鼓  動    25




 今、電車の中は空いている。規則的な揺れを感じながら、車窓から途切れ途切れに入ってくる光を浴び、化野は斜め向かいに座っている女性に、静かに話しかけた。

「すみません。終点ひとつ手前っていうのは、あと何駅でしょうか」

 本を開いていた女性は、ふ、と顔を上げ、話し掛けられたのは自分だと気付くと、分かり易く答えてくれた。そんなもの、人に聞かなくとも分かることだが、化野の真っ直ぐな眼差しに、疑問は何も浮かばない。

「終点は弁天町、そのひとつ手前は東弁天よ。此処からだと、宝町、明ノ橋、水神参道の次になります。…あの、お連れさん、具合でも? 私、終点まで行くので、東弁天に着いたら、駅員さんを呼びましょうか?」

 化野と話しているうちに、隣に座っているギンコの様子に気付いたのだろう。親切に有難いのだが、化野は丁寧にそれを断った。主治医なのだと告げ、故あって連れは今眠っているが、大丈夫だと伝えた。

 化野は女性に礼を言い、教えられた名前の駅に、ギンコを背負って降りる。ホームには人がまばらに居たが、駅員の姿は見えない。見つかれば、また同じ説明をしなければならなくなるだろうから、なるべく急いでその場を離れた。

「東口のロッカーだったな」

 エスカレーターを降りるとすぐにロッカーの表示が見えた。キーに刻印されたナンバーを探すと、一番奥の陰の方。入っていたのは帽子と、蓋の無い小箱だった。箱の中を探った手に触れたのは携帯電話。電源を入れて、電話帳を見ると、沢山のアドレスの中に、「I」という一文字だけの名前があった。

 イサだと分かり、化野は迷わずその番号をコールした。頼りたくない、などと思う余裕なんかある筈がない。出てくれ、早く、出てくれと、祈る気持ちで呼出音を聞いた。

『戻ったばっかりで、何、ギンコ』

 三度のコールですぐに出たイサは、訝るような声だった。

「ギンコじゃない、化野だ。今、ギンコは…眠ってるんだ」

 名乗った途端、無音のままでぴんと糸を張ったような、緊張感だけが伝わってきた。

『……ギンコのケータイからってことは、要するに、あんた、里から出たってことだよね。何があった。眠ってるって、どういう…っ』
「電池残量が、あまりないんだ、イサ」
『ロッカーに充電器もあっただろ!? 充電しながら話せッ!』

 激しい怒声を飛ばされて、さっきの箱にもう一度手を入れると、確かに電池式の充電器も入っていた。焦って、震える手でさして、電池のマークが点滅するのを確かめた。

「充電、してる。イサ、すまない、どうしたらいいか、教えてくれ。ギンコはタツミの里の門の外で倒れてたんだ。それで、俺が、門から出て触ったら、冷たくて、死んだように体が硬くて。でも、一度は目を覚ました。話もしたんだ。また、気を失ったが」
『……死んだ、ように…?』

 ぽつんとそれだけ聞き返して、それきりイサは暫く黙っていた。そのあと、上擦ったような声で言ったのだ。

『分かった。今、東弁天の駅のロッカーのとこだな。すぐ傍の出口から駅出て、目の前の古いホテルに入ってくれ。イサがくるから待ちたいって言えば、目立たない部屋を用意してくれるよ。すぐにそっちへ向かう』

 電話を切った後、イサはほんの数秒目を閉じていた。化野に聞いたことを頭の中で反芻する。

 死んだ、ように、だって?

 ギンコとは一昨日会ったばかりだ。彼はそのままタツミの里に戻り、中に入る直前に倒れたのだろうか。会っていた時は普通にしているように見えた。具合が悪いとか、そんな様子は無かったのだ。それに、ギンコは不死だ。死ぬわけが…。

 でも、本当にそうだろうか。そもそも、ギンコは何故死なない? それは彼が、普通の人間とは違うからだ。彼を生きさせているのは、刻の蝶、という蟲の命。

 イサは窓辺に置かれている、小さな鉢植えを見た。タツミの里の植物の何種類かを、一緒に植えてある鉢植えだった。じい様が世話していた頃に比べたら、元気がなくなってる。どれにも新しい葉が出なくなって、古い葉は瑞々しさを失い、乾いて縁から茶色くなっていた。それがいったい、何を意味するか。

