落 命 の 淵 2
ひと月前のことだ。ギンコは死んだ村を通り過ぎた。村の家々はみな焼けていたし、道にある里人の遺体は、獣に食い荒らされて骨になりかかっていた。
あぁ…
仕方なかったんだよ
あそこで酷い病が広がってな
こっちにまでそれが来ては困るから
そうならないように焼いたんだ
胸の痛むことだが
こっちとて生きていかにゃならんのだ
近隣の里の者たちは、皆そう言って項垂れる。
それは違う…と、ギンコは言わなかった。病のように見えて、それは病ではない。「喰爛」という蟲が付いていたせいだ。里人はみな動けなくなり、床に伏し、病のように見えたかしれんが、蟲を払いさえすれば人死になど一つもいらなかった。
けれどももう済んでしまったこと。無理やり絶えさせられた命を、取り戻す術などはない。そうしてもう一つ、ギンコは判っていて言わなかった。この里にも今、その同じ蟲が蔓延っているのだと。
ギンコは里の真ん中にある原に立ち、そこで光酒を大地に振る舞った。そうして一晩待ってから、最初から枯れていた草に、ゆっくりと満遍なく火を放ったのだ。
天へ立ち上る煙に気付いて集まってきた里人に、何をするんだ、と罵られた。理由は言わない。口々にギンコを攻める彼らとギンコの足元で、ゆらゆらと炎に揺らめきながら、青鈍色の蟲が溶け崩れて死んでいくのを、ギンコだけは見ていた。
「なに、ただの送り火だ…」
そう、ギンコは言った。近隣の里を焼き払った彼らは、もう何も言わずに彼に背を向けた。仕方ないだろう、と彼らの背が言っていた。仕方なくなどない、とギンコの目が虚ろに揺れた。
生まれた来た命に、仕方のない「死」などないのだと、ギンコは思っている。人も獣も草も、蟲も同じだ。だから罪なのだ、俺がこうして蟲を焼いたのも。あの日、幼子の姿の彼らの身に、毒を含ませたのも。
そうしてギンコは歩き出し、角瓶の中の「彼」に話しかける。
「…まだ眠らんのか? お前」
眠くならんうちは眠らん 放っておけ お前こそ 殺さんのか
「言ったろ。寿命のあるうちは生かしとくさ」
命を絶つ権限など、誰かから受け取った覚えなどない。自分で得た覚えもない。なのに繰り返すこの罪は、いつも、何処に捨て置いているのだろう。
壊れそうだ。と、ギンコは思った。何がだろう? 判らない。考えては駄目だ。確かに与えられた命を、寿命のあるうちは生かし続けて、日々を過ごしてきた。これからもそうするだけだ。
ある日、また話しかけた。
「おぃ、静かだな。ワタヒコ」
… ヴ ゥ …
「んん? どうしたんだ、とうとう眠るのか?」
ちが…ぅ 眠くは…な…
懐の角瓶が、ほんのりと温くて、いぶかしんで取り出したその目の前で…。ワタヒコは、姿を変えていた。
まだ し 死にた…く な… むし…し…
緑の色だったものが、今は殆ど砂の色。どろりとしていた姿も砂と等しく、顔形なども崩れて、声はそこで途切れた。
「ワタ…ヒコ…」
脳裏に、突然、大量の何かが流れ込んできた。
死にたくないシにたくない
助けてくれタスケテ
悪くないワルくないのに
タダただ生きて
うまレたから生きてきただけ
なのにコろすか
オマエに
なんの正しさが
アるのだ
「あ…ァ…」
胸が痛い、熱い。脇腹が痺れる、熔けそうだ。意識が、脳が、コワレテ、しまう。罪は捨て去ってなどいなかった。捨てたつもりで、持たぬつもりで、それは全部、押し込めて積み上げて隠し収めてきただけだ。
もう、溢れるほどの、暗い…黒い…塊。
傍らの木の洞に頭や胸だけ入れて、そのまま倒れるように横になり、ギンコはそのまま数時間、意識を失っていた。その間に雨が降りだした。冷え込む夜と明け方を経て、気付いた時には、罪の入れ物の口が、裂けていた。
俺は罪を、こんなとこに隠してたのか。もう入り切れなくて、こうしてここが裂けて、中身が零れたのか。ならば傷はもう、二度と塞がるまいよ。
罪は黒い色だと思っていたものを、意外に赤くて綺麗な色だ。だけどそれが空気に触れて乾くと、こんなに濁って汚くなる。あぁ、ほら、そうだろう。じくじくと穢れた色まで混じってきて、さすがに無数の命を、擦り潰してきた罪の色だよ。
その罪に殺されるのなら、否やとは言えんさ。
せいぜい苦しんで、苦しんで、
苦しみ抜いて、それから死ねと言うのだろ。
判ったよ、ワタヒコ。
判ったよ、数え切れない死んでった蟲達。
*** *** ***
見ている前で唐突に、また意識を失ったギンコの姿を、化野は固く唇を噛んで見ていた。どんな苦しい夢を見ているのか、ギンコの寝顔は歪んでいる。
いたわるようにそっと、手を伸ばして髪を撫でれば、軽く触れた彼の額は火のように熱い。冷やしてやらねば、と、床を立つ前に、ギンコが体の下に、抱き込んでいる角瓶に目が止まった。手を伸ばして取ろうとする。
しっかりと、指先の色が白くなるほど強く握っていて、瓶を取り上げる事はできないが、その中身は化野の目に、ただの砂か土のように見えた。
「…待ってろ、今、額を冷やしてやるからな」
死なせんぞ、ギンコ。
例えお前がそうと望んでいなくとも。
続
ギャーッ。叫ばれる前に自分で叫んでみました。スイマセンスイマセンスイマセン。話進んでませんぜ、むしろ回想シーンなどやっていて、ガッツリ後ろに下がりましたか。
予定になかった蟲エピソードなど入れたら、話に深みが出ましたか? 出てませんか気のせいですか、いやいや少しは。
この話を読んだあと、ブログを読みにいかれる方は、すっかり余韻?を味わって、もういーや、と思ってからにしてください。ネタバレのような馬鹿話をブログでするつもりです。
では、また次回。
08/02/06
