モノクローム   8






 注ぐ陽光の中で、体がひいやりと冷えていく。どうしてこんなに寒いのだろう。レールの向こうの木々の葉は、あんなにもあたたかそうな日を浴びているというのに。

 写真を撮れよ。

    勝手を言うな。

 撮りたいんだよ。

    だったら撮れよ、あんたが自分で。

 お前と同じだ。

    あんたは俺と同じじゃないよ。
    居なくなっても誰も泣かない俺と違って。
    あんたは…

    あんたさ。

 体が凍っていく気がする。指など折れて落ちそうだ。寒い、寒くて、暗い。

 そう思った途端にイサザの顔がちらちらと見えた。興味津々でこのカメラを眺めて、へーぇ、って、面白そうに見て、ガキみたいな目ぇしてこのホームで。

    あぁ、そうだ。 
    お前だけは泣くかな、俺が居なくなったら。


「にいさん、さっき切符買ったのかい? 乗らないんならひと声かけてくれたら、買わんで入ってよかったのに」
「……」
「それとも乗るのかい? この駅、日に三回っきゃ車両こないから、戻る時間、気ぃつけんとぉ」

 戻ってくるのだと、当たり前みたいに言いながら、駅員の顔がようやくギンコの方を向く。そして何も言わないで、さり気なく傍を離れた。白い、というより、青い顔。怒っているというより、どこか苦しげな顔をしていたギンコへ。

 一番線に、只今から電車が参りますよ。
 どうぞ危険の無いように、
 白線の内側まで下がってお待ちください。
 気を付けて、いってらっしゃい。

 穏やかな声で、駅員が言う。そして懐かしい響きの笛。来た時は放送だったのに、柔らかく淡々と温かい声で。被るように放送が聞こえてくるでもない。ギンコの視野の端で、白髪の駅員が小窓へ向けて軽く手を上げていた。

 ギンコが見上げると、鳩時計の窓の駅員が、くしゃりと笑って会釈した。

 ごぉ、と、それでも強い音を鳴らして、単両の電車が入ってくる。乗っている客は一人もいない。かしゃん、かしゃん、と。一度停まった電車は、ギンコ一人を受け入れて走り去っていく。

 たたんた、たたんた。
 たたたんたた、たたんたたた。


 

 ドアの前で、イサザは部屋の鍵を取り出す。鞄のずっと底だっての。だって居ると思ったもん。色んな物の下敷きだよ。こんな時間になってるのに、戻ってないとか思わなかった。

 そして漸く取り出して、カチャカチャと鳴らしながら解錠する。引き開けた部屋の中の、真っ暗闇。もうどこ行ってんだよ、馬鹿やろ。一緒に食べようと思って、たこ焼き買ってきたんだぞ。冷めちゃうじゃないか。

 ドカドカと、入って行って電気をつけた。一瞬眩しく、でも目を眇めずに見渡す。上着、バックも、ある。今朝出掛けた時と同じだった。朝からずっと、戻ってないというその事にがっかり。でもギンコの私物がここにある事には安堵。

「勘弁してよ。あぁ、もうっ。なんでこんな気になるんだろ」

 だいじょぶだって。カメラがあるもん。あんなに大事にしてたもんな。置いてく筈ない。

「ギンコのばーか」
 
 近付いて、ほんの軽く、ちょっと足先が触れる程度に、蹴った。そうしたらバックは…転がった。え、嘘。なんで。なんでこんな、軽いの。

 勝手に駄目だ、だとか、プライバシーが、とか、そんなの知らないよ。手が焦ったように動く。取っ手を掴んで引き寄せて、膝の間で押さえるようにして、ファスナーを一気に開け切った。仕切りがいっぱい。でもその殆ど全部に、何も入っていなかった。

「何コレ、どーゆうこと…」

 馬鹿じゃないの、俺。ギンコは前からこうじゃんか。騙しだよね。思い込ませといて、こんなこと、ずっと前もよく騙されたもん。でもさぁ、ギンコ、今の状況でこれは、酷いんじゃない?

 俺がどんなに心配してるか分かってて…っ。違うよ、違うだろ。それ、そういう心配を、分かったからこそ逃げたとかないのか?

 言葉がそうして、脳裏に交錯した。俺がなんかやらかしたとか。聞かれたくないこと聞き出そうとしたんじゃないの? 俺、何回あいつの前で酔った? 酒にだけじゃない。ベッドでもいい気分になって、ふわふわして、口が滑ったりしたんじゃない? 自分のそーゆーとこ、俺自分で分かってる癖に!

「…だったら、言ってよ。そーゆーのヤダって。言うなって」

 自分に向けての言い訳が、どう考えても無様で。きち、とイサザは歯を噛み締めた。

「俺さ」

 と、ここには居ないギンコに向けて呟く。

「明日から別のバイトなんだよね。ビラ配りすんの、この町の外へ出て、一駅ごと、移動しながら」

 報酬は少ないが、渡された枚数をちゃんと配りさえすれば、空いた時間は好きにしてていいから、そこが気に入ってる。

「五日も戻んないんだぞ。その間に戻ってきても、またどっか行くなよ、頼むから」

 バイト蹴ってこの家で、ずぅっと待ってる選択肢もある。でもそんなことしたら、あいつ嫌がる。物凄く嫌がる。俺のこと、嫌いになるぐらいきっと嫌がるから。

 冷め掛けた二人分のたこ焼きに、高くて美味しいビールの残りの一本を、缶ままあおってシャワーを浴びて、イサザはベッドに体を投げた。こういう時は、寝ちまうに限る。店でも閉店時間過ぎて寝ていたのに、彼は落ちるように眠った。

