蟲 箱 師 9
いつものように、なぁ、ギンコ。お前に、だけは、他の誰にするよりも、じっくりと、時間をかけて、蟲をつけてやろうとて。だから眠りよう。心だけは少しぅ、覚めておりようとても、体は動けぬように、深い深い眠りの底にな。
たとい、触れゆうのが、判りようとて、どうせ逃げられはせん。今、この時の間だけは、お前は俺の、思いのままぞ。
「…ふ…っ、…ぁ…」
低く、嗚咽が零れた。ギンコの片手の指が、軽く小さく畳を掻く。びくり、と体を震わせて、仰のいた首が、微かに左右に揺れていた。上から下まで全て、身に着けていたものを剥がれ、四肢を投げ出した格好で、ギンコはうっすらと目を開けている。
その片脚の膝裏を捕らえて持ち上げて、足首を掴み、九重はギンコの足裏に、緩やかな動きで歯を立てる。背中を丸めた格好で屈んで、べろり、と九重が彼の足指を舐めれば、ギンコは微かに眉根を寄せて、何も無い中空を見上げた目を、じわりと潤ませた。
九重の舌や、歯の感触と同時に、何か小さなものが、さらさらとギンコの肌に触れる。それは少しだけギンコに触れては、すぐに怯えたように離れて、九重がギンコの体の別の場所を噛むと、またさらさらと肌に触れてくる。
九重はギンコの足首を噛んだ。ふくらはぎへも歯を立て、膝を舌でなぞり、大きく開かせた脚の、大腿の内側にまでも喰らいつく。その行為のせいと、蟲をそこに入れているせいで、口が常に塞がったまま、彼は心で蟲に話しかけている。
きれい、だろうが…。ギンコの、体は。
髪も、肌のどこかしこまで、ぜんぶ、ぜんぶこれほど白うて。
あぁ、体だけじゃあ、ありやせんよな。
心も… 心も清いぞ、この男は。
蟲よ、お前は清いを慕う蟲のようとて、
この男なら、否やはなかろうが…。
心配なんぞ、せんでいい。
俺がこの男の隅々までをも、今からぜんぶ見せようとて、
それからゆるりと、住み移りゆうていい。
どこが見たい? どこへ触れたい?
俺は蟲箱師ぞ、蟲の願いを知り得ようとて、それを叶えるものぞ。
蟲へと語りかけたあと、九重は何かを聞いたように、ギンコの大腿から顔を上げた。ギンコは声すら立てられないまま、ひく、ひく、と時折しゃくりあげるように喉を上下させている。彼は酷く、感じているのだ。九重の焚いた香には、そういう効もあるのだろう。
視線の端に、ちらり見えたギンコのものには、指先すら触れようとせず、九重はギンコの顔の両脇に手を置いた。
いい塩梅とて…。
ギンコ…新しくお前に憑いてくれゆう蟲は、
すでにお前を随分気に入っとう。
九重はギンコの髪に触れ、それを掻きあげて片耳を露にさせた。その耳穴をじっと眺めると、躊躇い無くそこへ口を寄せる。蟲をどうやって入れようか、耳穴からという手もある。耳が駄目なら、鼻か? 口か? それとも、少し狭いが、後ろの穴か、それより狭い前の穴。
長々と凝視されて、ギンコには、無言のままの九重が怖い存在に思えてくる。
「…ぁ……」
ギンコが小さく声を立てた。細く開いた目は虚ろなままで、眉を寄せた辛そうな顔を、九重はさらに黙って眺める。ギンコの眼窩の穴にすむトコヤミがかすかに騒いでいるのだ。他の蟲を今、傍に寄せるのは避けた方がいいと判る。
九重はやっとギンコの顔から視線を離すと、無造作に彼の体をうつ伏せにさせた。ここならトコヤミからも遠く、多少無理に広げれば、口の次に大きい穴。
片手を尻肉にかけて、九重はそこを割り開いた。さすがに、今まで、そこまでを目にしたことはなかったが、まるで小さな薄桃色の菊の花のように、可愛い穴がそこにあって、無言でさらに尻肉を割る。
うつ伏せにされたギンコの体は、細かく震え続けていて、畳の上に投げ出されている手は、やはりそこへ小さく爪を立てていた。気を失っているわけじゃない。ギンコにはずっと意識があるのだ。ただ、夢の中のようにそれはおぼろで、体が少しも動かないだけのこと。
「…、ゃ…め…」
あぁ、ギンコ、それほど怖いか。
どうせ、蟲憑けの間のことは、
胸に欠片も残らぬ夢と同じことぞ
今までと同じに、俺に体を預けおれ。
それとも、イロの出来た今は、
たとい蟲箱の為でも、どうしても嫌か?
