記 憶 …… 11
巧く他の荷に混ぜて隠した積み荷は、無事に港に届いて全部船に積み込まれた。ギンコもイサもほぼ手ぶらでタラップを渡る。何事もなく渡り終えて、船が港を離れた後、イサが急に言ったのだ。
「あぁ、見つけた、あいつか」
「見つけた? 何が?」
「ほら、あそこにいる茶髪、様子がおかしいだろ?」
視線だけで示されて、ギンコがさりげなくそちらを見れば、確かに、妙に体を縮こまらせた男がいる。
「あいつが、どう…」
「大したことじゃないけどさ。面倒だけど、ちょっと、締め上げてくる」
上着のポケットに手を入れて、如何にも気軽な調子でイサは歩いて行った。その歩調に、途中から勢いがのっていく。相手もすぐに気付いた、でも逃げ場所も隠れ場所も無くて、船尾の手すりに背を預ける形で、男は追い詰められた。
「逃げなきゃなんないようなことした、って、分かってはいるわけだ、あんた」
男とイサの背は殆ど変わらない。ポケットから取り出された片手が、囁くようなその声とほぼ同時に、一瞬男の口を塞ぐ。ギンコは離れて見ているままで、声を上げそうになった。
「…っ、イ…」
それは、ギンコにしか分からない事だ。イサの手にはぼんやりと青く光るものが見えた。蟲だ。あれは…心を、飲み込む蟲。人が飲めば、心と体の間に紗が掛かったようになり、暫しまともには動けなくなる。
ずるり、男は驚愕の表情のままその場に座り込んで、イサはまるで、彼と話し込んででも居るように、その隣に身を寄せて座った。
「動けないし口もロクに聞けないだろ? 知らない中年の男に色々聞かれて、俺のこと喋ったの、あんたかい?」
「……っ」
男は怯えた目をして、何度も首を横に振るが、イサがずっと刺すように見つめているから、終いには観念したようにその首を、縦に…。
「…ふぅん、命知らずだね。金でも詰まれた?」
今度は首は、横に振られる。声の出ない口が、息だけの声で何か必死に言っている。勿論遠くで見ているだけのギンコには分からないが、口に耳を寄せたイサには聞こえていた。
金なんか貰ってない…っ。
そいつ、ほ、殆ど知ってたんだ。
あんたが、島に行き来してるってこと。
俺は、うっかり頷いちまっただけだよっ。
「なんだ、詰まらない。手足縛って船尾から曳き波に放り出してやろうかと思ったのに、そこまで出来ないかなぁ」
冗談を言うような声で、でも変に本気の目をして、そんなことを言うイサ。男は真っ青になって、ぶるぶると震えている。助けを求めるように彼はあちこちに視線を走らせるが、仲間達はこちらを見ていない。それどころかいつの間にか甲板のあちこちへ散って、誰も傍には居なかった。
「じゃあ、もう一個質問。そいつ、今どこにいるかわかる?」
し、知らねぇ…っ。
けど、三日くらい前にも来て、
他の船に散々声掛けてたのは見た。
乗っけてくれって、
言ってるみてぇだったっ。
「そっか、ありがと」
イサはあっさり立ち上がり、上から彼を見下ろすと、冷たい声でこう言い放った。
「さっきあんたに飲ませたのって、実はある強い薬でさ。もう結構息が苦しいだろ。早く吐き出さないと、死ぬかもね」
「…っっ!?!」
男はさらに蒼白になり、イサに縋り付こうとした。吐こうにも体が上手く動かない、助けを呼ぼうにも声が出ないでは、死ぬしかないのかと、絶望的な顔になる。そんな彼に、イサは笑ってもう一言だけ言ってやった。
「嘘だよ。冗談。三十分もしたら治るって。だから一度で懲りてよ? こういうの、面倒くさいからさ」
イサがその男から離れると、遠巻きにしていた船員たちが、一人、二人と彼に寄って行く。大丈夫かとかなんとか言いながら抱え上げ、船室へと連れて行ったようだった。休ませてやるつもりだろう。
