記 憶  ……  4




 島は変わらず長閑だ。何かとすることがあって立て込んでいたとしても、時間はいつもゆっくりと流れている。そのことが化野には、まだ少し不思議だ。

 電気が無くて、灯りと言えば蝋燭か行灯。夜が明けた時に起き、日が暮れてしまえば、蝋燭や油を無駄にしないように、人々は皆早く床につく。深夜まで起きていることはあまりないから、その分時間が足りなくなりそうなものを、けしてそんなわけではない。

 電化製品は勿論ないし、便利ないろんな道具なんかも皆無に等しく、それ故まだまだ躊躇ったり下手をやったりしてはいるけれど、それはそれ、失敗してもどうということはない、と思うようになった。

 冷蔵庫も冷凍庫もない。自身で調理した食べ物には防腐剤など入っておらず、うっかり多く作り過ぎた食べ物なんか、腐らせて捨てることになると思ったものだった。だが、近くの家へ持っていけば、それぞれが無駄にしない分を貰ってくれて、代わりに何かを分けてくれ、そういうやりとりで良いように巡る。

 着るものも、日用品も同じだ。分け合って無駄を無くす。貸し借りし、譲り合って互いに余らせず互いに満ちる。此処へ来る前の暮らしをふと思うと、罪悪感に似たものがもやもやと胸に溜まるほどだ。

 余したものを誰かに譲るのは失礼だと捨てていた。自分で買わずに、人から分けて貰うなんて考えもしなかった。他人が袖を通した服を着るとか、ものの貸し借りも、不必要だし恥ずかしいことだと思っていた。

 でも、その考え方が本当はおかしいのだ。無限のものなど、この世には何もないというのに。

 と、明るい声が、垣根の向こうから化野を呼んだ。

「先生ー、今晩焼き魚なんかどう? 一人分だけ焼くのもなんでしょう。うち来て食べます? 大根とかお芋があったら、持ってきてくれたら煮付けますけどっ?」
「お、芋は確か芽が出てきたから、かえって助かる!」
「えぇー、なんで早く言わないんですーっ」

 ピ、チチ…ッ。

 土間へ芋を取りに行こうかと、縁側で腰を上げた途端、庭を小さな鳥が横切った。スズメか何かだろうか。いや、白い色が混じっていたから。多分違う鳥だ。ギンコが詳しいだろうから、なんて鳥かと聞けば、きっと。

 …ギンコ。
 
 今、どこで何してるんだ?
 もう島を出てから随分経ったじゃないか。
 まだ半月くらいか…。
 いや、半月も経つんだ。

 会いたい。

 立ち上ったままぼんやりと、化野は海の煌めきを眺めた。漁師の舟はみんな岸に戻っている時間だから、舟影はひとつもない。ギンコが戻る時は、きっと小舟にいっぱい頼まれた荷を乗せて。

 その時、化野はふと気付いた。ギンコが島に必要なものを揃えて持ってくる、って、それは買うってことだろう。なら代金はどうするんだ? この島には金なんか存在しないも同然なのに。まさか、本土でギンコが働いて金を得てから、なんてことは…。

「ね、先生? どうしたんです? お芋は?」

 ぼんやりと庭に立っている化野を、セキは垣根の向こうから不思議そうに見ていた。

「セキ。いや、何でもないんだ」

 セキの持ってきた鍋が意外に大きくて、化野は思わず笑った。芽のあまり出てないものから渡そうとしたら、何してるんですかと叱られた。無駄にしないことが、ここでは美徳だ。セキの手が、芽の長く伸びた、しなしなの芋を選んで鍋に移していく。

「悪いと思わなくていいですからー。はい、包丁」

 招かれてセキの家に行くと、子供らが洗い終えた芋から剥くようにと、膝の上に大布巾を広げられる。セキの子供達が次々と芋を洗って持ってくる。膝の上は芋と芋の皮だらけになって、ギンコがいたら、半分手伝って貰うものを、と化野は思った。

 どこか痛いような気持ちで、そんなことを。

 何年も共に暮らしてきたわけじゃないのに、もう傍にいるのが当たり前のように思っていた。そのことに胸を刺されて、一人で何をするのも、今は痛かった。里の他の誰かと居ても、その気持ちは薄れやしない。

「先生、さみしい…?」

 セキの子供のどちらかが、夕飯の時化野にそう聞いた。一瞬ぎくりとしたが、化野は強張りを解いて、隠さずに答える。子供の聞くことだし、そもそも今更とも言える。二人の仲を知っているものは島に少なくない。目の前にいるセキは、聞かぬ振りで自分の茶碗にご飯を持っていた、が。

