蟲 箱 師 6
言うと、呆けたような顔をして、ギンコは一瞬黙った。ぽっかりとした表情に、段々と焦りが滲むのが、薄暗い蝋燭の灯りだけでも判る。かくん、と落とすようにギンコは項垂れて、口の中で何か言いかけては唇を噛んだ。
「…いや、…その、それは…」
化野は、自分で知らずと細く溜息をついて、責めるような言葉を伝える。
「なぁ? ギンコ、返事によっては、このまま朝まで、ここから出して貰えんと思えよ?」
「あ、化野…」
夕餉の茶碗が、畳の上で転げている。一膳の箸が、あちらとこちらに離れて落ちていて、ギンコの視線がそれらを順に眺めていた。あぁ、そうなのか? あいつのことで、そんなに後ろめたいことがあるのか? お前。
程なくしてギンコは、ぽつりと言った。さっきも見たあの目。許しを、請うような…。
「…判った。じゃあ、このまま朝までここにいるよ。別に今夜、九重と一緒の部屋で寝なきゃならんこともないんだ。あいつはああ言ったが、それは別に…。…っんッ、ぁ…」
ぐい、と襟を掴み寄せられる。小鉢と茶碗がぶつかって、かちゃんと大きな音を立てた。唇は奪うように塞がれ、ギンコの体はそのまま、化野の胸の下へと抱き込まる。
こいつは馬鹿だよな、と化野は思うのだ。欲しい答えはそれじゃない。九重とギンコの、どんなことで誤解させられるというのか聞かなければ、化野の心は波立つばかりなのに、今夜を抱かれて、誤魔化せるものだと思うのだろうか。
それじゃあ、俺は、お前の何だ? あんなにしおらしい顔して来た癖に、そんなにあいつとの事が大事か? 蟲箱が何だ。どうせそんなもののこと、今まで欠片も教えられていなかったさ。蟲の見えるギンコとあの男。同じものを見て、近い仕事を持つギンコとあの男。
だから? だから俺は蚊帳の外だと?
「待っ…。化野、ちゃわん…が」
「放っとけ」
「あ、あれは、お前が買った二人の揃いの。割れたら…」
肌を吸っていた唇を離して、化野はギンコの顔を見つめた。組み敷いたままで手を伸ばし、ギンコの言う茶碗を手に取り、遠くへ放して、二つ並べて盆の上に置いた。
「これでいいんだろ…」
「…あぁ、いいよ」
両腕を差し伸べて、ギンコが化野の背中を抱いた。顔を埋めるように、ギンコの胸へと唇を寄せる。ボタンを外したシャツの襟の中。もどかしげにたくし上げて、胸を曝させた。同じ家の中に、自分たち以外の人間がいるのに、ギンコは嫌がらない。抵抗しない。
あいつとの隠し事を、それほど言わずに守りたいか。
胸の飾りを唇で挟んで、音がしそうなくらい吸ってやると、抗わないまでも身を強張らせて、いやいや、とギンコは首を緩く振る。白い髪が、ぱらぱらと畳に音を立て、忙しない息遣いがそれへ重なった。
「は、ぁ…あ…、あだし…ッ、んん、ぅ…っ」
強引に服を剥ぎ、ギンコばかりを素裸にさせて、化野は彼の脚を左右に割った。今夜はまだ始めたばかりなのに、心が酔う前にそんな格好にされて、ギンコは思わず逃げかかる。
脚を酷くもがかせて、足首に掛かる化野の手を厭うが、暴れかけた途端に今度は両方の膝頭を押さえられ、脚の付け根が軋むほど無理に体を開かされた。ふるり、とそこで立ち上がるものが、先端に雫をためながら揺れる。そこへ絡み付いてくる眼差しに、羞恥はどんどん大きくなった。
「…な、なんで…。…は…ぁうッ!」
啜られて、ギンコは悲鳴を上げる。この家の何処にいようと、聞こえてしまうような声だ。啜るだけでは済まされず、根元から搾り立てるように扱かれた。化野の口内にあるままで、ギンコの茎は散々に跳ね、先端から濃いものを迸らせる。
その濃さに、少しは安堵する。少なくとも昨日とか、ここ数日の間、ギンコはあいつと、そういうことはしていない。だが、そこまでの疑いかと、化野は自分で自分を嫌になる。でも…それなら何を隠しているんだ。
「や…、嫌だ、ぁ…っ、やッ…。あ、ふ…っ、う…。化野、ゆ、許し…っ」
涙さえ浮かべて嫌がる所作を、いつもは愛しくてたまらないと思うのに、今夜は少し、腹立たしい。こんなに従順に溺れる癖して、隠し事をするのだ、ギンコは。悔しがると判っていて、誤解を生むと判っていて、何故あんな男を伴ってきた?
