蟲 箱 師 1
それが悲しくてか、それが悔しくてか、それほど取り戻したいというか、お前。どっかへ消えた古い、古い思い出なんぞ。お前と俺は随分似かようて、だから育ちも似ているかもなぁ。だったら俺はそんなもん、失くしたとて二度とはいらんよ。
とおも にじゅうも 飛び来るつぶて
蟲が纏いつくは、それほど気味が悪い言うか。確かにそこにいるモノぞ、見えんだけでなぁ。
とおも にじゅうも 飛び来るつぶて、
それの幾つか、この顔を打って、
胸に当たり、背ぇに当たりおる。
石のつぶての幾つかは、
かぁさんの手ぇから飛んだ…。
どっかで誰かが、だめだ、だめだと言うてた。けど、俺も、もう石つぶてにゃ飽き飽きでなぁ。とうとうある夜、里を捨てたよ。
終わりの石つぶて放って、
かぁさん それきり背ぇ向けた。
ついてきたのは蟲どもさ、幾百、幾千。数えてなどおらん。光ながら帯んなって、ついてきたのさ。どこまでも、どこまでも、なぁ。川の流れみたいだと思うてたら、俺んその里、後に川ぁ干上がって、泉枯れたと聞いた。
お前の失くした思い出だとて、そういうんかも知れん。
なぁ、だからよ、失くしたまんまがいい。今がほどほど楽しけりゃぁ、失くしたまんまがいいさ。
月のない夜だったから、ギンコを目を覚まし、薄目を開けてそれを見つけた。目の前にある木箱が、水色の奇妙な光を帯びていた。それがなんの光なのか、彼はすぐに気付いて、それでさっきまで見ていた夢の理由にも気付いた。
「あー。なるほどな、いよいよ換え時、ってことかよ。…そんなら夢でもそう言やあいいだろが、ココノエ。ま、判ってるから来たんだけどな」
ギンコは頭を掻きながら身を起こし、この頃、随分と疲れている肩をちょいと揉んで回して、それから立ち上がる。疲れている理由も同じだ。蟲箱と己が身に憑けた蟲が、そろそろこの離れたがっているのだろう。
「はぁ、よっこら…。う、重て…っ」
いつもの倍も重たく感じる木箱を背負い、ギンコは地図をちらりと見てから、道の無い場所へと入っていく。よろめきながら、腕で小枝を掻き分け、生い茂る草を踏みしだき。
それから半日、ギンコは歩いた。踏み均された山道なんぞ一つも通らない。獣道ですらないところを、黙々と歩いた。そろそろだろう、と木々の向こうに目を凝らすと、はたして、家だったものの倒れて崩れた瓦礫が見える。
「…こ、九重…っ」
道無き道を歩くのも苦労ならば、走るのはもっと大変だ。二度ほど転びつつやっとその瓦礫の前へまろび出て、愕然と項垂れる寸前、瓦礫の向こうに岩の洞を見つける。それとその中へと、ふわふわと漂って入っていく、淡く透ける霞のような、羽虫のようなもの。
びっくりさせんなよ、と零しながら、ギンコは大またで洞へと近付き、首を突っ込んで叫んだ。
「おぅい、箱師! 出て来いよ」
「…誰が箱師だ、暫くぶりいうに、喧嘩を売りに来たとてか」
真後ろから声を掛けられて、ギンコはぎくんと首をすくめる。振り向いて見れば、頭の天辺から腰の下あたりまで、獣の皮やら枯れ草の蓑やらで、わさわさと身を覆った男が立っている。
「九重」
「最初からそう呼べ。箱師、とか、もういっぺん呼んだらなんぞ悪ぃ蟲、その身ぃに付けて暴れさすぞ、ギンコ」
巨大な蓑虫のような姿を見て、相変わらずだな、と呆れながら、ギンコは笑って詫びを言う。
「いや、悪かったって。だがな、こっちもお前がこの瓦礫の下にいるかと、焦ったんだろうが。少しは片しとけよな」