 死なない生き物は居ない。
 命は、尽きるものなのだ。

 気付いたら両手が震えている。何もかもが、今にも消えてしまいそうに思えて恐ろしい。出来る限り急ぎたくて、イサは化野に教えたホテルまで、車を呼んで急がせる。一時間使わずに辿り着いて、カウンターを素通りし部屋へ行くと、真っ青な顔をした化野が其処に居た。

「…化野、まず落ち着きなって」
「イサ…」
「俺のことそんな顔で見るとか、相当だね」

 イサだってついさっきまで手が震えていた。でも動揺した化野の姿と、その後ろで眠っているギンコの顔を見たら、振りだけでも冷静になれた。部屋に入り、ギンコの手に触れると、うっすらと体温。呼吸もしていると分かって、彼はもう一度、頭の中を整理する。

 タツミの里を総べる蟲の命の炎は消えかけて、もう里の終りが近い。だから、中で暮らしている人々の居場所は外の世界に準備し終えた。そのことは、先にギンコに話をしようと思っているところだったのだ。

 でもそれを知らないギンコはイサに相談することなく、化野と共に、里から出て行こうとしていた。タツミの里に暮らすままで、もしも化野が命に関わる病気や怪我をしたら、そのまま死を待つことになるからだ。何度死んでも化野は転生する。またそれを待てばいいだなんてそんな酷いこと、イサは思わない。 

 罪の意識なんて、
 感じなくていいよ、ギンコ。
 里はもう終わりになるところだったんだ。
 それはギンコのせいじゃないし、
 全部、大丈夫なように準備をしたよ。

 早くそう教えてやりたいのに、ギンコは眠ったままだ。しかも彼の体は一度は「死人」のようだったという。もしかしたらそれは、タツミの里の蟲のせいだろうか。ギンコの中にいる蟲の生命と、今にも死んでいく里の蟲の生命とが、悪い意味で影響し合ったのだろうか。

 ギンコ、早く目を覚ませ。
 このまま死んじまったりするんじゃないかって、
 俺は正直、恐ろしいんだよ。

「イ、イサ。何か言ってくれ、ギンコは…」

 役立たずが、後ろで何かを言っている。苛立って、イサはぞんざいに返事をした。 

「何かって、あんたを安心させる言葉をかい? 真っ平だし、俺だってなんにもわかんねぇよ…っ」

 その時、イサが触れているギンコの手が、ほんの少しだけれど動いたのだ。イサは息を飲んで、彼の顔を見た。

「イ…サ…?」
「ギンコ…っ! そうだよ、イサだ。大丈夫か、お前っ」

 イサの顔と、その後ろから覗き込んでいる化野の顔を見て、ギンコは目元でほんの少し笑った。

「大丈夫さ。…多分、な。『死』の寸前まで…いったかもしんねぇけど、引き戻された感じだ。何度か、経験…ある。体の損傷が、あんま、酷い時とか。仮死みたいになって、鼓動も殆ど止めて、ゆっくり、回復していくんだ。…俺は死なないさ、化野、大丈夫だよ…」
「ギン……コ……」

 イサの後ろで、化野は嗚咽を零す。ぽたりと一粒何かがうなじに落ちて来て、イサは彼と場所を替わってやった。廊下の自販機で温かいお茶を買い、紙コップで冷ましてから差し出してやれば、ギンコはなんとか身を起こし、乾いた喉を潤した。

「ギンコ、もしも、お前が死んだら、俺も…死のうかと思った」
 
 化野がそんなことを言って、ギンコが静かに返している。 

「やめてくれ。また探すのは大変なんだ。お前を見つけるまで淋しくて、死にたくなっちまうよ」

 二人にしてやりたい気持ちもあったけれど、イサはそれをおくびにも出さないよう、なるべく平坦な口調で話した。

「…起きた早々悪いけどさ、タツミの里について、大事な話がある。聞きなよ、ギンコ。化野、あんたもね」

 イサは言うのだ。里のヌシたる蟲はそもそも弱く生まれついていて、最初から里は不安定だったこと。外の世界との距離も近くて、たえず揺らいでおり、それゆえナキ島の時のようには、人々は里と一つではなかった。そして、もうそれも「終わる」のだと。

