さびしがりやの花     前



「かあさん…っ、母さん、ねぇ、古垣根のおじいちゃんとこ行ってきたよ」
「そうかい。ちゃんとお礼とお別れ言えたのかい? かあさんも後から挨拶に行くって、きちんと言えた?」

 若い母親は、子供らの声に振り向いてそう聞いた。古垣根の家は、ここから少し坂を上った、突き当りにある家で、傍には他に家が一つもなく、酷く細い道もそこで行き止まり。

 その家には古い壊れかけの垣根があり、その中が広く草の原になっていて、子供らが鞠などで遊ぶのにはぴったりだった。だから老人ひとりきりしか住んでいないその家の庭先で、いつも子供らを遊ばせて貰っていたのだった。

 四つと六つの子供らは、二人仲良く手を繋いで、遊びすぎてボロボロになった鞠を手に、母親の問いかけに首を傾ける。

「あんねぇ、おじいちゃん、いたけど、途中でいなくなったよ。だからお礼言ったけど、まだお別れ言えてない」
「母さん、あいさつ来るっても、だから言ってない」
「…えぇ? 家ん中入っていっちゃったのかい? あぁ…もしかしたら、もう会えなくなるから、淋しいって思って、お別れ聞きたくなかったのかもねぇ」

 母親は頬に手を当てて、淋しそうにそっと微笑んだ。脳裏にはいつも、あの家の縁側に背中を丸めて座って、子供らの方をじっと眺めている、あったかで優しそうな老人の笑い顔が思い浮かぶ。

 白っぽくくすんだ色の着物を着て、手に白い杖を持っていて、髪も、長い長い髭も白くて。酷く無口でどんな声をしていたか、思い出せないくらいなのだが、とにかく静かな老人で、子供を見ていてくれるのが、いつもとても有り難かった。

 朝仕事で海辺へ出る前に、子供らをそこまで連れて行って、おじいさんの笑顔を見て、朝の挨拶をして、夕方家に帰る前に、またそこへ行って、子供二人の手を引きながら、笑いかけて今日のお礼を言う。それがここ数年の彼女の日課だった。

 それが無くなると思うと、彼女だって淋しいし、子供らもきっと、酷く淋しいことだろう。隣の里になど越さずに済めばいいものを、そうもいかなくて、彼女はふ、と溜息をつく。

「淋しくなるよねぇ、お前たちも…きっと、おじいちゃんも」


 *** *** ***


 ギンコが里へ足を踏み入れた途端、道の向こうから化野が走って来るのが見えた。だからギンコは足を止め、彼が来るのを待っていたのだが、化野は傍まで来る前に、脇道へ逸れて行ってしまって、懸命に走る横顔が、ギンコからまだ遠く見えた。

「…おい…っ、化野っ」
「えっ!? あ、ああ、ギンコっ。来たのか」

 ギンコが速足で近付いていきながら呼ぶと、困ったな、と言うような顔をして、化野は同じ場所で何度か足踏みをする。

「今、その…取り込み中で、家に行って待っててく…。いや、お前も来い。いいから来いっ」
 
 駆け寄ってきたかと思うと、有無を言わせず化野はギンコの手を掴んで引いた。何か蟲に関わることでもあるのかと、手を引かれながら尋ねると、化野は、いいや、と首を横に振る。

「そうじゃあないが。ただ、折角お前が来たのに、離れて居たくないんだよ。それくらいならついて来て貰いたいなと、そう思ってな」
「なんだそりゃ」

 言いながら進んで行く化野の歩みは速い。旅を歩き慣れたギンコは苦もなくついて行くが、何やら喋りながら行く化野の息が少し上がっていた。

「なんかな、里の外れに一人暮らしのじいさんの、姿が昨夜から見えないっていうんだよ。家の中もなんだか変だと言うしな」

 家の中を探してみたら、中は随分と荒れていて、何年も、人の住んでる様子は無いらしいのだ。けれども昨夜は確かに、老人はそこに居たし、十日前ほどまでは、子供らと一緒に、毎日朝な夕なに挨拶もしていたという。

「…ほぉ。で、毎日見ていたのに、今は姿は見えないと、こう言うわけ、か」
「あぁ、そうだ。神隠し、かね。…まさかな」
「……さて。違うんじゃないか? 多分」

 ギンコが何か言いたげに、微妙な言い回しで返事をする。化野は思わず歩きながら振り向いて、彼の顔をじっと見るが、そのまま数歩行って石に躓いた。

「あ、い、ててて…っ」
「歩くときは前を向いてた方がいいな、化野せんせ」
「お前が変な言い方をするから」
「俺のせいか? まぁ、いいが、あれが件の家だろう。手ぇ、そろそろ離してくれんかな」

 自分がずっと、ギンコの手首を捕まえていたのに気付いて、化野は幾分慌てて手を離す。離すと同時に、傍の木陰から二人の子供が駆け出してきた。小さな子の方は、大事そうに鞠を持っている。

「あ、お前たち、じいさん、見つかったか?」
「ううん、いないよ。ゆうべ消えてから、ずうっといない」
「うん、お話してるときにね、消えたの」

 子供の言うことだ。奥へ入って姿が見えなくなったのを、消えたと言ってるだけだろうが、妙に気になる言い方だ。やはり神隠しなのかと、化野は思わずそう考える。

 もっと詳しく聞こうかと、子供の前にしゃがもうとすると、それへギンコがいきなり割って入った。

「…化野、あめ」
「は? なんだって?」
「飴だよ。飴。持ってないのか、しょうがないな」

 とかなんとか言いながら、ギンコは背中の木箱を下ろし、蓋を開けて中から綺麗な色の飴を取り出す。そんなものまで入っているとは知らなかった。

「そら。一個ずつな。ちょっと話、聞かせてくれるか? 何、じいさんのこと、少し聞かせて欲しいんだよ」

 子供らは嬉しそうに飴を舐め、そうしながらギンコの問いに答える。ギンコはたったの二つだけ聞いて、それに答えを得ると、子供らの頭をちょいと撫でて、どこか嬉しそうに穏やかに笑うのだ。

 じいさんの声、聞いた事あるか?

 じいさん、いつも同じ場所にいたろ。
 そこから立って歩いたりするの、見たことあるか?

 問いはその二つだけ。子供ははっきりと、二つの問いそれぞれに、首を横に振って見せたのだった。



                                   続








 この写真は、加工前のものが風景ブログ載ってます…けども、まぁ、どうでもいいか。笑。このノベルの内容にピッタリだって思ったんで使用。夕焼けって好き。毎日違った色で、優しくて。だから何度も夕焼けシーンを書きたいです。

そして、手を繋ぐシーンも好きですよ。あはは。では、同時アップの続きをどうぞっ。


08.03/10