蟲 箱 師 8
血が、とろとろと喰らわれ、燃やされゆきよう
熱うて、あぁ、熱うて …
苦痛に、九重は意識を飛ばしかけていた。だけれど気を失えば、逃げようとしている炎来樹が暴れ出る。この家どころか、下手をすれば、小さい山一つくらい、簡単に灰になってしまう。ぐ、と歯を食い縛り、九重はこぶしを握る。
燃えたいとてか 炎来樹。
悪いなんぞは言わん。
判っとう、それがお前の生き様よなぁ
俺にはちゃんと判りようで。
この身に守りゆうのが、お前だけじゃあなく、
お前はきっと、苛立っとうなぁ。
あぁ、判りゆう。俺もきっと…同じぞ。
ギンコの胸に住みおりゆうは、俺だけじゃのぉて、
いっそ俺など、すぐにも追い出されんとて…
寂しいよのぅ 辛いよのぉ
ギンコは 俺のもんじゃあ無しにな
蟲すら見られん、あの男の…
ごぉ、と一つ、音が鳴ったと思った。九重の胸のうちで、何かがふつりと、焼き切れた。それを境に、両腕の熱は少しばかり大人しくなって、荒い息つきながら、九重はふらふらと立ち上がる。
よろめいて障子の枠に手を掛ければ、触れた紙に、じわり、焼け焦げができていくのだ。静まったとは言え、まだこんなに熱を放っている。加えて、彼の胸は酷く冷えていた。平常な体温でいるのは首から上のみ。その温度差だけで、体は無音の悲鳴を上げる。
「おいっ、九重…っ」
がたん、と障子が揺れた。九重が手を置いているから、障子は開かれなかったが、向こうにギンコが来ていて、震える声で彼の名を呼ぶ。
「九重、大丈夫か…っ。蟲が暴走してんじゃねぇのか。ここ、開けろっ」
「ギン…コ、なら、俺と…死にゆうか? 覚悟もなくば、愚かを言う…な…」
「馬鹿を言ってんじゃ…。開け、ろ…ってッ!」
ぐ、と強く力を込めて。殆ど無理やりにギンコは障子を開けていた。横に動きはせず、一枚が外れてずれて、障子は廊下へと、倒れる。開いた障子のその向こうの、人の形の塊が、ぐらり、揺れてギンコへと倒れ掛かってきた。
「…手ぇ…に、肌で、触れようて…くれ…るな……」
「何…。ぅ、あッ!」
ちり、と手首をかすめた九重の手の、その熱さ。火、そのもののような熱に、ギンコはたじろぐ。九重はぶらりと手をたらして、肩と胸とでギンコに寄りかかる。一瞬触れた手が、そんなにも熱いのに、重なった九重の胸も肩も、まるで、氷のような…。
「こ…ここの、え…」
「…は…。なにを、驚いとう…。俺は蟲箱…師ぞ…。蟲をこの身で飼いようとて、何ぞ驚きゆうことの、一つたりとて、ありは…せん」
そう言いながらの、九重の苦しげな顔。唇はがくがくと振るえ、体が引っ切り無しに痙攣する。ギンコは蒼白になりながら、ぎり、と奥歯を強く噛み締めた。こんな無茶をしろなどと、言ったわけじゃないが、これはまさに、彼の依頼を受けたためにしている無茶だ。
ギンコは九重の肩を掴んで、辛そうにしながら九重の顔を間近で覗き込む。
「やめてくれ、九重っ、命掛けろなんて俺は言ってねぇよ。急がせた覚えもねぇ。雪花氷種と…何か火みてぇな質の蟲と、それに、別なのをもう一つ、同時に身に入れてんだろうっ。いくらなんでも…っ」
「…うるさいヤツよ、の。こんなのは…ただ、ちぃと、ヤケになりゆうて…っ。あぁ…見ておりようが? ギンコ…」
見ているか、と、そう九重は言ったのだ。幾らか、狂気の混じったような血走った目をしながら、九重は浅く早い呼吸を、ほんの少しずつ、少しずつ静めていく。ぜぇ、ひゅう、と、苦しげな音を喉で、胸で鳴らしながら、口の中で、何かを呟いていた。
エンライジュ…今は、無理とて、いつかは火ぃん中に戻りゆけよう。
せっか、ひょうじゅ…も、苦しいだろが、も少し、耐えおりいてくれ。
それから、まだ名も知らぬとて、お前、白い、きれいな花よ、なぁ。
お前は今から、よい住まいに移りゆくとて、おとなしゅう…。
ギンコに肩を支えられ、胸で彼に寄り掛かって。そうしたままで、九重は青い顔したまま、にやり、と微かに口で笑った。
「見…ろ…。蟲とて、それぞれ、心というもんが、ちゃあんと在りゆう…」
「…無茶、しやがって。…わっ」
がし、と、いきなり両腕を掴まれて、ギンコは思わず声を上げた。ついさっきまで火のように熱かった九重の手は、今はほんの少し温度が高いだけの普通の手だ。重ねた胸も触れている肩も、氷みたいに冷たくはない。
ほっとして、それでももう一度心配そうに見れば、その目を覗き込みながら、九重がいきなりこう言ったのだ。
