対 想   18





 イサ達は無事に目的の場所に着き、無人駅へと下りる。ホームは崩れそうなほど古く、駅舎も時代を随分逆行したような、小さな小さなものだった。電車の運転手は、運転席からちらりと彼らを見たが、あっさりと視線を外し、全員が下りた途端、出来るだけすぐに、逆方向へと列車を走らせる。

 まるで、此処では何も見るな、何も思うな、と、誰かに、言い含められてでもいるような。

「此処は、終点なんだな」

 化野が何か他にも言いたげにして、それだけを言った。

 駅舎を出ると、舗装もされていない土の道。その道は先へ進むほど、細く細く。そして段々、左右の草が高くなる。腰より高く、背よりも高く。視野は草と足下の地面。そして、上を見上げて見えるのは道と共に曲がりくねる、細い空だけになった。

「なんだかたのしーいっ」
「かくれんぼしたら面白そうっ」

 セキの子たちがそう言って、走り出してしまいそうなのをいなしながら、皆の真ん中を歩かせる。随分と長く道は続き、左に右にと曲がり、分かれ道も幾つもあった。遠回りしているようにしか思えなくなってくるのだが、あながちそれも思い違いではないのだろうか。

「まだまだ行くのか?」
「そうだねぇ、半分来たってところかなぁ」
「まるで迷路みたいだし」
「面白いだろ? あんたも子供らみたいにはしゃいでいいぜ?」

 軽口を叩くイサの振り向いた顔は、少し笑んでいる。此処まで来たら、無事着いたも同然だからだ。あの土地へ入ってしまえば、肩の荷もごっそり下りる。

 でもきっと此処まで近付いた時点で、ヌシの加護はあるのかもしれなかった。歩き始めて有に二時間。けれど子供も老人も、誰も疲れた顔をしていない。むしろ先へ進むほど、みんな元気になっていくようにさえ見えた。

「もうすぐだよ」

 イサは振り向き、彼らの顔を見渡して言った。

「もうすぐ、貴方たちの…故郷だ」



 

 ようやく辿り着いた彼らを連れて、イサはまず温室へと向かった。タツミの住いだった館は目と鼻の先だったが、其処が今どうなっているのか、確かめなければやはり不安だったからだ。

 敷地内に入った時、濃い「蟲の気」に包まれたのを感じた。ひとりひとりそれぞれも、自分の身に何かを感じていたようだった。その「気」は不穏に騒いでなどいなかったから、それだけでも安堵は出来た。木々の隙間に館の外壁や屋根が見えて、それを視野の端にしながら広い広い温室の、ガラスの扉をイサはゆっくりと押し開く。

「一先ずみんな、此処で少し休ん、…ッッ!」

 其処には、蝶が満ちていた。

「お、おぉ…っ」
「あぁ、蝶だ…!」
「私の…ほらっ、ユキとクミのも」
「本当だ、俺のも近くにっ!」

 美しい光景だった。温室の中、滴るような濃い緑に包まれた場所に、とりどりの光る蝶。それを見た時、人々はみな満ち足りた顔をした。此処が本当に、これからの自分たちの居場所なのだと分かったのだろう。涙ぐむものもいた、手に手を取って、本当に泣いてしまうものも。

 其処へ、二分されていたもう一方の人々も辿り着いて、同じ扉から入ってくると、ますます感極まって跪く姿すら。

 あぁ、あぁ。
 私たちの、蝶。
 いいえ、私たちの花。
 ヌシ様が、
 これからも私たち皆を、 
 ずっと此処で、
 お守りくださる印。

 あとから合流した人々の中に、ギンコの姿が居ない。イサと化野はほぼ同時に気付いていて、先にイサが強くこう言った。

「先生、今、ギンコを連れてくるから、あんたは此処でみんなと一緒に居て。此処の敷地は広いんだ。闇雲に探したって擦れ違うだけだからね。下手すりゃメロドラマみたいになっちゃうよ」

 ぐい、と化野の肩を掴み、温室の扉から引き離すように奥へと押してから、イサは急ぎ外へと滑り出た。すぐ外に居た爺様が、ギンコのいるだろう方を指差して示してくれ、任せていいと言うように、しっかりと頷いてから温室へ入ってくれた。

「何か」
「そうさな。こっちが別に動いていた間のことも、お前とギンコとで擦り合わせといた方がいいじゃろうて。館が今どうなっているかも、確かめるべきじゃしな」
「分かった」

 早口で言い交したのはそれだけ。イサが爺様の示した方へ進むと、木々の生い茂る暗い中に、ぼうっと光る何かが見えた。それも蝶だった。白い蝶。呼吸するように、ゆっくりと色を移り変わらせる姿の、美しい…。その蝶に遠巻きにされるようにして、ギンコが。傾いた木の幹に、背で寄り掛かるようにして、彼は、ぽつん、と、立って居た。

「ギンコ、どうかし…」
「…出来ない、って断ったんだ」
「え?」

 振り向かず、彼はそう言った。

「此処での新しい神官にさ。俺にならせようと。ヌシが、しているようだったんでな。前のまま、白也にってわけにはいかないのかもしれない。場所も移った。前のヌシの子とは言えど、此処のヌシは新しい別のヌシだ。だから、神官もすぐに別の、ってことに、したかったんだろう…」
 
 イサは何も言わず、草を掻き分けてギンコの傍に行った。肩が触れるほどの距離から見た彼の横顔は、変に静かで、どうしてか酷く老いて見えた。姿形がではない。纏う空気や、多分、その時の彼の想いが、そう見させていたのだろう。