「あばら家が壊れようてから一年もなる。まだ下敷きならとうに飢え死にしとうわ。随分久しぶりだな、お前。こんなぎりぎりまで蟲を待たさんで、早く来い。重たくなった箱背負って、よくも、こん山奥まで…」
「まぁ、な、結構大変だ…っ。お、い…ッ」
九重の片手が、もさもさの蓑の中からにゅう、と伸びて、上着の前を開けたギンコの胸へとのせられる。彼の手は、ギンコのシャツの布地を通り抜け、じかに胸に触れていた。ある種の蟲が、壁や襖を通り抜けるのに似ている。
「あぁ、まずまず元気そうだな。ちゃあんと願いは叶えてもらってたのか、蟲どもよ」
「そりゃ…約束は、守ってたさ」
「は、疑ってはおらん。が、話は後で蟲に聞く」
すい、と手が離れる。止めていた息を深く吐いて、ギンコはそのまま後ろへと尻餅をついた。尻の下は岩だったから、うぅ、と呻いて顔を顰めた。まだ彼の背中にある木箱の背負い紐を片手で無造作に掴んで、九重は軽々とギンコを立たせた。
九重はギンコよりもかなり体が大きい。いや、大きく見えるだけなのかもしれない。何しろ纏った蓑は幾重にも重なって、その中から大量の蟲の気配がしているのだ。
「まぁ寛げ。疲れているだろさ。岩穴の住まいも、こう見えて中々棲み良うできとるでな」
招かれて洞へと入りながら、ギンコは今更のようにふと思った。こんなところに岩の洞などあっただろうか。そもそもここは山奥で、緩い斜面に生い茂る木や草ばかりだったはず。こんな大岩すらなかったと思うのだが。
言葉にして確かめようとして、やめた。九重は蟲師の箱を作る蟲箱師であり、同時に蟲師であり、蟲と言葉をかわして操る、蟲使いとも密かに言われている。彼にしか出来ぬ方法もあるのだろう。
「ギンコ」
「んん?」
「蟲煙草は吸うてくれるなよ」
「あぁ、心得てるさ」
思ったより洞の奥は深い。しかも少し曲がっていて、歩いていくと外の光が少し薄れた。さらに行くともっと暗くなる。
暗くなると共に、九重の体を取り巻く蟲たちの姿が見えてくるのだ。青、黄、金色、白、薄紅。美しく光りながら、それぞれが筋のように光の尾を引いて、彼を好きでたまらないというように、体へまといついて離れない。
洞の奥に辿り着くと、九重は足元にあったランプをひょい、と取って、それへ何もせずに岩の出っ張りの上にのせる。光は自ずから灯った。九重の周りを回っていた光のうちの、もっとも明るいものがいつの間にか消えて、代わりにランプの中に、煌々と眩いほどの灯りがともっていた。
「便利だな」
「…でもない。これはこのまま三日は灯ってるが、そのためにゃこの山一つ越えた向こうへ行って、そこから見える湖に月が照り映える光を、こいつらに食わせてやらんとならんが」
「…はぁ、そりゃ、難儀だ」
ふふん、と得意げに笑って、九重はギンコへと向き直った。そうしていきなり蓑を脱いで、それを足元へ投げ捨てると、ざんばらにしていた髪を、両腕を上に上げて手早く一つに括る。殆ど口元くらいしか見えなかった顔が露になると、彼は随分と若く見えた。
ギンコより、五つ、六つはいっているだろうが、まだ充分青年と言える姿。蓑やらなんやらに隠されていた体は、山暮らしらしいがっしりしたものだったし、顔もまた、意志の強そうな、それでも若い顔だった。
「どら」
「えっ。も、もう見るのか」
「何しに来たとてか、お前。箱をもっと楽に運べるよう、して欲しいんだろう」
続
前に書いて九話までの「蟲箱師」が、ガッツリゆきづまってしまって、実は書き直していました。ええ、そうなのです〜。多くは語りません。楽しんでいただけたら嬉しいですっ。
2010/02/09執筆
