対 想 15
イサがやることは幾らでもあった。船の手配、車の手配。移動にはどの経路を使うか。時間はいつがいいか。その他に必要なものも多々ある。何しろ、運ぶのは品物ではなく生きた人間。その上、極力人目についてはならない。
勿論ひとりですべては無理だし、爺様とふたりでも不可能だ。何しろ猶予が残っていない。仲間の何人かの手を借りて、幾多の事柄を不備なく整え、一刻も早く島へ渡らねばならない。
「…次は? 次は何を」
ひとつが終わってその次を、と腰を上げた途端にスマホが振動した。急いた仕草で手に取って、相手の名を流し見しながら短く答える。
「何、どうしたの。…あぁ、その件か。いや、いいよ、俺が行く。場所は予定通りだね。時間は? うん、わかった。すぐに行くから、三人を別々に呼んでそこで待たせておいて」
通話を切ってイサは項垂れ、一瞬だけ目を閉じる。閉じたその目を開いて立ち上がり、彼が部屋を出て行く時、その眼差しには揺るがない意志が宿っていた。
「どうも相当良くないらしいんだよ、タツミ。もう多分、入院した病院から出て来られないんじゃないか、って」
「…えぇ? そりゃぁ随分なお年だったけど、こんな急に」
とある小さな料理屋の、扉を閉ざした個室である。初老の男が言った言葉に、やはり年のいった女が不安そうに顔を曇らせた。もう一人、席についていたのはまだ若い女。彼女は他の二人の方に身を乗り出して、こう言った。
「それで、どうして私たち三人は、此処に呼ばれたのかしら…。私、誰に呼ばれたかも聞いていないのよ……。わざわざあそこから出て、此処で待っているようにって言われたのも、なんだか」
「……あ」
「おい、ちょっと」
その時、店のものが声を掛けながら入ってきて、テーブルにコーヒーを置くところだったのだ。彼女は言葉を止めずに話していて、そのことを年嵩の二人は、焦ったように咎めた。店員は、ごゆっくりどうぞ、と普通に言って出て行ったので、それ以上何も言わなかったが。
「二人は何か聞いてる?」
「…あの土地の持ち主は変わるらしい。こういうことになったらどうするかってことは、前々から決めてあったんだって話だよ」
「そうなんだってね。私たちの身の振り方は考えてくれる、悪いようにはしないから、って、それだけは聞いてるよ。イクノちゃんは聞いてなかったのかい?」
イクノと呼ばれた若い女は、驚いたように目を見開いて、聞いてないわ、と、そう言った。
「キヨコさんもセイタさんもそう言われたの? 私だけどうして」
彼女がそう言った時、キイ、と微かな音を立てて、扉が開いた。細い隙間を猫のように静かにすり抜け、入ってきたのはイサである。イサは何も浮かばない眼差しで、その場に居る誰とも視線を重ねず、ただこう言った。
「待たせてすまなかったね。今から色々話をするから」
「…っ、あ、あなた」
イクノがそう声を上げた時も、他の二人は黙っていた。唐突に現れたイサに、少しばかり驚いた顔をしたものの、その様子さえ瞬時に消している。イサの顔に、うっすらと哀れむような表情が浮いた。部屋の奥には入って来ず、背中でそっとドアを閉じ、かちり、と閉まり切る音を聞いてから、イサはあくまで淡々と言うのである。
「この前外で会った時も、あんたそうだったね」
「あっ、す、すみません…」
あの土地のことは、けして他言しない事。けして人に聞かれない事。あそこで見知った顔を外で見ても、知らぬ振りをする事。それを誰にも覚られてはならない。
「まぁ、いいや。もう」
そしてイサはようやっと部屋の奥まで入ってきて、それでも椅子に座るでもなく、年嵩の二人の方を見て言った。
「別のものから既に話が行っている通り、タツミはもう戻れなくなった。土地も建物も既に名義が変わってるよ。それで、急で申し訳ないけれど、セイタさんとキヨコさんは、今住んでいる場所の私物を三日でまとめて。手伝いのものが行くように手配はしてあるから」
「三日、ですか…」
「わ、わかりました」
本当に急な話だったが、二人は騒いだりはせず静かに頷いた。タツミの無事を問われたけれど、イサはそれには、無事だよ、とだけ答える。言えないことがあるだけで、嘘ではない。
「次の住まいももう借りてあるので、其処に移って。場所は変わるけど、これまでとだいたい、似た感じの仕事が出来るように考えてあるから。田舎の施設で、建物の管理とか食事の支度とか、そういう、ね。ただ、ひとつ約束して欲しいのは、これまで通りあの場所のことは、けして他言しない事。それだけ守ってくれれば、何か合った時には必ず手を貸す」
