記 憶 …… 14
ゆらゆらと揺れる小舟を一人が支え、他のものが手分けして次々に荷を運び、積み込んでいく。舟を支えるものは波に足を洗われねばならなかったし、運び込む他の三人もそれはほぼ同様だった。それでも、不平を言うような人間は此処には居ない。
必要最小限の声を掛け合いながら、手際よく仕事は進んだが、タダハルは時折目を細めて、沖の方を見やっている。そんな姿を気付いていながら、ギンコは何も言わず、重たい荷に手を掛けて彼に協力を乞うた。
「悪ぃ、そっち持ってもらえるか? この荷は少々重いんだ」
「あぁ分かった。じゃあ、せいの、で」
足元の悪い砂地を、歩調を合わせて慎重に運んでいき、無事に舟に積み終えた後、何かの偶然なのだろう、タダハルとギンコの視線がゆっくりと重なったのだ。
「ひとつ、聞きたい…」
「…何を?」
連れ立って荷車に戻りながら、声を低くし問い掛けてきたタダハルへと、ギンコは短く問い返す。
「ギンコさん、と言ったか。あんたも、何かわけありなのか?」
「あの島に渡った人間で、わけありじゃないヤツなんて居ないだろうよ」
多分、見ていて何か感じたのだろうが、それに答える義理は無い。突き放すようにそう言ったギンコだったが、傍に白也もイサも居ないと気付いて、それでもぽつぽつと、静かにタダハルを諭した。
「言われずとも、だろうけど。あんたは自分のことだけ考えていればいい。余計なことを頭に入れてる余裕があったら、ただ、サナミさんのことを想っていたらいいんだ。もう離れないと誓うんだろう。今度こそ、島に生涯を捧げる気でいるんだろう? なら、島も何かの形であんたに答えるさ」
タダハルは暫しぼんやりしていたが、言われた意味を自分なりに咀嚼して、胸へと深く抱えてから、ギンコに頭を下げた。そして、感謝する、と彼は言った。思い切ることが出来たのも、あんたの言葉のお蔭だと。
礼を言われるような覚えは無かったから、ふい、とギンコは横を向く。やがて小舟は荷でいっぱいになり、白也とイサが乗る隙間ぐらいしかもう残っていない。
そして、誰より先にまずはタダハルだけ乗った舟が行くべきだと判断が下された。もう一つの、幾らか小さめの舟に彼が乗ろうとすると、イサが意地悪くからかうようにこう言った。
「水とか食料とか、いいのかい? あんたが何日漂流することになるか、正直まったく分からないぜ」
「あぁ、構わない。記憶では、受け入れられさえすれば一時間も掛からなかった筈なんだ。拒否された時は、今度こそ死ぬんだろうってことくらい、とっくに理解している」
「ふうん、いい覚悟だね」
それ以上はからかわず、タダハルの乗った舟の縁から、イサは黙って手を離した。小舟の中には彼ただ一人。白也が一応確認はしたが、タダハルは財布一つ持ってはいなかった。あの島に、金なんか持っていっても意味はない。そのことを、彼はもうよく知っている。
けれど、彼のポケットの中に、たった一つ入っていたものがあった。それを見て、白也は薄く笑んで呟く。
「幸運を」
沖に向けて、白也がゆっくりと舟を押した。ギンコも同じように、力を込めて舟を押し出し、イサもその隣で両手を掛けて、強く、しっかりと舟を押す。皆がそうやって協力してくれるそのことを、タダハルは心に焼き付けるように、黙って見ている。
舟は、押されるままに砂浜を離れた。そのまますうっと進み、随分ゆっくりとだけれど、それでも沖へと漂い出ていく。舟底には櫂があったが、タダハルはそれを取ることはなく、じっと沖を見つめて、舟の揺らぎに身を任せているようだった。
「やけに、ゆっくりだなぁ」
じわじわと遠くなる舟を眺めて、イサがそう感想を言った。白也も同じように見つめながら心配そうに頷く。
「…えぇ。もしもずっとあんな様子だと、着くまでかなりかかってしまう。イサさんの言う様に、本当に食料なりを積む必要があったかもしれません」
「でも、あれは確かに島の方角だ」
ぽつりと言って、ギンコはまだ残っている荷の方へと戻って行った。荷車の上の様々な箱を、彼はひとつひとつ確かめる。今出来ることはそれぐらいだ。何もせず待つのは長い。
「もう一度で、全部積める…」
ここに残したのは、急ぎではないものばかり。化野が欲しいと言った薬や医療の道具などは、もう全部積み込んでしまった。数の多いものはすべて二つ以上の箱に分けてあったから、今ここに残した荷が、仮に何かで駄目になっても、直ちに差し障りのあることはない。