 何があったのか問うと、ギンコは淡々とイサに語ってくれた。語りながら、自分の中でももう一度整理をつけていたのかもしれない。

 此処を目指して、未開拓の山を歩いている時、沢山の蝶が見えた。その時山中を移動している人々の蝶だ。そして、ずっとその先頭を行き、他の蝶たちをも先導しているように見えたのは、ギンコの蝶だったのだ。それはギンコの意志ではなく、ヌシがさせたことだ。

 白也の蝶ではなく、ギンコの蝶を選んだのは、つまり、新しいヌシが、ギンコを次の神官に選んだということなのだろう。

 だが、それを感じたギンコは此処に着くと同時に『否』と、ヌシに意思をぶつけた。渡守りと神官と両方は無理だとか、そんなことではない。例えヌシの民の一人であろうと、ギンコにはヌシよりもこの土地よりも、大切なものが常に他にあるから…。

「ど、どう、なったの…?」
「さあな。ただ、俺がそれをヌシに示した瞬間、視野の端に居た蝶が数匹…、消えた」
「それ…って…」

 自分の横顔を見続けるイサの顔を、ギンコはその片目の中に、一瞬映した。彼の翡翠色の眼球の底に、何か、異質な光が灯って揺れていた気が、イサにはしたのだ。震えが来て、何も言えはしなかった。

 多分、今のは、ギンコの中に居る別の、蟲の……。

「化野は?」
「…あ、あぁ、温室に居るよ、みんなと一緒に。ちゃんと着いてるし無事だから、安心して。ええと…」
「そうか。…タツミの館の中が今どうなってるか、一応、確かめた方がいいんだろう? 山を歩きながら爺様に聞いた。いわゆるライフライン、ってヤツ、電気や水道やガスなんか、大急ぎで全部止めたって。機械類も最低限あったものは、土地の外に運び出したとか」

 此処が完全にヌシの土地になる前に、それらは絶対にしなければならなかった事。日も無かったし、さぞ大変だったろうな、と、ギンコは笑ってさえいる。だからイサもそれに合わせて笑った。無理にでも笑って見せた。

 イサとギンコは館の中を一通り見て回り「文明のリキ」が残っていないか確認して歩く。あれば「ヌシ様の気」が不穏なものとなる筈だから、どうやら大丈夫だとすぐに分かった。

「オッケ。問題ないね。あればこんなにヌシの気が静かなわけはないんだし、今更確認する必要なかったかも。そろそろ行きなよ、ギンコ。先生んとこに。爺様が見張ってると思うけど、きっとあいつ、今にも温室を飛び出して来ちまう」

 イサがそう言うと、ギンコはちょっと微妙な顔をして余所を向いて、それ、別の場所でやっていいか、と、イサに我が儘を言ったのだった。

「…やれやれ。面倒くさいヤツらだな、ったく。まあ、いいけど、世話が焼けるよね」

 その時居た部屋を出て、温室に化野を呼びに行った。ギンコはあの館の中の、この部屋に居ると言葉で教え、扉を壊しそうな勢いで出ていく化野の背を、小さく首を傾げて見送った。

 イサは己の心に宿った不安を、ただただ奥底に沈める。何かがあるとしても、何も出来やしない。無力が過ぎるからだ。それでも「その時」が来たら、出来る限りを、と、無理にでも思うしかなかった。





 ギンコが居るのは、二階にある広い部屋だった。その部屋の一番大きな出窓に腰を乗せて座って、逆光で顔を影にして、彼は化野を待っていた。まだ昼日中だというのに、館の周りに生い茂る木々のせいで、部屋は酷く暗く思え、それ故、ギンコの髪の輪郭だけが、真っ白く彼を縁取っている。
 
「ギ、ギンコ…?」

 部屋の入り口で立ち止まり、不安そうに名を呼ぶ化野に、ギンコは静かに答えた。

「…そうだよ、化野。早くこっちへ来いよ」

 触れたいよ。
  触れられたいよ。
 唇を重ねたい。
  抱き合いたい。

 いいや、
  もっと互いをはっきりと、
 感じられることがしたい。

 言葉にしないそれらの想いが、二人の丁度間の空間に浮いているように思える。これは再会だ。けれども長の別れののちにというわけではない。なのにどうしてこれほどに、渇いてしまっているのだろう。
 
 何処かの何かの一瞬、きっと何度も繰り返されてきた一瞬と今とが、ぴったりと重なって貼りついているようで切ない。もう会えないかと苦しんで、そののち出会えた、その刹那を。

 互いの魂が、
 心の底で、
 意識の遠くで、
 思い出して、

 いる。

 ギンコは手の中で、小さな金属の何かを微かに鳴らして言った。

「この部屋の鍵、貰ってあるんだ。スペアは無い。何処に住むか決まるまで、俺とお前とで、此処を使っていい、とさ」
「……わかった…」

 これは誘いの言葉だと、化野は了解した。

「…凄く、久しぶりな気がするよ」








 
   

 
 


 あぁぁ、次の神官うんぬん、のこと、ちゃんと書く場面が入らなかったーっ。そしてラストにこうなったので、次回は一応それなシーンがちょっとでも入るかもしれません。次で終わるのか? これ。次に書く時の為に、ちゃんと考えたいと思いますっ。とにかく頑張りますっ。

 ともあれあと数話で一回区切るつもりでおりますよーっ。こう見えてこの話のラストも近い筈なのです、たぶんたぶんのたぶんっ。お読み下さる方、ありがとうこざいますv



2018/06/17