蟲 箱 師 7
「いいのか」
「あ、まだ…するって? いいけど、今度は少し加減」
「ち、違う。違うって、そうじゃない」
顔を幾らか赤くして、化野はギンコの誤解を解く。
「あいつのとこ、行かなくていいのかって、聞いたんだ。なんか、一緒の部屋にいなけりゃならん訳があるんだろう? ふ、布団まで一つ、ってのも、どうしても避けられんのか?」
「…どうかな」
返事を聞くと、化野は派手に眉をしかめた。あそこまで責められて、何も知らん癖にと蔑まれて…苦しいけれど、ギンコのために自分が我慢すべきだと、そう思おうとしているのだ。なのに、ギンコのどっち付かずな返答。
「どうかな…って!? 判らんのか? 自分のことなのに。初めてじゃないんだろう、その蟲箱に蟲をつけるとかなんとかいうのは」
「あー…。そうだけど。まず、蟲をつける作業のとき以外は、一緒になんか寝たことねぇな。でも、作業の時はな…。実は、最初のときも、二度目のことも、あんまし覚えてねぇんだよ。記憶に残らねぇのか。それとも…その間は、そもそも意識がねぇのかもしんねぇし」
聞いて安堵する、どころではなかった。化野は愕然としている。
な、なんだそれは。それじゃ…ギンコが止む無く身を預けるのを良い事に、あの男は、ギンコの意識を奪って、この体に、す、好き勝手を…。
「こら」
ごつ、と頭を張られた。思わず張られた頭を押さえたままで見返せば、ギンコは呆れ帰ったような顔をして、もう一発拳固をくれた。二度目の「ごつん」は随分優しい。
「なに変なこと考えてんだよ、化野。あいつにゃそんな趣味はねぇって」
そんなものわかりゃしないぞ、とか、ギンコと昼夜共に居て、その間に目覚めたかもしれん、とか、まだまだ言いたいことはあったが、それ以上に言いたいことが一つだけ。
「俺だって、そんな趣味はない! ギンコとだけしたいんだ」
「…どうも」
変な返事をしながら、ギンコは殊更に、九重のことばかりを話す。照れているのだと判って、化野も咎めずおとなしく聞いた。
「とにかく、九重が俺をそんなふうに見てるわけない。あいつは…そりゃ人嫌いで、山奥でずっと一人で暮らしてるし、誰とも親しくないし、ここんとこ俺以外と会ってもなかったみたいだが、別に…、べつ…に…」
つまりそれは、俺だけが特別だと、そういうことじゃ…ない、のか?
唐突に浮かび上がってきた思いに、ギンコの言葉は緩々と止まった。一度そう感じると、何かと覚えが無くもない。
この里に近付けば近付くほど、無口になった九重。化野に対しては妙に意地が悪くて、それこそ誤解されるようなことまで、あえて言っているような気すらする。旅に出るとき「イロに会わせろ」とか言い出した理由も、結局はよく判らない。
「ギンコ…」
「あ…。えっ?」
「お前、どうしても今夜、あいつの部屋に行かなきゃならんか」
心配しいしい言う言葉に、ギンコは逆にほっとした。
「いや、行かねぇよ。別に、すぐ来いと言われたわけじゃねぇし。さっき、蟲は見えたが、それに決めたって感じも無かったから」
「蟲? 決めた…って?」
「この里にいる蟲から、何か選ぶんだとさ。今、俺が一番頻繁に立ち寄る里はここだから、ここの蟲をわざわざ探しに来たんだよ、九重は」
「そうだったのか」
微妙な感じではあったが、化野はそれでも少しばかり、九重に対しての印象を良くしたようだった。
「案外、考えてくれてるんだなぁ」
「ま、そりゃ、専門だから」
ギンコはもそりと立ち上がって、床に落ちているシャツを拾った。一糸纏わぬその姿のまま、それ一枚だけを肩に羽織り、細く細く障子を開く。さっき見えた綺麗な蟲が気になっていたのだが、一匹たりと空に漂ってはいなかった。
見たことない蟲だったな。あれもこの里にもともといる蟲なのか…。
「風邪、引くから、これ着てろよ。今、布団敷くからな」
「……ひとつでいいぞ、布団は」
夜着の着物を羽織らせてくれた化野に、ギンコは小さくそう言った。思わず化野はギンコを不躾に見たが、彼は障子を広く開けて、夜空を見上げてばかりいるから、顔は見えなかった。
「そんなこと言うと、誤解するんだけどな」
「別に、誤解じゃねぇよ」
顔が見えなくとも、声の響きで照れているのがわかった。可愛いやつだ、と化野は思い、ギンコのことを、素直に愛しく思えたそのことが、嬉しくて仕方なかった。
* ** ***** ** *
部屋の真ん中で胡坐をかいて座って、九重はじっと畳の目を見ていた。その彼の周りで、ピシ、パキ、と、さっきから奇妙な音が鳴っている。蟲の鳴らす音だ。彼の身の内で、蟲が興奮している…。
両方の手のひらが熱くて、熱くて、じっとしていられないほど、本当は辛い。その熱が、ともすれば手首を過ぎて肘まで熱せられ、それを彼は意思の力で無理に抑えようとしていた。
