落 命 の 淵 6
「どうして眠らない。傷は殆ど治っても、使い切った体力は簡単には戻らんのだから、丸一日でも寝てるべきだぞ。こら、起きようとするな。目ぇ閉じろっ」
「…あのなぁ…」
里人らが帰ってしまってから、化野は包帯を替えてくれたし、着物も着替えさせてくれたし、粥も作ってくれた。…が、台所に立つ間なんぞ、二呼吸する間ごとに、鍋やしゃもじを片手に、ギンコの姿の見える場所までくるのだ。
目を離してなるものか、とその顔がずっと言っていて、それは半日以上が過ぎた今も変わらない。ギンコは呆れ顔で溜息をつき、じっと化野の顔を凝視しながら言った。
「…お前な。そうじろじろ見られてちゃ、眠れるもんも眠れないだろが。それにお前だって、随分と…寝てない筈だぞ、俺の、せいで」
区切りながら言う、しまいの言葉が震えていた。心配かけたのは痛いほど判っている。でも、このままでは化野の体の方がおかしくなってしまうだろう。この男はこうして自分の傍らにいて、もう何日寝てない?
「約束する…。逃げない。ここにいる。絶対にだ。少なくともあと四日はいるつもりだ。だから、お前こそ寝てくれ。倒れちまう」
そう言われた化野は、珍しくもきつい目をしてギンコを睨み据え、深く怒りを含んだ声で言うのだ。
「お前…自分が俺に、どんな思いをさせたのか判ってない。寝ろだと? この瞼閉じて、お前から目を離せと言うのか? 出来きるものか。…気が狂う」
「……あぁ……」
胸が痛んだ。零れたのは、ギンコの嘆息だった。こんなにも、こんなにも優しい男に、あんまり辛い思いをさせ過ぎた。いっそ憎まれても仕方ないほどの苦痛を、ギンコは彼に味わわせた。
あだしの、と彼は言う。乾いた唇を小さく舐めて湿らせ、ギンコは閉ざしていた思いを、彼に話す決心をしたのだ。
「いいか。話すから、よく聞いてくれ。お前が、何度も何度も俺に聞いたことだ。お前にこんな思いをさせた、その全部の理由がそこにある。聞いたら安心して、もう休んでくれ。…頼む」
*** *** ***
焼かれた村のあちらこちらに、もう魂のない骸が転がっていた。あるものは焼け爛れ、あるものはさらにその上獣に食われて、正視できぬありさまだった。
それら骸の幾つかに、くすんだ青の蟲が見えた。「喰爛」という酷く稀な蟲だった。つかれたものは、立てないほどの酷いだるさに襲われる。が、大概、それは一時だけのこと、三日もすれば取れて余所へいくから、それほど恐れるような蟲ではない。
ついては三日で取れ、また近くの生き物については取れて、余所へ行き…。ただ、それが知識のないものから見れば、得体の知れぬ流行病のようにも見えてしまう。
そうしてあの里は、親しくしていた近隣の里に見放され、移されては堪らぬ、と、焼き払われてしまったのだ。
焼かれず生き残った青い蟲らは、急ぎ、隣の里へと流れ移る。流行病に見える現象が、そうやって移っていけば、そのさらに隣の里が、病に犯されたその場所を焼き払いにきてしまう。
だから、ギンコはその里人を助けるために、蟲らの命を犠牲にしたのだ。物言わず、叫び声も上げず、恨み言をも言えぬそれらを、おびき寄せて焼き払ったのだ。
蟲が要因とは知らずに、誤って隣里を焼いたあの里人。
蟲が悪いわけではないと知っていて、それでも蟲たちを焼いた蟲師。
非道いもんだろう、と、ギンコは言った。歪んだ笑いを見せる彼に、化野は哀しげな目を向けて、静かに宥めるように言った。
「でも…それは、仕方ないことだろう。お前がそうしていなければ、その里人もまた焼かれた」
ギンコは弱々しく首を横に振り、いいや…と否定の言葉を吐いた。
「訳を話しゃいい事だ。あんたらが隣里を焼いたのは無意味だった。蟲を払いさえすれば済んだのだ、とな」
