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続・シロオオカミ  1






「す、好きだよ…っ。ギンコ君…ッ」

 意を決したように化野がそう言った。

「そりゃどうも」

 笑って、振り向きもしないままでギンコが言った。夜の繁華街は人通りが多い。手を握り合ったままの男二人は、それなりに目を引く存在。信号待ちで止まったとき、ギンコは指を緩めて手を離そうとし、化野はまだ指から力を抜かずに彼の顔を眺めた。

「あの…すまない。仕事中にこんな…」

 ギンコの心の中で、意地の悪い思いが存在を主張する。凹ましてやりたいような、それとも飛び切り優しくしたいような。けれどにこりともせず、指を緩めた手を胸の高さまで上げると、さすがに化野は手を離して、不安そうな顔をする。

「お、怒ってるかな?」
「何が? テイクアウト…って意味分かるかい、あんた。別に仕事を投げてきたわけじゃない。ちゃんと時間分の金を貰えば、これは俺の働きのうちなんだぜ?」

 テイクアウト。ファーストフードの店とかで、よく店員に聞かれる言葉。意味は判る。ギンコの店でその言葉を使うのも、同じ意味なのだろう。そう、判りたくなくても判ってしまう。…持ち帰って、食べる…だ。

「払ってくれんの?」

 言いながら、もうギンコは半分後悔していた。青ざめて、震えている化野のことが、胸の痛くなるくらい可愛くて。

「……言ってみただけだ。馬鹿正直に払うなよ?」

 どこか拗ねたような声になった気がした。バツが悪いことこの上ない。そのまま背中を向けて、前に上がり込んだ化野のマンションに向かう。なんでこんなに店に近いのかと思った。入り浸ったら、この男は困るだろうか。仕事に出るのにも帰るのにも丁度いい距離。

「明日、仕事は?」

 マンションのエレベーターで、ギンコは聞いた。一日中、上下に動いてばかりの狭い密室。鍵もなければ、いつ開くかも分かりやしない。ドアが開いた途端に、目の前に誰かが立っている可能性が高くて、それがスリル。

「十一時からなんだ、だから」
「だから? 朝まで溺れてても平気ってか?」
「………」

 二つ目の質問に化野は答えなかった。顔も見えないくらい項垂れて、それでもエレベーターのドアが開くと、親鳥を追いかける雛のように、ギンコの背中を追いかけた。

「鍵」
「あ、うん」
「なぁ、見てな?」
「え?」

 差し出された鍵を受け取ると、チャリ、と小さく音が鳴る。妙なことに気付くものだが、この間とは違って、ちゃんとキーホルダーがついてた。小さな革製で、案外シャレたデザインの。

 化野の視線を指に感じながら、ゆっくりとキーを鍵穴に近づける。先端をノブの中心に擦らせるようにして、変にゆっくりと鍵穴に差し込んでいく。一センチ差して、動きを止める。一度手をそこから離して、鍵の頭を一差し指の先で静かに押した。

 奥まで突き当てて、回す前にギンコは化野を見た。見事なまでに赤く染まった、その顔を。

「なんで顔を赤くしてんのか? 言ってみなよ」

 くっくっ、と可笑しそうに笑い、ギンコは自分を楽しませてくれた褒美を化野に渡す。鍵を回して、ノブに手を掛け、開いたドアの内側で。けれどまだドアが二人を飲んで閉じる前に。

「可愛いな、あんた。好きだぜ、そういうとこが」
「……うん…」

 顔をあげたその目が嬉しそうだ。波が引いたり寄せたりするように、ギンコはまた彼を苛めたくなった。元々がもう瀬戸際で、ドアが閉じ切った瞬間に堰が切れる。今日は鍵すら掛けてない。

「ぁ…、っ」
「…気ぃつけな、ドア一枚の向こうは廊下だぜ。下手に声上げたら外に漏れる」

 耳朶に注ぐ熱い息。耳の穴まで犯すと宣告するような、ギンコのその言葉。

 部屋に入ったのはギンコの方が先だから、彼が進まずに振り向くと、化野は自分の部屋に入る道さえ失ってしまう。そうしてほんの一歩、ギンコが右脚を前に進ませる。膝先は化野の脚の間に入って、それだけで彼の体は、ドアとギンコの間に挟まれる。

「止めねぇの?」
 
 びく、と化野の体が震えた。ワイシャツのボタンを一つ外して、もう既にギンコの右手が化野の肌にじかに触れている。その指先で引っ掛けるように、化野の乳首をいじれば、抵抗一つせずに喉を反らし、化野は自分の左手の手首を噛んだ。