エンライジュ
炎の来る樹、と書く蟲で、餌として同じ蟲を喰らう、肉食のような性質の蟲だ。寒い季節に、山の奥で弱っているのを九重が拾って、丈夫になるまでは、と身の内に匿っていたのだ。九重が新しく身に取り込んだばかりの別の蟲を喰いたがって、その蟲が熱を放っている。
堪えられんとてか。まだそれほど餓えてはおらんはずよなぁ、蟲よ。
そう熱ばかり放ちおりいては、ようよう命を永らえいたものまでも、
また散り果てようで、もとのもくあみぞ。
ずっと胸に居させたものを、ギンコから抜いた青い蟲と、これから新たにギンコに憑けようと思う白い蟲との居場所をつくるため、両腕の先へと追いやったのが、気に入らなかったのかもしれない。
そう怒りようとて…な、俺も体はこれ一つ。
出て行けなどと言わぬ代わりに、狭いその場所で少しうあいだ、
眠りおりいて、くれゆうか。
パキ、とまた音が鳴った。火が爆ぜる音に似ていた。九重はびくり、と身を震わせ、唇を噛んで嗚咽を飲み込む。そうしながら、ふと彼は思うのだ。ギンコはあのまま、朝まで、向こうの部屋にいるのだな、と。
くく…、とおかしくも無いのに小さく笑う。判っていたことだ、と自身を笑う。彼にはギンコが、ただの一人のヒトの友。つまりは誰より好いて、気を許せるたった一人の相手なのだが、ギンコが同じに、そう思っているなどと、夢にも見たことはない。
例え、心のどこかでずっと、願っていたことだとしても。
「あぁ、エン…ライジュ…。なら、喰ろうて…いいぞ。俺の血ぃを、なぁ…。なぁに、これっぱかりで、死にゃあせんとて。どうせ俺は、ヒトに似とうだけの、ヒトとぉ違う、別のモノ…」
さあ、飲め。喰らえ。
誰から乞われるもありやせん、ヒトならずのこの身の血ぃをな。
それで蟲どもにでも、好いてもろうて、やっと生きとぉ、この身なれ。
蟲混じり異形混じりの、化けモノとて、
親からまで、石つぶてぇ…山ともろうた、哀れな子ぉの
…なれの、果て…。
* ** ***** ** *
わ…ぁ…あ…っ
ギンコは切れ切れの、妙な悲鳴を上げて目を覚ました。だが本当は声など出ていなかったのかもしれない。彼の裸の体を大事そうに包んで寝ている、化野の穏やかな寝顔が目の前にある。
「化野、ちょ…っと、腕ぇ、退いてくれ」
遠慮がちに声を掛けるが、化野はぐっすりと眠っている。目覚める気配はない。ギンコの守り袋の一件からずっと、よく眠れずに過ごしていたなど、彼が知る術はないけれど、そんなわけで化野は酷く疲れていたのだ。
「化野…っ」
ぐい、と強引に、頑固な抱擁から抜け出そうとしている間も、ギンコの脳裏には、夢だかなんだか判らないものがチラチラと見えている。
赤の揺らぎ。何か…皮膚を爪で引っかいて、そこから血が蕩け出しているような、禍々しい色。炎の蟲だ。確か炎来樹。
美しい淡い儚い、青の結晶のようなもの。これは知っている。ギンコの体に憑けられていた、氷の性質を持つ蟲だ。名前を雪花氷種。
そしてもう一つ、五枚の花弁を持つ花のような、小さくくるくると回り続ける白銀色の、見たことも無い蟲。
ギンコの目には、それら三つが、ところどころ触れ合うようにして、互いに影響し合おうとしているように見えたのだ。意味ははっきりと判らないが、それは多分、九重の身の内の…。
「こ…九重」
ギンコがそう口走った途端。眠っているはずなのに、確かによく眠っているのに、化野の腕に、ぎゅう…と力が篭って、ますますギンコは動けなくなってしまう。
「あー…っ、もう…このやろう…っ」
どうしてくれようか、と思い、焦りながらもギンコは化野の口に自分の口をくっつけた。そのまま深く重ね、互いに愛し合う行為の最中のように、柔らかく口を吸ってやる。
すると何故か、化野の腕が一瞬緩んで、次にはさらに力を込めてギンコを抱き締めようとした。が、その一瞬を逃さず、ギンコはやっと布団から、化野の腕から逃げ出す。
「悪ぃっ、化野、もうちょっと寝といてくれっ」
白い夜着を化野の顔の上に放り、慌てて衣服を身に着けると、ギンコは急いで九重のいる部屋へと向かったのだった。
続
調子よく書けました。ああ、良いことだね、調子が良いって。←すいません、何いってるんでしょうか、私。失礼しました。
しかし調子が良いってのは「思うように書けた」というより「いい具合に暴走した」というのを差すので、一概に安堵ばかりしてられないです。なにー?? 九重の中にいるエンライジュって?? ギンコから抜いた雪の蟲を体に入れたのは把握してたけど、その炎の蟲って、知るヒトぞ知る、あのボツ前の話に出た蟲の名残?ですかねー?
これからどうなることか…。とにかく楽しんで書きたいと思いますっ。もしよろしかったら、どうぞ今後とも読んでやってくださいね。お願いいたします。
10/08/11