「先に言うけど、ギンコが里に住んだせいじゃないし、今回化野が外へ出たせいでもない。里に居られなくなった全員、これからどう暮らしていくのかは、もうすっかり根回し出来てるしね。俺らはこういうことに慣れてる。心配いらない」
「そう、なんだろうか、本当に。ヌシの許し無く里を最初に出たのは確かに俺だが、俺とギンコを助けようとして、あの時、全員が門の外に出ちまったんだ」
「…ふぅん。じゃあ、その時のこと、話してみてよ」

 今度は化野が話しをする。嵐が来て、夜のように里は真っ暗になり、雷も山の中にいくつも落ちた。皆で館に集まろうとして声を掛け合っていて、そんな時に、化野は門の外に倒れているギンコを見つけたのだ。

 殆ど躊躇いなく「外」へと飛び出した。その時、体の中にぞろりとした何かを感じた。恐らくだけれど、里のもの皆、同じものを感じたのではないだろうか。そして神官である蕾が門を通った時、きっと誰よりも生々しく、それを感じた。あの時、ヌシと里人たちの間を繋げていたものが、切れてしまったのではと、化野は思っている。

 里はもう、きっと他の土地と同じになる。里人を其処に繋ぎ止めたりしないし、守ってくれることももうないのだろう。

「嵐、と雷かぁ。嵐が来て、そのあと里人が門の外に出たんだろう? その順番で色々と分かるじゃないか。ヌシの力が弱くなって、里を守れなくなった。境界はまだ残っていたけど、みんなは『ヌシ様』や里のことより、今まで苦楽を共にしてきた『仲間』を選んだ」

 はーーー、と、イサは深いため息をついた。

「俺はこれから、タツミの里に行って、みんなに話をしてくるよ。きっと不安でいるだろうからさ。大丈夫だって、言ってくる」

 だってお前ら、優しいから、そうしなけりゃ気に病むんだろ。

 イサは数枚の札を化野に渡し、近くのコンビニでコンセント用のケータイ充電器と、乾電池を買うように言った。此処に居る間でも、仮に移動しながらでも、いつでもケータイを充電できるようにする為だ。部屋を出て行こうとするイサを、ギンコが呼び止めた。

「イサ」
「なに?」
「行きたいところがある。化野と二人で」
「…あんま動き回って欲しくないんだけどな、またいつ意識が途切れるか分かんないんだろ、お前」

 ギンコは透き通るように笑んで、大丈夫さ、と根拠も何も無さそうなことを言う。

「どうせ、止めたって無駄だろ」
「……明日にするよ。明日になって、平気そうだったら」
「好きにしな。ただし、いつでも連絡が取れるようにしといて」

 イサは化野の目を見た。ギンコのことは頼んだとその目が言っていた。何かが、確かに動いている。タツミの里のことだけじゃなく、もしかしたら、ギンコの体のことだけでもない。ギンコもそれを分かっているのだ。だから、じっとしていられないのだろう。イサには、彼の行きたい場所が分かる気がした。

 彼が部屋を出て行った直後、ギンコのケータイに着信があった。電話の向こうから、街の音と共に、イサの声が聞こえてくる。

『これはこっちのことなんだけどさ。ひとつ、教えて欲しいんだよな』
「あぁ」
『お前さ、ハタリ、っていう名前に聞き覚えある?』
「ハタリ…? いや」

 そう言った直後、ギンコは息を飲んだ。何かを彼は思い出していた。

「待て。…多分、ある。随分昔に、親切にしてくれた子供が確か、そういう名前だった」
『そう。ならいいんだ。何でもないから、ギンコ』

 電話の向こうのイサは、何処か嬉しそうにそう言って通話を終えた。









 殆ど一年ぶりの更新でーす。ほんっっっっっっっっっっっ、とうに申し訳ないでした。何より登場人物たちにねっ。それだけはもう大声で言いたいっ。だけど本当に難しいところへ来ているので、今後も、月二…とかは書けないかもしれませんんんんん。

 とにかく、とにかく、いろんなことを拾いながら、進んでまいります。はいぃぃ。



2023.01.08