 声を止めている自信なんかない。けれどそれ以上に、もうその気でいるギンコの愛撫から、逃げ出す自信がない。

 スイッチ一つ、調節レバー一つで、喘ぎも快楽も好きなように弄られる。ギンコの気に入りの玩具のような自分になる。化野はたった一度の経験で、目の眩むほどそれを思い知っていた。そんな相手だとわかったって、恋した気持ちが変わらなかったことも。

 そうだ。あの時の、イサザの言葉を思い出す。

 寝てあげてよ…。
 そこからじゃないとさ、ギンコは、
 何にも分からないんだ。


「す、好きに…して、い…」

 声も肌も震えていたけど、怖くて泣きたいほどだったけど、化野はそう言った。後戻りする気はないから。

 そうして一番上のボタンと、そこに絞めたネクタイだけはそのままに、二番目から下のボタンはすべて外される。部屋の空気が胸に触れ、ベルトを外される音も聞いた。ジッパーの下りる振動。下着越しの愛撫は、まるでからかうように変に淡くて。

「もう膝、がくがくだな。こんなのは嫌か? せめて横になりたいんなら」

 部屋のベッドへ? 一瞬期待する。怯えだけで、もう立っていられなくなりそうだったから、二度も三度も頷いた。体の前からどけられて、壁に手を付きながら部屋の中へと入ろうとする。何をされたわけでもないのに、その時、脚から力が抜けてその場に膝を付き掛けた。

 みっとも無いな、と笑いそうになって、その笑い声が喘ぎにすりかわるなんて、化野は想像もしていない。

「は、あ…っ、ぁ…。ギン…っ…!」

 転ばないように支えてくれようとしたのだと、反射的に誰でも思うだろう。だけど寧ろ、起こったことは真逆だった。そのまま四肢をついた体を押さえ込まれ、脇腹を撫でながらギンコの右手が下着の中に滑り込む。

 直接握られて、一瞬の間もおかず、先端へ向けて扱き上げられて、もう声が止められない。どれだけのこういう経験が、ギンコという男にあるのか、知りたくもない現実は、その手管によって化野の初心な体に知らしめられるのだ。

「や、ぁ…っあ…! 待っ…、は、っあぅッ」
「下着なら洗えばいいだろ? 脱がせないでイかせるぜ、先生」
「ひ、っ、ァあ、ぁあ…っ!!」
「…その声、全部、外まで響いてる」

 ものの数十秒。もしかしたらほんの数秒。言葉通りに下着の中で。たっぷり弾けた白い液体は、その量と勢いのせいで、結局は床にも零れた。暴力的なほどの快楽で、激しいまでの動揺で、幼い子供のように化野はぼろぼろと泣いて、四肢をついていた体で蹲った。

 腰の震えはまだ止まらずに、その震えと重ねるように、彼はしゃくりあげた。

「ひっ、く…っ。ぁ…あ…っう…」
「………」

 ギンコは化野の体から手を離して、その後は黙っている。蹲ったままでは、ギンコの姿が見られずに、三分、五分も時間が過ぎる。涙で歪む化野の視界に、転げた部屋の鍵が見えた。キーホルダーはついていない。ギンコに渡したのとは別の、これは化野の鍵だ。

 だから、ギンコに渡したのはスペアキー。偶然にも、化野と殆ど同時のその時、ギンコもその鍵に気付いていた。

「…ギン、コっ、君…」

 息遣いすらも震わせて、それでも化野はギンコの名前を呼んだ。ギンコは何も言わずに、自分のポケットの中の鍵を、指先で弄る。

 シャレたキーホルダーは、化野が買ってきてつけたのだろう。店に頼みさえすれば、革の飾りにイニシャルを入れてもらえたのに、まだ出来なかった。いつか入れられれば、と、淡い期待だけは消せなかった。

「君を…、好き、だよ」
「……物好き過ぎだろ?」

 ぽつり、ギンコはそう言った。吐息のような弱弱しい響きに、かすかな震えが混じっている。そうしてもう一つだけ、彼は付け加えたのだ。

「ギンコでいい」



 あぁ、今日の料金は貰えねぇか。
 どうやら、早退扱いってことらしい。

 客じゃねぇなら、仕方ねぇ…。


















 以前、ブログに長めに連載していたシロオオカミの続編を、こちらに載せることにしました。なんか結構、蟲師のパラレルものも多くなってきてますし。原作の世界がもちろん好きなんですけど、こういうのも…v って方は、どうぞこちらのページでも遊んでいってください。

 これの前にあたる話はブログにありますので、読んだ事ない方は、ご面倒かもしれませんけど、ぜひぜひブログにて、カテゴリー蟲師でお探しくださいね。そのうちこっちに持ってきますんで、それを待ってるっていう手もあるが。

 ではまたーv






11/06/19