鼓  動    22




「あれは幾つの頃だったか。少なくともまだ、十五になってなかったよ」

 今日は具合がいいんだと、縁側でのんびりしている時のような顔をして、じい様はその話をし始めた。

「お前が十五の時は何してた? なぁ、トサト」

 イサは大事に大事にその声を聞いている。実際にはここは病院で、じい様の腕には針が刺さって、そこへと流れ込む滴下が、ぽたり、ぽたりとすぐ傍らで続いているのだけれど。

「十五? どうだったかなぁ。確か、その前の年にはいろいろ教わり終えて、そろそろ一人で動いてたと思うよ、俺」

 背もたれの無い丸椅子に座って、じい様に向けた背中を、ベッドのフレームに寄りかけ、窓をばかりイサは眺めている。

「オレは、彼と会った。……ギンコと」

 イサは、はっ、として体ごと振り向いた。理由なんてないけれど、なんとなくそうなんじゃないかと思ったことはあったのだ。じい様は言うのだ。自分がまだ何も任せては貰えず、誰かの手伝いをして少しずつ仕事を覚えていっていた頃、ギンコと、会ったのだと。

「そう、なんだ。それで? じい様。教えてよ。出来たら全部さ。俺知りたいよ。凄く、知りたいよ」
「うん。じゃあ話そう。まぁなぁ、今話さなけりゃあ、全部抱えて墓の中、だしな。ははは」

 少し乾いて笑う声に、そんな、と言い掛けイサは黙って、ただ、聞くよ、と更にねだった。そして、じい様の拙いような、長い話をイサはしばらくの間、聞いていたのだった。


 
 
 白い髪した彼を、ハタリはぽかんと口を開けて見てしまった。後ろ姿だけ見て随分体のしっかりした年寄りだなあなどと思っていたのに、こちらを向いた彼は青年だったから。

 夕暮れの色が髪に沁みるようにして、とてもきれいだと思ったのは、今でも鮮烈なほどだ。

「あんたのことを全部話せ、ぜんぶだ。じゃなきゃ取引なんかひとつもしねぇ。嫌ならとっとと帰んな」

 情報をくれと頼みに来たギンコに、面倒くさそうにそう言ったのは、ワズミという男。その時期ハタリにいろいろと仕事を教えてくれている、仲間の一人だった。ギンコはそんなふうにあしらわれ、ほんの少しの間躊躇いのあと、それでも全部を話したのだ。

 怪我でも病気でも死なない。
 不死で不老で、それは蟲のせいで。
 この姿のまま自分は、
 もう百年以上生き続けている、

 と。

 聞いた途端に、ワズミはあっさり鼻で笑った。そんな頓狂な法螺話をどこの馬鹿が信じるか。付き合う暇なんかクソもありはしねぇから帰れ。

 ギンコは嘘じゃないと何度も言ったが、ワズミはもう聞く耳も持たない。嘲笑ってそっぽを向くばかり。罵られても罵られても、ギンコはなに一つ諦めず、静かな顔と目をしてこう言った。

「話せというから話した。本当のことを話すだけで駄目なら、他に条件を出してくれ。どうしても知りたいことがあるんだ。あんたらの力を借りたい」

 ハタリはギンコが、何をそんなに知りたいのかが気になって、一言だけ口を出した。彼が酷い罵りの言葉を浴び続けるのも、正直嫌だった。

「ワズミ、ねぇ。あのさ、じゃあ、欲しい薬草とか、この人に採ってきてもらったら」
「あぁ? 半人前は口出すんじゃねぇや」
「でっ、でも。そうやって取引すんだって教えてくれたろ? まだ俺、何にも知らないからさっ、ワズミが取引してるとこ見て、手本にしたい」

 そう言ってみると、ワズミは少し考えを変えたようだった。そうして今の季節には生えない薬草を三種も並べ立てて、それをギンコに採って来いと言ったのである。

「出来ねえだろ、どうせ。出来ねぇんなら帰れ」

 でもギンコは分ったと。出来る筈もないのに頷いて、時間をくれと言った。乱暴に扉を閉じる音を、帰っていく彼の背中に浴びせて、ワズミはまた鼻で笑うだけだ。

「いいかよ、ハタリ。今のが『請け負っても利益になんねぇ仕事の断り方』ってやつよ。勉強になったろぉ?」

 だけれど、ギンコはぴったりひと月でやってきた。指定された薬草をちゃんと揃えてきたのだ。でもそれは山や谷で摘んできたままの薬草じゃなくて、薬草をすっかり煎じてすぐに使えるようにしてある瓶詰の薬だった。
 