「こ…こ、の…」
ギンコが自分を呼ぶ声を聞きながら、九重はとうとうそこへ顔を寄せたのだった。
* ** ***** ** *
今の、音は…?
夢の中に心を漂わせていた化野は、遠くの部屋で何かが倒れるような音を聞き、目を閉じたまま眉をしかめた。酷く疲れていて、中々目が開かないのを、無理にでもゆっくりとあけると、ギンコに羽織らせた着物の柄が見える。渋い灰蒼色の青海波の模様。これは化野の気に入りだ。
ギンコ、まだ眠ってるのか、それなら起こすもの悪いから、俺ももう少し…。ギンコが着ているはずの着物の柄だけで、ぼんやりと化野は満足し、そのまま再び目を閉じた。
睡魔がまだ、彼の体を包んでいる。もう一度、眠りの中に彼は落ちていこうとしていた。だが、唐突にぱちり、と目が開いて、彼はゆっくりと起き上がった。
「……この匂い。なんだ? どこかで嗅いだことがある…」
目を細めて、化野は思い出そうとした。日常的にそばにある匂いじゃない。ほのかにしか感じないのに、一度気付いてしまえば、そのままにしておくのが怖いような…そんな匂い。
「これ…は…」
がばり、と化野は起き上がった。ギンコの姿がない。ただ、彼へ着せていた着物が放り出されてある。
化野は無意識に自分の着物を引っつかみ、殆ど走るような勢いで歩きながら、裸の体に纏いつける。回り廊下に足音を立てながら、化野は九重に貸している部屋へと急いでいた。
匂いは濃くなり、やがては薄っすらと白く、煙のように漂うのが、朝の光の中に見えていた。とうとう部屋の前に着いた。不安がつのる。声など掛けている余裕もなく、そんな場合じゃないのだと、化野は閉じた障子に手を掛けた。
そうして、彼は、見たのだ。身を屈めている九重の背中と、その体の向こうに横たわる、ギンコの…、一糸纏わぬ…。
「…貴様…ッ!」
怒声を放って、化野は九重の肩を掴んだ。だから、彼をギンコの傍から引き剥がそうとしたのに、その体はびくともしなかった。掴んだ肩は、がっしりとしていて、それだけで自分が九重に叶うはずが無いと、心のどこかで理解する。
「ギンコに何をしているっ、離れろッ、こ…の…っ」
そこまで言うと、九重はやっとゆっくりと振り向いた。淡々とした目で見据えられたが、化野も怯まない。それどころか、九重の手が、ギンコの裸の脚を掴んでいるのを見て、さらに激昂した。
「その手を離せっ。俺のギンコにッ!」
「お前の? 誰がそうと決めようた? ギンコは理由があって俺に蟲憑けを依頼しゆうぞ。その意味も判らんと、余計な口を…」
「うるさいっ、黙れ! 何がどうでもこんな…麻薬なんぞ吸わせてすることに、なんの正義があるというんだ…ッ」
漂っているのは麻薬の香りだ。匂いは淡いが、強い効き目がある種類の。ギンコは九重を疑うこともしていないのに、結局この男は、ギンコの信頼をいいことに、こんな卑劣なやりかたで…。
「お前っ、この家から、すぐに出て行けっ」
叶わないと知りながらも、化野は九重の服の襟に掴みかかった。必死に揺さぶれば、九重の片手がゆらりと動く。その手は、炎来樹を込めた蟲箱師の手だ。九重がその気になりさえすれば、化野は酷い火傷を負わされてしまう。
「…や…め…、ここ…の…」
ギンコの声が、切れ切れに零れるのを、二人ははっきりと耳にして、それぞれに彼を振り向いた。身動き一つ出来ないまま、ギンコは片方の目から涙を零し、化野の方だけを、真っ直ぐに見つめていたのだった。
続
ラストが見えてきましたので、本日は二話同時にアップしてます。、とは言え、今書き上げているのが十話までで、次回で終わるのかは甚だ疑問。もう一話くらい伸びるかもねぇ。
少しは九重の過去の話もしたいし、彼だけ寂しいまんまも嫌ですもの。オリキャラには愛着を持ってしまう惑い星なんです。すまんの、つい。
さて、次の十話目もどうぞー。
10/09/05