「ギンコ…。あいつがここに泊まるのは、構わん。だが、あいつと二人で部屋に篭ったりとかするな。そうじゃなきゃならない理由なんか、本当はなにも無いんだろう。誤解されたくないんなら、今ここで約束し…」
「随分な、勝手を言いゆう」
その時、閉じた障子の外から、声がしたのだ。
息を止めて、化野はギンコの肌から顔を上げた。ギンコも目を見開いて、震えながら障子を見た。影は依然として映らない。だけれど廊下の板はきしり、と音を鳴らし、さらに声がそこから聞こえてくる。
「見えもせん癖に。…なんぞ権利あって咎めゆうか。しなけりゃどうなるか知りもせんと。蟲に好かれおるギンコの苦労も、死ぬるまで避けられん生き様も、ろくろく知りもせんとな。…お前……」
ぶつり、切れた言葉の先が、重たい何かで化野を押し潰すように、ゆるゆると続いた。
「…身勝手まき散らすその口で、そのうちギンコを…殺そうとてか?」
化野は言葉もなかった。それでも怯えたような顔をして、ギンコからゆっくりと離れた。一糸纏わぬ体で、ギンコは悲しげな顔をしている。首を仰のけて見た障子が、ほんの隙間だけ、すう、と開き、その向こうに九重の背中が見えた。
化野にだけは見えない世界が、そこにはある。縁側に腰を下ろして、斜め上を見上げた九重の視線の先。白と銀色を混ぜたような色をした蟲だ。五つの花弁を持つ花に似ていた。その蟲はくるくると回りながら、三つ、四つと数を増やして、ゆらり、部屋の中に入ろうとした。
ぱし、と急に障子が閉じられて、その蟲が入ってくることはなかったが、ギンコの目に、その小さな蟲の姿が焼き付けられた。
「ギンコ」
九重は閉じた障子の向こうから言う。
「お前、選ぶを違えたが、とうとう身に沁みおりて判りようてか? 見えんものとは、もともと住む世が違いおる。いずれは泣いて喚くが判っとうなら、こっちへ…戻れ」
きし、きし、と廊下の軋む音が遠ざかる。体も、視線も動かせずにいるギンコへ、化野の声がようよう届いた。すすり泣くほどの悲しみを湛えた、短い、たったの一言だった。
「……すまん…」
「化野」
「…あいつの」
あいつの言うとおりだ、と、言おうとした言葉が途中で止まる。ギンコは首だけを傾けた仰向けのままで、真っ直ぐに化野を見て、そうして少し、頬笑むような目をしていた。
「化野、そんな顔…しねぇでくれ。お前が見えないのは、もともと判ってる。だから全部全部、俺を判れねぇのもちゃんと判ってる。それでも、いいんだ。お前はお前だ。俺だってお前の全部を判れやしねぇし。そりゃ…結構お前、身勝手、だけどな。でもそれを言うのも…お前が俺を」
好き、だからだろ?
切れた言葉の先が聞こえた気がして、胸に何かを刺されたような心地のまま、化野はそれでも不器用に笑うことが出来た。
やっと身を起こし、手を伸ばして、ギンコは化野の着物の袖に触れる。今夜はちゃんと、ここにいるよ。と、その指先が静かに袖の布地を握り締めた。
続
聞いてたんですね…九重。しかし彼のために言いますが、断じて盗み聞きとか、わざとだとか、そういうことは無いんですよー。彼は彼なりに、ギンコに合う蟲を探そうとして、蟲の気配を追って、そっと廊下を歩いてきただけなんです。
でもまぁ、二人の声が聞こえてきても、聞くべきじゃないやり取りだと思っても、立ち去らずに聞いてたのは確かですけど。どんな気分で聞いていたのやら、ですよね。
そんなこんなで、六話までアップできました。七話目はもう書いてますけどもね。あぁ、九重…かわいそう……。読んでくださいました方々、次回も待っててくださると嬉しいです。ではー。
10/08/01
