対 想   5




 セキに三人目の子が産まれた。

 初めてでも二度目でもないのに、セイゴは同じように嬉し泣きしたし、上の子のユキとクミは、はしゃぎ過ぎてふたり手を取ったまま、外へと駆け出して行った。セイゴの母親は喜んで声を詰まらせ、セキの父親はと言えば、随分焦って何故かギンコに詰め寄った。

「なあ、おいっ、おむつはっ! おむつを沢山買ってきてくれ、早くっ! ガラガラとかよだれかけとか、ほらあと、あとなんだ、あかんぼがいるいろんなもんをさ、頼むよぉ、ギンコさんっ」
「えっ? いや、それはこの間…」
 
 あまりの勢いにギンコは狼狽え、結局はまだ床に居るセキが、閉じた障子の内から父親へと大声で言って黙らせた。

「お父さんったら、落ち着いてよ。居るものは全部もうこの間、ギンコさんに用意して貰ってあるし、おもちゃや肌着なんかはユキやクミのおさがりでいいの! 女の子だったんだから、余計よっ」

 赤ん坊をきれいにして、母親のセキに抱かせてから、化野が外へと出てきた。障子越しのセキと父親のやりとりに、笑い出しそうな顔をしている。

「…なぁ、ギンコ。そういえばそろそろまた、渡守りの時期なんじゃないのか? 最初の時は一ヵ月まるまる、この前は二週間足らずだったろう? もしかしたら今度は、一週間ぐらいで戻れたりはしないのか?」
「いや、そんな都合よくいくかよ」

 ギンコはそんなふうに、気の無い様子で言いながら、前の時のことを思い出していた。確かに化野の言う通りで、一度目の半分の日数しか掛からず、ギンコは島に戻ったのだ。
 
 最初と比べて、荷が少なかったせいもある。前の時と同じものが多かったからもあった。でも、一番の理由は、イサだった。イサはまるで、自分自身が島の渡守りであるように心を砕き奔走し、島の皆が欲しいと言うものを手配した。ギンコが行く前から、頼む相手に話を通していた感じもした。

 何故そこまで手を貸してくれるのか、と、ギンコは一度は聞いたのだ。そうしたらイサはこう言った。

「タツミが臥せっていて手伝えないから、その分は俺が手を貸して欲しい、って頼まれたんだよ。俺だって島の協力者なんだし、白也の時から色々世話をしてたから、別にこのぐらい苦も無くできるんだしね」
 
 そう言われ、ギンコは一度はタツミを見舞おうとした。でもいらないと言われた。そこまでじゃない、と。いらないと言うのを無理に訪ねるわけにもいかず、殆どすべてをイサに手伝って貰い、本当に短期間で島へと戻ることが出来たのだった。

「ギンコ、なぁ、ギンコ」

 ギンコが我に返ると、化野が心配そうに彼の顔を覗き込んでいた。

「すまんな、つい我が儘を言った。このところ島は靄の濃い時が多いし、俺ならちゃんといつでもお前を待つから、少しでも危険だと思った、無理なことはしないでくれな?」
「無理なこと、なんざしてねぇよ。霧が濃くても、舟は俺を安全に帰らせてくれたしな。だから今度の時も、大丈夫だ」
「そうか、ならいいが」

 立ち込めた霧の向こうから、手に手を取ったユキとクミが戻ってくるのが見えた。浜にまで駆け下りて、みんなに赤ん坊のことを触れ回っていたらしい。随分と近くなるまで姿が見えなかったので、霧は随分と濃いようだった。




 平らな石で埋められた、ヌシの居場所に花が咲き乱れていた。一人ぽつんと立って、白也がそれを見ている。白也という名前は、彼が生まれた時に此処で見た花が、一点の曇りもなく真っ白だったからだ。

 彼の花はそれ以降も、ずっと白だった。島から離れる時に彼を守る花も白く。自分の花は白いものだと、彼は思っていたのだ。けれど。

「青…。青い…花…」

 いつもの通り、彼の足元から白く咲き乱れた花。その中に、はっきりとあざやかな、青い花が混じっていた。青は輪を広げるように、遠心状に白也から遠ざかっていき、また白い色の花で、彼の周囲は埋められていった。 
 
 運命だって変わらないわけじゃない。
 結局は白に戻ったのだし。
 何もそんなに怖がることは…。

 だけれど、平穏なこの島でずっと、
 神官をして生きていくはずの自分に、
 いったいどんな、運命の変化が…?

