鼓  動    9




 良く晴れたその日、里人は白也の家に集められていた。

 勿論、全員が家の中に入るのは無理なので、外の少し広くなったところで、皆てんでに、腰を下ろしたり立ったままで居たり。揃うのを待っていた白也の隣には、神官の蕾。ギンコは化野と共に、他の里人に混じっている。

「この里に、新しい仲間が来ます」

 蕾が緊張した顔でそう言った。その言葉に、ざわり、と人々はどよめく。

「あ、新しい仲間…っ?」
「えぇっ、初めてじゃないかっ、いったいどんな」
「女か、男か? 幾つぐらいなんだい?」
「えーーっ、どんな人なのっ? いつ来るのっ?」

「みんな、落ち着いて。今話します」

 想像通りの騒ぎに、白也は静かな佇まいで言い添える。ナキ島での遠い記憶が、彼を冷静にさせていたし、二日前にギンコに聞いて、先に知っていたからだ。

「これか、俺に黙っていたのは」

 白也の方を向いたままで、化野は淡々とそう言った。渡守の時期でもないのに、半日外に出て帰ってきたことがあったから。ギンコは、あぁ、とだけ言い、蕾に替わり白也が続ける言葉を聞いた。

「来るのは女性が二人。年は二人とも29才と聞いています。ミサキさんとミイさん。急なんですが、十日後ぐらいにこの里に来ます。それで、最初は館の空いている部屋に住んで貰うとして…。出来ればゆくゆく、二人で住みたいそうなので、家をどうしようかと思ってますが」

 すると、すぐに一人の男が手を上げた。大工も土木も得意なリョウスケである。手先の器用なコンも口を挟む。

「家か。そんなら、セイゴの家の隣が、わりと平らで作りやすいと思うぜ」
「うん、畑にするには狭いけど、家一件なら余裕だし、よく陽もあたる。切り出した材木を運ぶにも楽だな」
「そしたら井戸を挟んで、うちの南側ね。慣れるまでお世話するわ」

 お隣さんになると聞いて、セイゴ一家も嬉しそうだった。

 それにしても、話の流れが早い。ちゃんと話を聞いて、皆、真摯にそれへと向き合う姿勢だ。笑顔で嬉しそうで、不安そうにしているものはいないのだ。強いて言えば化野が、何か言いたげな顔でいる。

 家を建てるにあたって、作業の分担などをわいわいと話し合い、集まって祝いたいと声もあがり、それらの話が一段落ついた頃、白也が言った。

「俺も含めて、の話になるんですが」
「なんだい、白也、急に真面目な顔して」
「リョウスケさんとコンさんは、奥さん、欲しいと思っていますか?」
「お、おく…っ」

 かぁーー、と赤くなり、口籠ったのはリョウスケだった。今四十。十年以上前にひとりでナキ島に来て、それからずっとひとりだ。

「な…っ、んだよ、藪から棒だなっ。別に思っちゃいねぇよ、みんなと仲いいしよっ、毎日面白おかしいもんなっ」

 本当に芯から照れて、手を顔の前で振り回している。それを見て、ひとしきり笑ったあとで、今度はコンが言う。彼はナキ島で生まれた。両親とは島で死別している。三十一歳。

「俺もひとり身で充分楽しい。此処は居心地よくて、他になにか望む気にもならない。…前に、好きな女は居たけどな、島に残ったんだ。もうよく覚えていないよ」

 少し、場がしんみりとなった。それで話は終わって、みんなそれぞれに、家や畑に帰っていく。白也にその問いの答えを求めるものはいなかった。彼が元神官だから、そういう話と繋げて考えるものがいないのかもしれない。

 広くはない道を皆で戻っていく間、誰かがぼそりと言った。

「そういや、ここへ来てから誰も結婚してねぇし、子供はリョクヤんとこに、ひとり出来たっきりなんだなぁ」

 それへ誰もすぐには返事をしない。

 リョクヤとシオリ夫婦に男の子が生まれ、その一年後、老夫婦の爺さんが亡くなって、里の人数は変わっていなかった。若い女が二人入ってくるのは、もしかしたら、そういうことなのかと、今更のように皆は思っていた。

「じゃ、じゃあ、俺とコンにって、話? もしかして。産めよ増やせよ、みてぇな? うわ、なんも考えねぇで、いらねぇって言っちまった」
「…俺もだ。さっき問い掛けられた時、なんでピンとこなかったんだろ」
「でもその子たち、29なんだろ? 俺とってのはちょっとよ。だって俺もう41だぜ? コンはちょうどかもしんねぇけど。それだったら白也のが」
「やっぱり、実感湧かない、ぜんぜん。参ったなぁ」 