でも、それは想像するにも辛い役割だったから、ギンコはその時、罪もない蟲を焼き払う方を選んだのだ。人とは似ても似つかぬ姿をしたもの、人の言葉など話せぬもの、それ故、恨み言など言わず、ただ美しい青に揺れて消え去るだけの蟲だと、判っていて殺した。
その上、考えてみればいい。ワタヒコを、殺さずに持ち歩いていたのは何故だ。
角瓶の中のワタヒコが死んだ時に、その理由にも思い当たった。人の言葉を解し、人の姿の蟲で、だから殺しにくかったし、持ち歩くことで「こうして命を救ったのだ」「助けられるものは、ちゃんと助けているのだ」と、己を慰めるためにだったのだ。
なんと愚かしい、醜い者よ、と、
殺し続けた無数の蟲らが、声無き声で責めている気がした。
生まれた時に与えられた、お前の「生きる権利」なんぞ、とうの昔に擦り切れて、もう生きている価値などない。死ぬべきなのだと。死んで償うべきなのだと。
そこへ火から逃れた一匹の「喰爛」がついた。死へと魂を傾け始めたギンコの体に、深く深く入り込んで、弱った心を蝕み続け、その心が望むままを、手助けするように傷を腐らせた。
そもそもあの蟲は、人の心に反応して離れていく蟲だ。三日も寝込めば誰しも少しは「治りたい」と思う。「まさか死なないだろうな、死にたくなどない」と思い始める。その心に呼応して、そのものの体を健康体へと戻し、離れて別の者へと渡って行く。
なのにギンコはその逆だった。死にたいと思い、死ぬべきだと思い続けた。その為にこの傷は塞がらぬ方がいいとまで思っていた。喰爛はその願いを喰い、さらにギンコの正常な意識を爛れさせ、その先の死へと転がり落ちさせていたのだ。
「ギンコ…」
話をそこまで聞いて、化野はぽつりとギンコの名を呼んだ。
「じゃあ、今は死にたいなんぞ、思っていないということだな。生きていたいと思ったから、その蟲は離れてったんだろう。だから傷も治ったんだな。そうだと言えっ、ギンコ。はっきりそうだと言ってみろ…っ」
激しい言葉に、ギンコは驚いて顔を上げ、頷いたか頷かないかの間に、強く化野に抱き締められる。
「草でも獣でも、それこそ蟲でもな…命はみな同じ重さだろうし、そのことに異論なんぞないが」
誰かに聞かれちゃ、やっぱりまずいかと、化野はギンコの耳に口をつけて、小さな声でこう言った。
「お前と自分の命はな、やっぱり俺には特別だ。お前が死んでも俺自身が死んでも、俺はお前に会えなくなるんだ。それだけは嫌だ。生きたい、生きたいんだ、まだまだ何年も何十年も。それでな、俺は、これからもずうっと、ここでお前を待つんだ」
「あ、あだし…の…」
顔、見せてくれ…と、唐突にギンコは言った。抱き締める腕を解くのが嫌そうだったが、化野はそっと抱擁を緩めた。間近で見る化野の顔が、本当にしばらくぶりにはっきりと見えて、ギンコは苦笑してしまう。
あんなに青灰色にくすんだ視界をずっと見ていて、目に潜んでいた喰爛に、気付かずにいた自分が、あんまり愚かで、笑うしかない。それに、化野の言う通りだ。
生きる価値など無い命でも、底が見えないけど罪深くても、化野に出会えたこの「生」を、ここでいきなり終りになぞ、勿体無くてできやしない。
もう一度強く抱き締められ、そのまま布団に押し倒され、首を仰け反らせたギンコの視野に、卓へ置かれてある角瓶が入った。喉を吸われ、寝巻きの着物の襟を広げられながら、ギンコは目を見開き、唐突に化野の体を押し退けたのだ。
「お、お前ッ…、なんで…っ」
続
いや、こんなところで続くにするつもりは無かったけど。なんだかダラリと長い説明文で、ほんとうに申し訳なく思いますー。次回は、あのっ、緑色の「でろり」が帰ってくる〜??
あっ、おバカな執筆後コメントですみません。とにかく帰って?くるので乞うご期待! それと、もうちょっと二人にラブラブさせたいと思ってます。えぇ? あいつの前で? どうなのかな。うふふv
08/03/20