 気付いたらもう、白也の前から花は消えていた。今日明日にでも生まれるセキの子のことを思って、どうか無事に、と願いをかけに来たはずだったが、自分に不安を抱くようなことになってしまった。

 こんなことではいけない、しっかりしなくては、と、頭を振って帰ろうとした時、こちらへ向かって歩いてくるギンコの姿が見えたのだ。

「此処だったか、白也」
「…えぇ、島がこの先も平穏であるように、と。もうすぐセキさんの子供も生まれるっていう時ですから」
「まさにそのことを知らせに来たんだ。今さっき、無事に生まれたよ。女の子だ。一家はみんなして興奮しすぎなもんだから、ちょいと先触れに、俺がな」
「そうでしたか、ありがとうございます」

 言うべきことを言い終えて、ギンコは白也に背中を向け、数歩行ったあとで振り向いた。

「白也」
「…え?」
「最近、今日みたいな霧の濃い日が多いが、こういうのはよくあることなのかい?」
「どう、なのでしょう」

 真っ直ぐに問われて、白也は迷うような顔をした。それへと答える言葉を探しながら、何故自分はギンコに、青い花のことを言わないのかとも思った。

 たぶん、怯えているからだ。ヌシに仕え、島の平穏を誰よりも願わねばならない、神官と言う存在だからこそ、島に何かが起こるのが怖い。これまでの記録に無いようなことが起こってしまったら、いったいこの無力な身の上で、どうしたらいいというのか。

 毎日のように、島を覆う真っ白な霧が、白也は怖かった。

「明日、夜明けの少し前に、セイゴとセキが赤ん坊を連れて此処へ来る。ヌシ様に赤ん坊を見て貰うために、そうするのが決まりなんだろ? 付き添いとして、化野と俺も一緒に来るから。その後に、調べよう、白也」

 そう言われた白也は、はっ、としてギンコの顔を見た。ギンコは彼の顔をじっと見てこう言った。

「今日はすぐに家に帰って、休んだ方がいい。顔色が真っ白だぜ? じゃあ、明日」

 

 
 翌朝、小さな行灯を一つだけ持って、彼らはヌシの丘を訪れた。夜明け前だ。立ち込める霧と、明け前の薄暗いせいで、待っていた白也の顔色が白いことを誰も気付かなかった。

 慣例に従い、真っ白い布でくるんだ赤子を、平たい石の地面にそっと置く。父親と母親、つまりセイゴとセキが並んで跪き、ふたりはそれぞれに手を伸べて、赤子の小さな右手を一緒に取り、その手の平を地面に付けさせる。

 何色の花を、ヌシ様はお示し下さるのか。セイゴもセキも、付き添いのギンコや化野も、そして白也も何も言わない。ただただ、見入って、待っていた。やがて、一本の花が、赤ん坊の傍らに現れる。

「……え…?」

 小さく声を発したのはセキだった。ゆっくりではあったけれど、二本、三本と花は増える。でも、花弁の色は分らない。今や十本にも増えた花たちのすべてが、固く小さく閉じたままの、蕾だったからだ。

 今までに、こんなことは見たことも聞いたことも無い。花はヌシ様が、島に住むことを許して下さる証の筈だった。咲いていないのはどういうことなのか。セキは救いを求めるように、白也の顔を見た。白也は真っ青な、強張った顔をしていた。まるで、怯えたような、怖ろしいものを見たような顔に思えた。