簡単な説明を、ごく簡単に済ませると、イサはキヨコとセイタに、ひとまず戻る様にと言った。戻って引っ越す支度をするように、と。そうして二人は時間差をつけて店を出て行き、別々の道順で戻っていった。
彼の目の前に残ったのは、イクノ一人。
「さて、と、イクノさん」
イサは彼女の目の前の椅子に、やっと腰を下ろして、テーブルに片肘を付いた。手の甲の上に顎をのせ、怠惰な様子で斜めにイクノを見る。
「あんたは解雇だ」
「…え…」
「解雇。もうあの場所に戻ることも許されない」
「そんな…っ!」
ガタン、と音を立ててイクノは椅子から立ち上った。イサは姿勢を変えないままで、視線だけで彼女を射る。
「あの土地の今の持ち主は俺なんでね。あんたみたいな口の軽そうな人間を置いておけないし、関わりを断ちたいんだ。悪いけど」
「でもっ、準備くらいっ」
「……まぁ、医者の彼氏のとこでいいなら、荷物簡単にまとめて送ってあげないでもないけどさ。居るだろ、付き合ってるヒト。二、三か月に一回、外に出るたび会ってるよな? あんた」
調べたんだ、とイサは抑揚のない声で言った。イクノは声もない。事実を言い当てられたからだ。確かに、付き合っている人がいる。プロポーズだってされた。結婚して、自分の医院を手伝って欲しいと言われて、イクノは断らなかった。返事は待ってもらっている。
「…要するにさ、あんたはあの土地に隠れて無くても、もうちゃんと生きていけるわけだ。丁度いい機会だから、あと腐れなく今『追い出してやる』って言ってんだよ。ただし、数年単位で監視はしてるから、忘れないどくんだね。他言無用を破った時は、もうそれ以上、絶対に他言できないように、するから」
「………」
イクノは無言だった。項垂れて、もうイサの方を見なかった。イサは数分の間返事を待ったが、それ以上は彼女の姿を一瞥すらせず、椅子を立って部屋を出た。後で彼女から連絡があったと仲間から聞いた。例の彼氏のところへ荷物を全部送って欲しい、と。
「…サ…イサ…」
名を呼ばれて、思いのほか深かった眠りからイサは目覚めた。目を開けてみた視野に、ギンコの白い髪と翡翠色の瞳が見える。
「起こして悪い。今、インターだ。子供二人がトイレに行きたいって言ってる。どうしたらいい?」
「…あぁ…、トイレ、ね。待って。今、何処? あぁ、まだ此処なのか。ならもう少し行ったら左に遠距離車両用のパーキングがある筈だから、其処がいいな。子供って、セキさんところのだろ? だったら、セキさんと子供三人と、あと他に行きたいヤツいないか一応聞いて」
そろそろ夜が明ける。外からの明かりの中、てきぱきと地図を広げ、想定していた通りにイサは指示を出した。パーキングに停まってからもそれは同じで、あまりに手際がいいので、ギンコが心配したぐらいだ。
「少しは寝たのか? イサ」
「…あぁ、ぐっすりだったよ。夢まで見てた。夢って言っても、ほんの数日前の出来事をそのまま見てただけだけどな。…お前は寝たのか? あと、先生は?」
「俺も少し寝たよ。化野はずっと起きてたみたいだな。夜勤慣れで、起きていようと思えば、特に苦じゃないって聞いた」
またバスが走り出してから、イサは後ろの座席を振り向いて、他の面々の様子を確かめた。半分が寝ていて、残りもうつらうつらしているようだった。
珍しい筈の外の世界に、釘付けになっているなんて人間が居なくて、少し不思議なぐらいだ。遠くできらきらと輝く街の灯かり、凄い速さで追い抜いて行く別の車、等間隔で現れ、明滅している道路の電光表示。
イサもギンコも、そして化野も、それらをぼんやりと見つめていたが、急に走行速度が落ちたので、それぞれにバスの進行方向を注視する。
「これは、たぶん事故…だな」
運転していたイサの仲間が、耳に差したカーラジオのイヤホンを押さえながら、少し苛立った口調でそう言った。
「下りの先で玉突きかもだぜ? ここら辺は多いんだ。どうやらかなり前の方で詰まってるらしい。ラジオでもまだ流れてないから、詳細が分らない。事故処理がすぐ終わればいいけどな」
「…そうだね。こうなりゃ焦っても仕方ないし。あぁ、トイレの後でよかったかもなぁ」
さっき、殆ど全員行ったもんね、と、笑って言いながら、イサは腕の時計と、白んでいる空の色を見比べていた。
続
数日前の回想シーンを長々と入れてしまいました。彼女がなんかちょっと、感じの悪い人に見える気がしますが、別に普通のヒトです。
あの場所にこの先、普通の人たちに居て貰うわけにいかないので、出て行って貰ったのですが、ただ一人、彼女に関してだけは、三日後、なんて悠長に言っていられなったイサの気持ちを察してあげて…! このままうまくいくといいですねぇっ。
ってわけで、待て次回ぃぃぃぃ。
18.02.04