「やれやれ、あいつの舟があんなにゆっくりなんじゃ、俺と白也はいつ発ったらいいんだか。今発ったらあっという間に追い抜いちまう。それもなんだかな」
軽く苦笑しながらイサが来て、ギンコの傍の地面に腰を下ろし、荷車に背を寄り掛けた。ぎし、とあやしげな音を立てて荷車が軋む。そういや、いつも使ってるこの荷車の修理を頼んで置かねばならない。次の渡守りの時までに、心配の無いようにしておかなけりゃ。地味だが、そんなこともイサの仕事だ。
「車輪を変えりゃいいのかな、この際だから、車軸からとっかえとくか、台そのものはまだしっかりしているから…」
「イサさん、いつもいつも、細かいことまで本当にありがとうございます」
白也が近付いてきて、車軸を覗き込んでいるイサに礼を言った。
「いいよ。これが俺の仕事だから。ナキ島の存在は、俺らにとっても有り難いしね。事情のあるものを、すっぱり元の土地から離して逃がしてやれる。そういう土地が、あるとないとじゃ大違いさ。ヌシの選定があるってのが少し難しいとこけどね」
でも俺も、あの島好きだよ。
ずうっと年いったら、
俺も住まわして貰おうかなぁ。
本気とも冗談とも分からないことを、イサは笑って言っている。心から歓迎しますよ。きっとヌシ様も。白也はまっとうに気持ちを込めてそう答えた。心此処にあらずで黙っているギンコの頭を、少し乱暴にイサは小突いて、お前もなんか言えよなぁ、と呆れたように言う。
そうやって、ほんの少し雑談していて、次に沖へと視線をやった時、タダハルの乗った舟は、視野からすっかり消えていたのだった。
「途中から速くなったんだな」
「でも、島に辿り着けるまで、それが吉か凶かは分らない。俺も…」
白也には、イサとギンコの話す言葉の意味が時々分らなかったが、彼は何も言わずに島の方角を見ていた。ひとりひとり誰しも事情がある。島へ渡る人間には、特に。そして白也にはそれに手を貸す力も権限も無かった。
すべてはヌシの決める事。
いったい、どれだけ時間が経っただろう。
あえて沖の方ばかりを見ていたから、いつの間にか舟の進みが少し速くなっていたことに、タダハルはずっと気付いていなかった。振り向けばまだ後ろに陸地が大きく見えるつもりでいて、その実、どちらを見回してももう陸の姿は見えない。
でも単純に喜ぶことも出来なかった。方角もよく分からなくなっていたからだ。この舟は、ちゃんとナキ島を目指して移動しているのだろうか。方向が狂って、沖へ沖へと運ばれていたら、餓え渇いて死ぬしか道はない。
「………」
ひたひたと足元から恐怖が這い上がり、タダハルは櫂に手を伸ばした。でも、もう決断した筈だと思い直す。運命に、ヌシに従うまでだと思い、こうして一人で沖へ出て来てしまったのだ。今更足掻いてもみっともないだけだ。
「…サナミ。お前にもう一度、会えるだろうか」
呟けば、それだけで勇気が出る気がした。顔を上げて舟の進む方向を見据え、彼は願いを言葉にする。
「俺は島に、戻るんだ。ヌシに許しが貰えたら、今度こそもう絶対に、島を出ようなどと思わない」
サナミの手を、もう一度とることが許されたら、どんなことがあっても、その手を離さないだろう。100年の時を戻したような、あの小さくて美しい島で、其処で得られるだけの幸せを寄せ集めて、生きていく。
ざざ、ざ…。
日は高く昇り、時の流れを確かに感じさせながら、タダハルはじっと待ち続けていた。そして遠くに、目を凝らしてようやっと見えるほど朧げな、島の影が見え始めていた。見覚えのある穏やかな山の形、光を浴びて煌めく小さな浜の、砂の色。
「ナキ島だ。あぁ、間違いない。何も変わらない…」
幻ではないかとタダハルは何度もまばたきをした。それでも島の姿は消えず、だんだんと近付く。喉の奥から嗚咽が零れた。今度はまばたきさえも惜しんで、タダハルは濃くなっていく島の影を、じっと見つめ続けるのだった。
続
少し間があいてしまって、やっと再会したと思ったら、これは…。うむ、今回、主役はタダハルさんですね、どう見ても(笑)。そんなこともあるさっ。次回は島の方から始めたいと思います。化野先生と、サナミと。かな。
難しいのですが、島(つまりはヌシ)に対する意識が、人々の中で少し変わって行くきっかけになるのかもしれんです。うん、難しいのです。予定は未定。
14話、お届け致します。変化の無い回ですまんです〜。
15/11/02