鼓 動 10
「よくきてくれたねぇっ」
最初にそう言ったのは誰だっただろう。その後、皆からの歓迎の言葉が、いくつもいくつも温室に飛び交った。ついさっきまで見えていた、二匹の蝶は消えている。代わりに新しい仲間が、皆の目の前にいた。
「あぁ、待ってたんだよ」
「なんでも聞いて頂戴ねぇ」
「仲良くしようっ」
それへ続いて、自己紹介の言葉も我先にと。そんなにいっぺんに言われたんじゃ、覚えきれないよ、と音を上げたミサキに、どっと全員の笑いが溢れた。
「彼女ら二人、実は二日ほど前から、里の近くをぐるぐる歩き通しでね。ちょっとばかり疲れているんだ。歓迎の宴かなんかも別でやるんだろうし、今日は程々で休ませてあげてよ」
イサからのそんな言葉で、ひとまず顔見せはお開き。もう一言ずつ声をかけながら、ひとりひとりが温室から外へ出ていく。新入りの二人の他に残ったのは、イサと白也と蕾、そして化野とギンコである。
化野はギンコの隣に立ったままで、柔らかな笑みを浮かべ二人に挨拶をした。
「化野だ。すぐ其処の大きな館に彼と住んでいる。広いから、住む家ができるまで気兼ねなく使って欲しい。何しろこんな土地だ。慣れるまで戸惑うだろうが、みんな親切だよ」
「…え。じゃあ、ギンコ、さんと貴方って…」
思わず、といった態でミサキがそう言った。ミイが横から軽く彼女の腕を小突く。
「ミサキったら」
「あ。ごめんなさい」
「はいはい、そういう込み入った話は後でゆっくりして貰える? 何より一番大事な話、俺からはさらっとしか伝えてないから、蕾ちゃんから? それとも白也からかな。新しい二人の仲間に、話さなきゃなんじゃない? 俺はもう帰るけどね。関係者だけど部外者だし」
ひらひらと手を振って、イサはさっさと温室を出て行った。扉が閉じたあと、ガラス越しにこちらを見た気がするのは、たまたま見ていた化野の思い違いか。
その姿が見えなくなったあと、結局は化野とギンコも、先に館へ戻っていることになった。彼女らが使うだろう部屋に、少し風を通しながら、早めの夕食を用意し始めるのもいいだろう。
何しろ電気も水道もガスも無い。慣れているとは言え、煮炊きは暖炉でするのだから、時間はそれなりかかるのだ。あるものだけを使った簡素な食事が出来るころ、夕の色に染まる小道を二人がくるのが見えて、化野は窓を押し上げ声をかける。
「そのまま入ってきてくれ、右の階段で二階だ。部屋の手前までは靴のままでいいよ」
ぱっ、と顔を上げた二人の声が、わかった、と綺麗に重なって聞こえた。
「お邪魔するよ」
「お邪魔するわね」
「ようこそ。気楽にしてくれ」
言いながら、化野は四枚の皿に野菜スープを入れている。大きなテーブルを、手早く拭いているのはギンコだった。
鍋敷きを真ん中に二つ置いて、その上に飯釜とスープの鍋。その隣には茶碗が四つ重ねてあった。どうやらそれだけの、夕の食事であるらしい。スープのいい匂いがして、ミサキもミイもほっとしたように表情を緩めている。
「粗末ですまないね。散々歩かされたらしいし、緊張していると腹が減るだろう。食べてくれ。量だけはある」
里人のことなど他愛なく話しつつ、四人はあたたかい食事を皆で食べた。その終わり間際、化野が二人にこう尋ねる。
「ヌシ様には会ったのかい?」
「…そう、ねぇ。会った、って言っていいのかどうか、よくわからない。連れていかれるまま、言われた通りに地面の平らな石に手を置いて」
食事の手を止め、ミイが思い出しながら言った。
「花を見せてくれたよね。私のとミイのと」
ミサキはどこかうっとりするような目になる。
「綺麗だったなぁ、ミイの花…」
「あなたのも可愛かったわよ。でも、あの花は私たち自身のことを表しているんだって言われて、ちょっと、怖くなった…」
「何が怖いの、ミイ」