 指定された三種確かに。しかも一種につき五つか六つの小瓶に詰められてあって、もしも対価を払って買ったのなら、かなりの額になるものだった。

「薬草のままじゃないが、これで構わない筈だ。どうか俺に情報をくれ。少しでも急ぎたいんだ」

 願いを言い、頭を下げるギンコとは対照的に、ワズミは不機嫌になった様子だったが、それを全部受け取ってしまい込んでから、あと四種、同じように持って来いとギンコに言ったのだ。

「お前が何を知りたいか、今は話だけ聞いてやる。言われたものをこれと同じだけ持ってきたら、その時引き換えに教えてやるよ」

 でもギンコが話し始めてすぐ、ワズミが俺に『薬を保管庫に入れてこい』と言ったので、話のさわりしか聞けなかった。聞けたのは彼が、ひとりの医者を探しているということだけだ。

 ギンコの真っ直ぐな、けれどどこか淋し気な目が、ハタリの目の中に残った。

 そしてまたひと月後、薬草の詰まった瓶を携えてギンコは訪れる。ワズミはにやにやと笑い薬を全部受け取ったあと、さらにこう言ったのである。

「なら教えてやる。あんたの探してる医者はなぁ、どうやらどっかの僻地の病院にいるらしいぜ。この先はまだ調べてる途中だよ。もっと知りたきゃ今度は…。そうだな、金だ。あんた金で薬草を買ってるんだろう。そのまんまその金をこっちに寄越しなよ」

 ギンコはその時、ワズミの顔を真っ直ぐに見据えた。きっと分かったのだと思う。この先はずっとのらりくらり答えを引き延ばされて、金を渡し続けることになるのだろう、ということ。

「そんなの…ッ、ワズ…っ」
「口出すんじゃねぇっ。このことはなぁ、誰にもいうんじゃねぇぞ、ハタリ」 
「……っ…」
 
 言い掛けた声を止めさせたのは、ワズミの怒号なんかではなくて、ギンコの静かな目だった。きれいなきれいな、緑の珠のような、でも此処にあるもの、何ひとつ見ていないような、彼の。

 なんてこんなに、
 きれいなんだろう。
 なんて静かで悲しいんだろう。
 そんなにしてまでこの人は、
 何を、誰を、
 探しているんだろう…。
 どうして…。 

「此処からは商談だ。お前にゃまた早ぇから、外出て誰も来ねぇよう見てろっ」
「…わかった」

 ハタリは腹が立って腹が立って、どうしてもそのままそこには居られなかったから、言われた通り外に出た。その一か月後、ギンコが来るのを先に見つけて捕まえて、その時の自分の知る限りのことを、ハタリは彼に教えたのだ。

「あんなヤツに、もう会うことなんかないよ。探してるのは、僻地で働いてるお医者なんだろっ。俺、ワズミの仕事やらされてるから、少しなら知ってる。教えるよ。全部っ。これ、この一か月で調べた地図の写し。俺の手書きだから汚いけど。田舎の山奥とか、島とか、谷底の村とかっ。だから、もう此処に来ないでいいよ…ッ。嫌なんだ、俺、あんたが…あんたみたいな『きれい』な人が、あんなの…ッ」
「…あんなの…?」

 項垂れたまま、ぎゅっと押し付けた何枚かの地図を、片手で静かに受け取りながら、聞き返したギンコの声。そこには、少しの笑みが含まれていた。ハタリが顔を上げると、緑の珠の色をした目が、彼を間近から見ていて…。

「例えどんなことでも、俺には何でもないのに。また『あいつ』と出会う為なら、俺はなんだって。だけど、無為に時間が過ぎるは辛かったから。…これ、ありがとう」
「い、いいんだ。いいんです、俺。ただ。…ただ……」

 言葉の先が言えない彼に、ギンコはそのまま背中を向けた。もう会えないのだろうと思って、ハタリは精一杯押し殺した声で、最後に尋ねたのだ。

「あの…っ。そっ、その人って! あなたの…っ?」

 振り向いたギンコは、項垂れて、長い前髪に目元を隠して、笑ったままの唇の形で短く言った、と、ハタリは思った。でも声は聞こえていなかったから、それが空耳だったのかもしれないと、ずっと長いこと思っていた。

 すきな ひと さ。



「それ、空耳じゃないよ、じい様」

 さっき、島って言ったの? 今。イサは気になって、それをもっとちゃんと聞きたかったけれど、口から零れた言葉はそれではなかった。じい様も、うんうんと頷いていた。

「あぁ、あぁ、そうだなぁ」
「じい様にはちゃんと聞こえてたんだよ」
「うん。だから俺はあのとき、要するに、失恋したってわけだよ、彼に、な」

 聞きたいことが、淡々とイサの中に沈んでいく。

 じい様、島って言った?
 それってもしかして、
 ナキ島の、ことなのか? 