 その時、リョウスケとコンが話している声を、ある言葉が静かに遮った。

「ヌシ様が、お決めになることだと、思う」

 その声に、そこに居る皆が一斉に集中した。蕾だ。まだ子供だけれど、まごうことなきこの土地の、神官。

「コンさんとリョウスケさんが、そういう気持ちにならないのなら、それはヌシ様が、望んでおられないから。白也はそれを確かめた」
「なあんだ、そうか! ありがとよぉ、蕾ちゃん」
「はー。よかった、ほっとした」

 白也ももうちょっと分かるように言ってくれりゃなぁ、と、皆が和んだ空気で笑う。そして、小道の交差するところで、二股の分かれ道で、それぞれへと歩いて行く。家へと、田畑へと。その途中、急にギンコが蕾の肩に触れた。

 蕾はぼんやり振り向いて、向けられている化野の背に負ぶわれた。驚いているセイゴとセキには、ギンコが話す。

「急にヌシ様の声を聞いたからか、体がしんどいみたいだ。みんなこれから畑だろう? 館で少し休ませて、あとで家まで送るよ」

 心配顔のセイゴ達に了承を得て、すぐ傍の館に着くまでの間に、蕾は眠りに落ちてしまっていた。ベッドに寝かせたあと、化野は別の部屋でギンコに尋ねる。

「蕾ちゃん、さっきヌシ様の声を聞いたってことなのか? こんなふうになるのを今まで見たことがないが」
「俺はヌシじゃないし、神官でもないからはっきりは分からないけどな。たぶん、ヌシも緊張しているんだろうと思うぜ? だから声を受け取る蕾も疲弊する。実はその新入り二人、もう土地のすぐ傍まで来てるんだ」
「そう、なのか?」

 化野はソファに腰を下ろし、窓辺に立っているギンコを、もの言いたげな顔で見ていた。

「ということは、ヌシ様が二人を受け入れて下さるかどうかは、既に確認済ってことか? そうか、でなきゃみんなに話したりしないだろうしなぁ。で? お前はどうして、今日まで俺に隠してた?」
「言わなかっただけだ」
「女が二人入ってきて、もしかして俺がどっちかに、とか」

 ギンコは笑った。苦笑いのような、少し悲しげなような顔だった。そして彼は一言で返事をする。

「有り得ない、だろ」
「そうだ。有り得ない」
「ナキ島に居た時のお前は、少しは揺れたけどな。サナミと、ミツさんの、話の時」

 聞いた化野は、一瞬きょとりと目を見開いた。告げられた名前を、彼は思い出せていない。それでも何とかおぼろげに思い出し言い訳しようとする。

「あれは…。だから、お前が。……」

 化野は急に震えて、ギンコの眼差しから逃げるように項垂れた。思い出してしまった。そうだ、ナキ島でも一度は思った。このタツミの土地で自分が死に、取り残されたギンコがどうなるか。

 あの時の方がずっと、俺はギンコを、思いやれていたのかもしれない。サナミと俺との間に出来た子でも、俺によく似た子だったら…。ギンコは慰められるだろうか。そんなことを考えていた、あの時。

 でも、子供が居なくても、俺はどこかに同じ姿で転生して、またギンコと出会い、愛し合う。だからこそ俺の死後、ギンコは此処から解放されなければ。

 俺の、死後…。

「ギンコ。俺は…」

 言い掛けた言葉を、化野は続けることが出来なかった。今は隣室に蕾がいる。この土地から出たいなどと、もしも聞かれたらと思う。

「…なんでもない、そのうち、話す」
「話なんかしなくていい。…分るから」

 窓辺を離れ、化野に近付きながら、見抜くようにギンコは言った。そうして身を屈め彼の頭を抱いて、体を離す前に深い口づけをひとつ、するのだった。

 


 
「ねぇ、あそこ。あの蝶、見たことないよっ。お母さんのとは違う、赤い色。白が混じってる」
「ほんとだぁ、一緒に飛んでる蝶も初めてだよね、薄…紫? きれい…」

 13と12の二人の少女が、見知らぬ蝶を指差している。ユキとクミ。彼女らの視線に教えられて、皆も懸命に温室の高いところを見上げた。

「おおっ、ほんとうだ。ありゃ見たことないねぇ。そしたらあれが…っ?」
「そうに違いない。ヌシ様が教えて下さってるんだな」
「めでたいことだ。いよいよ今日だもんなあ」
「楽しみだよ、まだかねぇ」
「あっ、来たんじゃないかいっ?」

 温室の扉がゆっくりと開く。イサと蕾と白也、そして見知らぬ若い女が二人、そこから入ってきたのである。











 
 化野もギンコも、間違いなく優しい人たちですけれど、それでも、何かを、誰かを犠牲にしてしまうことはある。犠牲にすると分かっていて、そうしたいと思う気持ちを、止めようがない時がある。と、思います。

 それでも犠牲は最小限にと、願うのが優しさの証だと思うのですよ。

 ラストに向けて、じわじわと。そんな9話でございました。また次回〜〜。


21.04.04