「だって、見透かされているような気がするじゃない。薄紫の優しい色をした花はミサキの。私のはきついぐらいの赤に、少しだけ白だったわ。私、あまり喋らなかったし、ずっと大人しくしてたつもりなのに、そんなの関係なく、内側まで見られてるみたいよね。どんなふうにかわからないけど、あの花を見ることで、私たちがどんなふうに、いつまで生きるかさえわかるだなんて、本当なの?」
喋らなかったと言う彼女、でも今は随分喋る。ギンコはそう思っていた。隠し切れずに上擦った声で、ミイの方ばかりが変に動揺しているように見える。化野も気付いているらしかった。
「あぁ、まぁ、そういう話だな。…さて、充分食べたかい? 疲れているんだろうから、まだ早いが、休んだ方がいい。部屋は廊下をもう少し進んだ三つ目だ。ドアを開けてあるよ。鍵もかかる」
「えぇ、そうね。ありがとう。明日は私たちが朝ごはんを作るから、朝、使っていい食材を教えて。ねぇ、お部屋に行きましょう、ミサキ」
廊下へと出て行く二人に、化野はもうひとつ声をかけた。
「ベッドは一つだが、長椅子にも毛布を置いたよ」
するとミイは首だけで振り向いて、含みのある眼差しで笑ったのだ。
「ベッドひとつだけで足りるわ。でも、もしも聞こえたら、ごめんなさいね。私、ちょっと声が大きいのよ」
「ミ、ミイってば、なんてこと言うのっ」
「本当のことよ。ずっと出来なかったんだもの。そうでしょ、ミサキ」
段々、声は遠ざかり、ドアがぱたりと閉じる音がした。化野は、今居る部屋のドアをぴったりと閉めてから、ソファに深く腰を下ろす。自然と長いため息が出た。
「そういえば、外の人間と話すのは久しぶりだったんだな。どこが、とは言えないが違うもんだなあ。いや、彼女らももう『中』の人間だが」
ギンコは小さな笑みを浮かべながら、化野の顔を見た。
「疲れたかい?」
「…まぁ、な。お前は何も教えておいてくれないし。いろいろ予想外だったよ。でも、彼女らならすぐに馴染みそうじゃないか?」
「電気やガスや水道の整備されていない国で、一年以上暮らしてたって話も聞いてる。あと、予想外ついでに教えるが、ミサキは教師で、ミイは、医者だそうだよ」
「……」
ギンコの視線の先で、化野の表情が止まった。何も言わないまま数秒間。その間、化野は考えていた。
医者だって?
俺がいるのに?
こんな小さな土地、
医者はひとりで充分なはず。
じゃあ、何故?
何故、医者が来たんだ?
意味はあるんだろうか。
あぁ、いや。
別に医者が二人居たっていいんだ。
ただの偶然だろう。
たまたまだ、きっと。
でも。
じゃあ。
そうしたら、もし。
「化野」
間近から名前を呼ばれて、化野は、はっ、と顔を上げる。ギンコは静かな眼差しのままだった。
「彼女、医者なのか。そういえば、そういう匂いもしてたかもな。…気付かなかった。ギンコ…? ん…」
唐突に唇を重ねられ、化野は目を見開く。ギンコは化野に近付いて、隠すように瞼を伏せた。
「考えちまうんだろ、いろいろ。でも、何も考えなくていいんだよ。ただお前は、この先も此処で暮らすことを考えていればいい」
「…どういう意味だ?」
「そのままの意味さ。それよか、化野、なんなら俺らもしようか? 張り合うわけじゃないが、向こうの声とか、下手に聞こえたら気まずいだろ?」
二度目の口付けは、深く長い。受け止めて、化野からも同じだけ返した。抗える気もしないし、抗う気も無かった。あれ以来していなかったのだ。数か月も経っていた。
「ギンコ。でも俺は、彼女らにお前の声を聞かせたくないよ」
「お前がそう言うなら、無理でも堪えるさ」
続
今日は二話同時アップですぞー。正直、ここで「また次回っ」は私が堪えられないのでした。せっかく書いたんだもん、その…彼らのそういうシーンをさっ。
2021.04.18