「どうして? ねぇ? この子の花は、何色なの? これじゃ分らない。どうして蕾なの? 一輪も咲いていないの…?」

 震えているセキの声。セイゴの顔も青ざめている。ギンコや化野も息を飲むしか出来ない。そんな中、セキは衝動のように手を伸ばし、花の一本を毟ろうとしたのだ。

「色を、見せてよ…。こ、これじゃ、名前を付けられないじゃない」

「セキっ」
「駄目だッ」

 叫んだのはセイゴと化野だった。白也は飛び出して、その身を覆い被せるように蕾を守っていた。けれど、白也の体が被さるまえに蕾はすべて消えていた。セキは動揺して、泣きながらセイゴに体を押さえられていた。妻を宥めながら、セイゴもはらはらと泣いていた。

 花は蕾だった。しかも、すべてが消えた時、赤子の周囲1メートル程しか、花は広がっていなかったのだ。短命である証にしか思えず、それに気付いてしまうと、セイゴもセキも立っては居られず、その場に力なく座り込んでしまった。

 化野は、震える手を赤子へと差し伸べた。まさか、そんな。そんな筈は、と、思いが頭の中でぐるぐると回る。 

 彼はそうっと赤子を抱き上げて、その鼓動を確かめ、息の様子を見、薄暗くてもはっきりとわかる、その健康そうな肌を見つめた。病や、短命そうな様子など何処にもない赤ん坊だ。  

 けれど此処は、ヌシの総べる島。医者の化野がどう診ようと、ヌシがもしもそうと決めたなら、そうなる運命と、いうことなのだろう。
 
 ずっと何もせず、何の声も発さず、火を灯した行灯を持って立って居るギンコへと、化野は視線を流す。まるで答えを求めるように彼を見つめると、ギンコはほんのひと欠片も表情を動かさず、少し項垂れて、蕾のあった場所へ視線を落していた。

 迷うように白也が、ぽつり、ぽつりと話し出した。

「花が消えたのは、多分、セキさんが摘もうとしたからです。恐らく、摘ませるまいとして」

 贄じゃないのなら、
 花は摘めない。
 この子は贄じゃない。
 だから、
 花が消えたのは…

「ヌシ様が、花を消したのだと思います。花の色が分からないのは、この子の運命が、まだ決まっていないからだとも考えられる。ですから、セイゴさん、セキさん、どうぞ気を落さずに」

 その時、ゆっくりと海から太陽が昇ってきた。水面は霧で見えなかったが、白い霧を太陽の光が煌めかせ、美しい朝だった。そんな光景を眺める皆の耳に、赤子が細く泣く声が聞こえてくる。

 化野がセキの腕へと赤子を渡すと、赤子は嬉しそうに、微笑んだようだった。帰り道、セイゴがぽつりと言った。たった一言だったけれど、強い声だった。

「名前は、ツボミにしよう」

 セキもそれへと答えながら、愛しい我が子の顔を見つめた。

「そうね。可愛くって、ぴったりの名前だわ」

 帰り道、ギンコは居なかった。白也と少し話をしてみる、と彼は言ったのだ。渡された行灯の火は、霧の濃い中で彼らの足元をよく照らしていた。












 さて、島の中での異変がいよいよ始まったようです。赤子のこともその一つなのでしょう。今回は、ほぼ決めてあった通りに話が進んだので、惑さんとってもびっくりしています。いつもこうだといいのに? いや、振り回されるのも楽しいんですけどね!

 それにしても、セイゴとセキの動揺が、可哀想だったなぁ。彼らは島で生まれたヒトビトだから、ヌシが絶対だと信じているし、目の前真っ暗になったんだと思うよ。早く不安を取り除いてあげたいけど、それがまだ中々…。

 次回も多分島から始まると思う。やっぱり難しいと思うので、頑張って書きますね。よかったら読みに来てやって下さいませ。


   
2017/06/24