 そうだとして、だからギンコはイサが教える前に、あの島のことを知っていたのか。少なくとも一度は行ったことがあったのだろう。だから知っていた、昔々、化野の住んでいた家に似た場所があるとかも。

 それを今確かめても、もう殆ど、終わったことだ。

「じい様さぁ、言えよ。もっと早くさ」
「言ってなんになる? それに、こんなじじいが照れ臭いだろが。まだまだガキの時分に。お前と同じ相手のことを好きになってた、でも、一瞬で失恋したんだなんて話はよ」

 じい様は点滴の針を刺してしないもう片方の手を、ゆっくりと伸ばしてイサの頭を軽く撫でた。

「俺だってびっくりしたんだぞ? お前はギンコと初めて会ったあとも、そのことを暫く俺に話さなんだろ。何十年も前のあの時とは別の『化野』を、またギンコが探していて、それをお前が探し当て、出会わせたって知った時は、もう心臓が三度は止まるほど仰天したわ」

 ほんの少しの怒りと、あと嫉妬もきっとあるのだろう。そんなにもギンコの力になれたのは、自分でありたかった。悔しい、なんと、悔しいことか。羨ましいことか。でも遅れて、いろいろ、ギンコの力になれたのも確か。

 ハタリは、ぐい、とイサの頭を乱暴に小突く。

「言えよ、なんてのはこっちの言いたいことさ」
「俺、余裕なかったし…」
「…あぁ。…そうさな、いろいろ、辛かったな、イサ」
「もういいんだ」
 
 イサは首を横に振る。俺は俺の役割をすることで、あいつに必要とされていて、それで嬉しいから、いいんだ。

「そう、さなぁ」

 ひゅる…と、じい様の喉奥が鳴った。無理をさせてしまったことを少し後悔して、イサは丸椅子から立ち上がる。白いカーテンでぐるりとベッドを覆って、少しだけ薄暗くすると、じい様はすぐに眠りに落ちていった。その痩せた頬。

 見ればそろそろ、点滴の液が切れそうだ。ナースコールを押そうとしたら、ベテランのナースはイサがそうする前に、替えの点滴パックを抱えて現れた。

「帰ります、俺」
「いつもご苦労様です。お孫さんが来るってわかると、お爺ちゃん、食欲も出るんですよ。今日の夕食もたくさん食べて」

 孫だと思われていることに、イサは面映ゆくなる。もしも時間差が無ければ、恋敵だったかもしれないなんて、全然現実味がなくて、孫と爺ちゃんの方が、それよりはしっくりくる気がしてしまった。

「また来るので、よろしく、お願いします」

 ギンコは少しは、覚えているんだろうか。じい様のこと。聞いてもいいかい、なぁ、ギンコ、そのうちに。




 がらがらがらがら…っ。

 ストレッチャーの音だとばかりイサは思って、はっと気付いた。ここは屋敷のいつもの自分の部屋で、じい様の病室じゃない。じい様はもう死んだのに、この夢はもう何度も見ている。ギンコにまだ聞いていないからかな。

 うたた寝していた机に彼は頬杖をついた。それをいつ、聞けるだろうか、とも思う。

 その時、窓の外が一瞬光った気がした。少し遅れて、がらがらがらがら、いう音がする。さっきのも雷の音だったのだ。風も強いようだった。

 きっと、近くまで嵐が来ている。









 作中でもこう言っているけどね。これらは済んだことではあるんです。でも書いておかねばと思った、し、書かないといくつか不自然なことが、っていうこともあって。蛇足かもーーって思いつつ、書けて良かったなって。

 ギンコ、罪な存在よな。

 でもさ、あんなふうにひとりの人を、あまりにも一途に命までかけて、百年も数百年も想い続ける存在っていうだけで、それを知った人間の何人かは惹かれてしまうのではって思うのよ。

 ひとは誰もそんなにはひとを愛さない。そんなに自分を投げ出すような愛の抱え方はしない。だから。だからね。目を話せなくなるし、自分の方を見てくれたらどんなに、って思ったりもしてしまう。

 のよ。

 そんなこんなの22話。うわっ、22話?? それに長くないか今回。いや、一話だけでこれを書き終われてよかったってことで。うん。ではまた惑い星が七転八倒して書く次回にーーっ。



2021.10.24