「脱げ」
「…ぬ…っ、な、なんだ、いきなりッ」
「何だ、とて、聞きゆうか。俺の生業をわかっとうが? ここには何しに来ておりよう? 蟲をお前につける為よの」
「だっ、だからって…。い、今?!」
「二度言ういとまも、もう、惜しいとて、今を逃しおれば…蟲ども、また」
きつい目で睨まれて、ギンコは案外直ぐに頷いた。少し騒いでしまったが、今ならまだ化野は寝ている。それに、これ以上九重に、無謀なことをさせたくなかった。
外れてしまった障子だけは、なんとか嵌め直したくて、ぎくしゃくとしながらギンコはそれに手を掛ける。そうこうしているうち、九重は酷く手早く、自分の手荷物から袋を取り出し、左の手をその中に突っ込でいた。
その途端、白い煙…のようなモノが、そこからゆらゆらと立ち上り、みるみる部屋の中に広がってゆく。それがギンコの方へと漂い、彼の体を取り巻くように流れて…。
「…ギンコ」
「少し待てって、ここの障子を嵌めたら、そっちの、もう一つ奥の部屋で。…ぁ…あ?」
がく、といきなり膝から力が抜けた。よろめいて、障子に掴まれば、嵌めようとしていたそれが、また外れてしまう。それを九重が押さえ、彼は淡々と言うのだ。
「そこに、座りよう。そのまま横になりおれ。…転べば怪我もしようとて」
「…なんだ? なんか、急に、眩暈…が」
「横になりおれ。目ぇも、閉じゆう。閉じようとても、お前になら、その身ぃと、ひとつになりよう蟲が見えゆうが…。白い白い蟲ぞ、その髪の色のようとて。きれいな、きれいな花の蟲ぞ、お前の、その…体のようとて、なぁ」
「ここ…の…」
ギンコの声は、酷く甘いように擦れていた。体は細かく震え、四肢は殆どいうことを聞かぬ。とうとう座り込み、もがくように畳に爪を立て、緩く膝であがいても、抗うのはそこまでで、うつ伏せに倒れてしまう。
僅かに縮こまる腕と脚とを、のべた手で掴んで伸ばさせて、九重はギンコの体を、ごろり、と仰向けに返させた。
「まだ、聞こえとうか?」
言葉をかけると、うっすらと開いたギンコの目が、する、と微かに九重へと向いた。夢を見ているような虚ろな、潤んだ目だ。
「この草はのぉ、いつも焚いとう、お前のためのものぞ」
握った手を開くと、殆ど塵になりかかったような木の葉の屑が、九重の手のひらの上で、白い煙を漂わせている。
「蟲のよく見えゆうものの身にだけ、吸い込まれゆく特別のものぞ。蟲をよく判ろうものには、特に濃く強く染みゆくようとてな」
「……こ…」
九重、と呼んだであろう言葉の切れ端を、嬉しそうに目を細めて聞いて、九重はギンコのシャツに手を掛けた。遠慮の欠片もなく、それを捲って胸を露にさせる。
「心配はいらんとて。みな済みようあとには、肌のどこにも、頭のどこにも、何も残りおるものとて、ありはせんよな…。いつものようになぁ、ギンコ。ただ、今度ばかりは手ぇが使えん。ここには炎来樹がおりゆうでな。胸と胴には、雪花氷樹とて。ゆえに、新しい蟲は、俺の…ここに、借り住まいさせとう…」
九重は、自分の頭を指差してそう言い、ここへきてから、ずっとそのままにしていたざんばらの髪を、後ろで一つに括った。微かに開いた彼の口の中に、ちらちらと、白い花の形の蟲が一匹、外へ出たそうに回っていた。
続
進展してないーーーーーーーーーーーーーー。って思ってしまいました。面白くない展開ですみません。もっと「さくっ」とギンコに何かしてよ、九重。←何ってなんだー。
楽に書けそうだと思ったんですけど、九重の体の中の蟲たちについて、案外難しく、判りにくくてすみません。要するに…
九重の両腕の肘より先に、炎の蟲がいて、眠っていればいいけど目を覚ますと、ぼうぼうとそこで燃えて、アチチなんです。胸と腹の辺りには、最近ギンコから抜いた氷の蟲が、とりあえず寒い土地の外に放す機会があるまで匿われています。
そして九重の首から上、ようするに頭の中あたりに、新しく捕まえた白いお花の形の可愛い蟲が入っている…と。
三つはバラバラの性質なんで、一緒にしておくと、三つとも影響しあって大変なんですよ。九重は苦労して、彼自身の力と蟲への説得で、体の中で分れていて貰って、その上、雪と炎には眠っていてもらうわけです。
九重の心理の方も大変だ…。判りにくいのよアンタのトラウマ! ふぃ〜。次はも少し頑張ります。
2010/08/22