逆らっちゃ駄目な相手に目をつけられた、だから可哀想だが遠巻きにした。でも許されたようだったから、もう二度とするなと言って解放してやるために連れて行く。単純にそれだけのことだ。そこまで自分たちが怖れられてる理由を、イサも実ははっきりとは知らない。
「…さっきの蟲」
傍らに戻ったイサにギンコが聞いた。
「あぁ、あれはアオコの幼生だよ。潮気に弱い蟲だからさ、こんな場所じゃ大した危険な種じゃないんだ。でも、はったり効かせて人を怖がらせるには便利だね」
アオコは青い狐と書く。確かに、海の傍に生息するような蟲じゃない。生態に合わないこんな場所で幼生を離したら、多分あの男から抜けたあと死ぬだろう。
「……」
「害のない蟲だからって、簡単に殺すな、って言いたいかい? 悪かったけどさぁ」
「言わない…」
「ギンコ?」
「俺が、言っていいことじゃない」
ぐらり、船が揺れた。風が出てきたようだった。イサは手すりに背中で寄り掛かって、片方の腕だけ持ち上げ、その腕をギンコの前に翳してみせた。存在を知ったからだろうか。あの蝶が吸い込まれた辺りが、ぼんやりと温かい。皮膚の内側に、別の命があるのが分かる気がする。
「…俺、今さ。ここあったかく思えるけど、ギンコは…?」
問われたギンコは、袖の上から自分の腕に触れて、少し考えてから言った。
「あぁ、温度は感じる。それに、羽ばたいているようにも」
「へぇ、凄いね、それ。早くギンコを向こうに連れて戻りたいとかかなぁ」
イサはそう言ったが、それが吉兆か凶兆か、本当のところは分からないのだ。ただギンコは今は、何も確かめられずに不安なまま、刻一刻とあの島に近付く。今から手前の島に一度寄って、そこから今度は、ナキ島へ。
イサはくるりと体を返して、船の進行方向へと視線をやって、少し、唇を噛んだ。何も言わずに流したが、心の奥で、流し切れずにわだかまる想いがある。ギンコのらしくなさが嫌だった。そんなことを思っていたら、お前自身が傷付くのに…。
俺が言っていいことじゃない…? 蟲ケラの命だって、塵や芥のようには見れないくせに。さっきだってたった一匹のアオコの子供を、あんなに気に掛けていたくせに。
「あ…」
「…どうした?」
「いや、なんでもないよ」
イサはそう言いながら、体をギリギリまで乗り出して、それを手のひらに受け止めた。蟲を寄せるギンコの気配を頼って、船室からここまで漸くきたのだろうか。イサの手で潮風を遮られ、青い光が、ほっとしたように小さく光った。
それを大事そうに、イサはポケットの中の入れ物に戻してやる。同じ種の数匹が、戻ってきた一匹を庇うように、寄り集まるのが見えた。
「……」
ほら、こんな小さな弱い生き物だって、
仲間のところへ戻ってきたよ。
だからお前も、きっと戻れるよ。
言葉にしては言えないけれど、イサはそう思って、その入れ物をポケットへ戻した。
風が本当に随分と強い。それに、これだとナキ島へ行く時、向かい風になる。ヌシの加護があるのなら、微塵も気にしなくていいことだ。けれどもギンコは、すっかり血の気の引いたような、酷く白い顔をしているのだった。
続
一瞬脱線したというか、逸れてはいないけど変なところに力が入ったというか。性格の悪いイサを書くのがとても楽しい私は、どうも性格が悪いようです(や、そんなことも…。ただ趣味が悪いだけだよぉ?)
すいません、大抵いつも本編とこのコメントのギャップが酷い…かもしれない…。
いよいよ、ギンコは手前の島へ行きます、出て来ませんが島の名前は「漁小島(イサリコジマ)」と言います。遠出する漁師さんたちが、船を休ませたり体を休ませたりするのに使っていて、商店やお店もあり、少しは住人もいるって感じの島です…かね? ナキ島への大事な中継点です。
なんとなく説明を入れてしまった。話にはそんなに関わって来ませんが。ともあれ、11話です! ちょっと短いかな。えっ? どうしようもう11話?! アガー。
15/09/06