日の明け方前に発つ。見送りはいらないから、お前はゆっくり寝てていいぞ、化野」
「…な…」

 胸に、深く亀裂が入るような心地がした。

「なに…言ってるんだ…?」

 何を思って、そんなことをあっさりと告げるのか、ギンコの気持ちが判らない。自分が想っているのと同じとは言わないが、少しは想われている筈と、そう感じていた心がひび割れる。

 振り向きもせずに、ギンコは言う。その手の中のガラス瓶を、深い碧の目で眺めて、酷く静かな顔をして。

「明日の夜あたりから、かなり荒れるようだ。それから五日は晴れ間が拝めなくて、雪も随分積もるだろう」
 
 ガラス瓶の中にいるのは「天詠み」という蟲だ。冬の間の変わりやすい天気を、数日前から読み取るようにして、己が身の色を変えていく。蟲師は必要な時にそれを見て、数日先の天気を知るのだ。

 青空が見られる時は紫紺。少し曇るなら藍。曇天なら青で、雪ならば白。吹雪くのが激しく長ければ、それだけその色は透明に近付く。

 瓶の中の天詠みは、今は目を凝らさねば見えないほど、くもりのない透き通った身をしている。いくら灯りで照らしてもそれは変わらず、明日か明後日には荒れるのは、間違えようのない事実。

 木箱の傍に瓶を置いて、ギンコは布団に潜り込む。それとは逆に、化野は身を起こし、ランプの淡い灯りの中、じっとギンコを見下ろした。

「四、五日荒れるんなら、その後で発てばいいだろう。これから吹雪くと判ってるのに、何も明日の朝発つことは…」
「雪が積もっちまったら、峠が越せなくなる」

 ギンコはゆっくりと化野の顔を見て、その目を逸らさずに、困ったように、また少し笑った。化野が何を言っても、何をしても、ギンコが旅に発つ予定を覆した事は、今までに一度もない。

 発つと言ったら、彼は発つのだ。

「もう灯り、消すぞ」
「ギンコ」

 一度布団から身を乗り出したギンコの腕を、化野の手が掴んで、そのまま自分へと引き寄せた。布団は跳ね除けられ、もうそこは眠るための場所ではない。

「…んん?」

 押し倒されて、挑みかかるような化野の目を正面から受け止めて、さらにギンコは薄く笑う。

「どうされても、明日朝、暗いうちに発つけどな…。だから…気の済むように、すりゃあいい」
「お前…」

 愛しさの裏側には、それと同じだけの憎しみがひそんでいるものらしい。こんなに想う相手は初めてなのに、こんなにも憎いと思える相手も、今まで一人もいはしなかった。

 噛み付くような口づけをすれば、血の味が僅かに口に広がる。気遣うなどと、そんな余裕はなくて、夜着代わりに貸した古い浴衣を、その肌から無理に剥ぎ取る。

 抵抗のない体から着物をむしり取り、乱暴に組み敷いて、さらに化野は苛立ち、傷ついた。

 責めても攻めても、ギンコは言葉通りに、明日の朝には居なくなるのだ。こんな事をしても無駄なばかりか、旅に発つギンコに、疲れた体を引きずって、雪の道を歩く苦吟を強いるだけだ。

 それは判っている。判っているが、憎くて切なくて、あまりに悲しくて。

「は…ぁっ。んく、ぅ…。あ、あだし…の…。あまり…無茶をするな。お前、疲れてるんだから。ふ…っぅう」

 殆ど息だけで綴られる声で、それでも化野の体を気遣うギンコ。

 そんな相手を、乱暴に押さえて四肢を付かせ、後ろから深く何度も突き上げる。無理に広げられた脚が、すっかり力を失って、けもののように這っていることも出来なくなるほど、散々に疲れさせた。


 冬の夜は長い。こんな日は、特に。
 
 酷く渇いた喉で、弱々しく咳き込むギンコに、最後には口移しで、水を飲ませてやる化野。汗ばんだ白い髪を、そっと指ですいてやると、半ば気を失いかけていたギンコが、微かに目を開いて言った。

「…あぁ…。もう、いいのか…? 化野。気は、済んだのか」
「済む訳がないだろう」

 そのまま化野は布団に潜り込み、ギンコに背中を向けて目を閉じた。その背中を暫く見つめて、ギンコは次に、枕元の瓶を見て悲しそうに唇を噛む。

 勾玉の形をした天詠みは、ほんのりと淡く輪郭だけを見せて、その透明な体で、数日後の吹雪を告げ続けていた。


     
                                   続











 またも冬のお話です。惑い星は雪とか冬とか、書くのが大っ好きなんですよね。もう三月も下旬なんだし、道路脇にしか雪が残ってませんが、ま、好きなものを書いちゃえーって感じで。笑。

 ある意味、ギンコさん、お誘い受だったと思いませんか??♪ 気の済むようにすりゃあいい…って、かなり萌えな発言ですよっ。きゃー。照。

 そして懲りず?にまた蟲が出ています。ちょい役ですけどね。やっぱり蟲、書くの好きですよー。前、後編同時アップなので、引き続き、読んで頂けると嬉しいです。どうぞーっ。


07/03/21







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