「淋しいよ、凄くね」
「いや、ちょっと先生、素直過ぎますよー」

 セキがしゃもじを振り回しながらそう言って、自分の仕草に焦って、釜にそれを戻している。その頬が赤い。

「すまん、教育に悪いかな」
「それはないですけど、そんなにですか?」
「…あぁ、そんなにだ」

 ギンコさんが居たら、なんて言うんだろ。と、セキは言って、今度は子供らの茶碗にご飯のお代わりを盛ってやった。

「だったら、島に来れてよかったですね。あたしも青五とこの島で一緒になれて…。やだ何言わせるんですか…っ」
「お母さん顔、あかーいっ」
「あかーいっ」

 子供が囃して、みんな笑って、化野も笑った。心のどこかに空洞があるように、淋しいまま、不安なままで。





「…やっぱりね。また、随分と待ってたもんだ」

 年がずっと上とか自分が下とか、頓着せずにイサは言って、呆れた態で肩をすくめた。半日以上待たせたから、もう帰っているかと思ったのに。目の前の相手は、彼に頭を下げるわけではないが、もう何度目かの頼みごとを、イサにしに来ている。

「島に」
「何とか戻りたいって? 無理だって何回も言ったよ」

 初老の男は、疲れた顔に落胆の色を濃く滲ませている。けれども彼は、イサが決め付けた言葉に首を横に振ってこう言った。

「違う、戻りたいんじゃない。もう受け入れて貰うのは無理だとしても、妻に詫びて、島の助けになることがあればしたいんだ、それだけだ」
「それ、おんなじことだよ、残念だけどね。島から出られない女に会うには、島に渡らなきゃならないだろ?」
「だが、あんたは何度も島に渡っているだろうっ? 住人でもないのに…いったい」

 どこから情報得てるんだか。イサは横を向いて嘆息する。大方、手前の島まで乗せてくれる漁船の漁師の誰かだろう。陽気で気がいいのはいいが、中にはうっかり口を滑らせそうなのもいる。ひとり、ふたり、顔を思い浮かべて、どう釘を刺してやろうかと今から頭の隅で思う。

「俺はこれでも、結構気ぃ遣って渡らせて貰ってるんだ。ヌシを怒らせて海に落とされて、海水をたらふく飲まされちまうとか、ぞっとしないしね、でも」

 イサは一度言葉を切って、試すような目で相手を見た。口元は薄く笑っている。

「最近島に渡った、新しい住人は医者でね。中々腕がいいそうで、薬や治療の道具類の要望が、ちょっと素人じゃあ調達が難しいらしい。口の固い信用できる誰かが、本土で手伝ってくれると助かる…なんて前の渡守りが言ってたよ」
「て、手伝わせてくれ…! 願ってもない…っ」
「待ちなよ。今、前の渡守り、って言ったろ。残念ながら、今回からの渡守りは元薬剤師だ。手伝いなんていらないって言うかも」

 たった今、嬉しげに高揚した目の前の男は、イサが続けた言葉を聞いて口を引き結ぶ。彼が何も言わないうちから、イサは形ばかりの詫びを言った。

「口も性格も悪いんだ、俺、すまないね。だってあんた、ヌシを甘く見てる。どこかでまだこの世はヒトが中心だと思ってる。あの島にとって、危ういんだよ。さぁ、もう帰って。一応神官殿に頼まれたことだから、新しい渡守りが来たら、ちゃんと…」

 言葉が止まる。驚いたようにイサの目は見開かれ、彼のそんな視線の先にはギンコが居た。ノックの手前のように握った片手を上げ、開け放たれたままの障子の桟を、申し訳程度に叩く。

「こいつを買って貰おうと思って、真っ先に寄ったんだけどな、来客とは思わなかった」

 言いながら、ぎっしりと何かが詰まった袋を、ギンコはイサに差し出す。あっさりと背を向けそうな彼に、勢い込んで男が言った。 
「もしや、島の人か?! 新しい渡守りってのはあんたかっ?」

 ギンコは問われたことへは答えずに、ちらりとイサの方を見た。イサは仕方なさそうに苦笑い、そうだよ、と短く事実を告げた。そしてギンコへも、彼が何者であるかを教える。

「あの島で、前に医者をしていた人だ。タダハルさん。ヌシの許しを得ずに島から出て、今は渡ることを許されていない。もしかして、ギンコも話しぐらいは聞いてるかもしれないけど」
 
 ギンコは僅かに目を見開き、あぁ、聞いてるよ、とだけ言った。














 こればかり言ってますが、話がとてもややこしくて、最初から読み返ししたのち、今までぼんやりと決めていたこと、などをエクセルに沢山メモってきました。しかしその通りになるか、逸れていくかは書かないと分からないっ。今回からして既に逸れたし…。

 相変わらず物語に振り回されている私です。ギンコや化野、イサ、サナミにタダハルにミツ、カズアキ、そして化野の失った過去。ってことで積み込むネタが多過ぎです!

 しかし頑張る!

 読んで下さりありがとうございます。あまり面白いことがなくてごめんなさい。先生とギンコはばらばらだし、ギンコに至っては化野を思っている描写すらない。今の業況は、ギンコの望みのままだからかねぇ。



15/05/10