 そして翌朝朝九時半。

 隣の町の駅でイサザはチラシ配りのバイト先の、営業部長に会っていた。

「はい、今日はこれね。明日からは予定した通り、その町々の駅舎に届くようにしておくから」
「うっし!」

 手渡されたのは、その町一番のスーパーの特売チラシ、今日のと明日のが裏表で印刷してあって、結構ずっしりの一包みだった。足元に置いて中身を確かめ、イサザは小さめのデイパックの中から、明るい色のエプロンを取り出した。前に100円ショップで買ったヤツ。

 それから髪をムースと手グシで撫で付け、ちょっとさわやかな店員のお兄さん風にしてみる。

「どこらへんで配ってー、とかあります?」
「やー、無いよ。店の場所はそこに書いてあるとこ、地図も載ってるしね」

 つまり、そのスーパーへ客を呼び込むのに、一番効果的な場所でチラシを配れ、という意味だ。店の場所、開店時間、それから駅で見た町内の地図を頭に、イサザは早速チャリで移動しようとする。

「頼りにしてっから」

 チラシの会社のオジサンは、にこにこと笑ってそう言った。

「実際、お前みたいの初めてだよ。ただのチラシ配りなのに、妙に頭使ってんだもんなぁ」

 渡されたチラシの内容、宣伝する店に合せて、自分の着る服や髪とか、手渡す態度や言葉を工夫する。それだけといえば、それだけだが、ただ機械的にだらだら渡すのと、どれだけ効果が違ってくるか。

「へへ、戦力なってます?」
「そりゃもう」

 褒められて機嫌もよく、イサザはチラシの七割を、折れ曲がらないよう気を付けてバックに、残りはチャリの籠に入れて走り出した。狙った街角に立って「営業」を開始するのである。明るく元気にしてるけれど、頭の中に昨日の気持ちは残ってる。

 それでもそれを吹き飛ばすように、イサザは笑顔の見えるような声で、通行人にチラシを手渡す。

 その次の日から二日間は更に二駅移動して、パチンコ屋の新装オープンのチラシ。ちょっと軽く見えるように、頭のてっぺんの髪を立たせて、プリントシャツを着て。

 それを終えると翌日は、また一つ駅を移動して、公園ステージで開演される、演劇のチラシ配りと呼び込みを。さすがに服に困ってたら、余っている衣装を貸して貰え、なり切った気分で楽しく声を張り上げた。

「にいちゃん、いいよねぇ。呼び込み楽しそう」

 座って昼飯にしてたら、役者の一人がそう言って声を掛けてきて、傍にしゃがんだ。きらきらと目立つ衣装だったけど、今はイサザも似たようなもの。

「仕事は楽しくなくちゃさー」
「あっはぁ、同感! 暗い顔してちゃダメダメ」

 ちら、とイサザの頭にギンコの顔が過った。もう戻ってるかなぁ、電話してみよっかな。でも戻ってなかったら、また凹んでしまいそうだ。ちゃんと明るい顔してらんなくなる。

「さっきうちの常連さんに聞いたんだけどさ、にいちゃんこないだ別の町で、スーパーのチラシ配ってたんだって? エプロンつけてさわやかーに」
「あー、よく見てましたねー」

 というか、よくわかったな、とも思う。今は金髪のカツラ被って、時代がかった衣装なのに。

「んー? あぁ、化けてる役者見慣れてる人だから。でも別人みたい、とは言ってたよ。あんた演じるのも上手なんじゃないの? ど? うち入る?」
「うっわ、考えときまーすっ」

 そう言いながら、見ている風景が少しばかり遠のいた気がした。子供の頃から、自分は友達とちょっと違ったから。それでもみんなと同じなんだよ、って、今傍にいる相手に、雰囲気ひとつで馴染むのがうまくなった。

 ただ父親が出張が多くて、実の母親に愛されてなかっただけで、そういうふうになってしまったイサザだから、ギンコの苦労を、少しは分かるのだ。きっと自分の何倍も、大変なんだろう、辛かったろう、って、想像してみるだけでも。

 今の、ギンコのじいちゃんとばあちゃん?

 そう聞いたのは、ギンコと知り合ったばかりの幼い自分。ギンコはうっすら笑って言った。

 死んだ俺の母親の従弟の奥さんの爺さん、と、その奥さん。
 
 はっきり言って、意味が分からなかった。今ならよくよく考えれば、それは他人だと分かるけど、でもその時はそれが分からなくとも、分かったことがあった。

 ギンコはあのじいさんばあさんの家に居ても、楽しくないんだ。そこはギンコの居場所じゃないんだ。俺が俺の家に、居場所がないって思ってたのと、おんなじ…。

「…よっし、午後の部…っ。さぁーーっ。寄ってってくださいよぉっ、現代に迷い込んだ中世の物語っ、騎士と姫君のっ、切ない恋のお話っ。まだいい席ありますよーっ」

 すくっ、と立ち上がって、イサザは声を張り上げた。通行人が振り向いて、チラシを見たがって寄ってくる。あぁ、今、このバイトでよかった。お客の来ないCDショップで座ってたら、どっかに落っこちていきそうだ。






 


 イサザの変なバイト。いや、ただのビラ配りですが、彼がちょっと変わってんのかw 少しだけ二人の過去が出ましたね。ガキのころのことだけだけども。オリジナルに近いお話を書いてると、やっぱり性格とかの意味づけに、過去が必要に思えてしまうんです。そしてお話が進まないっていうねwww

 それにしてもこんななのに、ギンコとイサザは恋仲じゃない。イサザはギンコに恋してるわけじゃないんだなぁ。え? 別に変じゃないです?



13/08/04



 






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