モノクローム  3




 三十分以上も前から、イサザは目だけは覚ましてた。でも動くのが勿体ない気がして、じっと動かないでベッドに横になってる。隣に寝てるギンコと、向け合った背中の一箇所が触れてて、足もちょっとだけ触っていて、その人の体の温もりを、もう少し感じていたいと思ってた。

 ギンコは親しい友達だ。幼馴染でもある。子供の頃の一時期を、一緒に過ごした記憶が、イサザにとっては宝物のように大事で、だからギンコのことを、幼馴染だ、と思っていたかった。

 でも。

 でも、昨日のアレは。というか、都会からこっちに呼び付けた最初の晩のアレもだけど、また、夕べのが、凄くって。凄いなんて言ったら、とんでもないプレイをしたみたいだけど、そうじゃなくて。




 前の晩、イサザは嬉しそうに言った。

「ギンコー、俺さっ、明日休みなんだよね」
「あぁ、するのか」

 ほぼ即答でそう聞かれ、言おうとした言葉が絡まった。そういうつもりで言ったんじゃないけどっ、と、言いたかった言葉も更に空回った。ベッドに寄りかかって、特に面白そうでもなく雑誌を捲ってたギンコが、イサザに視線を寄越しながら、緩く首を逸らして、こう言った。

「抱くかい? 俺を」
「……そ、そっ。そーゆう…っ」
「話じゃなくて?」

 なんかこいつヤバイ。なんていうんだろ。凄みあるっていうか、仮に関係なくても行きずりでも、いきなりこんな目付きされたら、きっと一瞬息が止まってしまう。

 そーいや、ギンコは男オンリーなんだっけか。安心していいのか、逆にもっと不安がるべきとこなのか。こんな田舎町に来させてよかったんだろうか。ちょっとドキドキしてきた。イサザの妙な葛藤なんか知らぬ顔で、ギンコはふい、と視線を外す。

「…しないならしないでいいぜ? 別にどうしてもヤりたいって気分じゃないから、この間は逆だったから、今日は、って思っただけだ」

 雑誌に視線を戻したギンコは、もうすっかり普通の顔だ。口紅の広告ページで手を止めて、この女優なんて名前だっけ、なんて、有り勝ちな問い掛けをしてくる。どうでもいいのかと思ったら、逆に少し悔しくなった。

「しよっかっ」

 来ていたTシャツを脱いで放って、幾らかでも男っぽく演出しながらそう言うと、ギンコは目元で笑って、自分もシャツのボタンを外した。

 そして一時間程度、二人で気持ちいいことをして、そのまま眠って、この朝、である。なるべくベッドを振動させないように、ゆっくりそうっと寝返り打って、さっきと同じ程度触れる感じで、寄り添ってみた。

 あったかい。あったかくって、この温度が落ち着く。でも夕べのことを思い出すと、心臓がバクバク言い出して、なんだか一気に体温が上がりそうだ。

 繰り返すけど、そんな凄いことをしたわけじゃなくって。

 ギンコに抱かれた時がそれはもう物凄かったから、イサザは最初随分と身構えていた。この程度かよ、なんて言われるのは男として屈辱だったし、欠片も感じて貰えなくて、詰まらなそうにされた挙句、もういーわ、お前、なんて言われたら、きっと暫く立ち直れない。

 でもギンコは…、ギンコの体は、ある意味昔とちっとも変わってなかった。感じる場所なんかは、覚えている以前と同じで、イサザはいらない緊張をすぐにほぐすことが出来た。

 安心して、ギンコのイイところをいろいろ弄ってやって、そしたら見えてきたんだ、暫くぶりに会ってからこっち、ずっとイサザには見せていなかった顔が。姿が。

「ん…ぁ」
「あ、これとか、イイ? ギンコ」
「あぁ…。うん。けど…」

 けど?

「できればあんま、話しかけないで、貰えると」

 その言葉で、どき、っとした。なんだろう? これ。

 もしかしてギンコさ。なんか俺に気持ちいいことされながら、別のヤツのこと思い出してない? 直感で分かったよ。そいつはギンコを抱くヤツだったんだ。ギンコのイイところをわかってて、同じに分かってる俺と同じようにするヤツなんだ、って。

「…りょーかい。こっから黙ってやるから、ギンコは遠慮なく声出しなよ」

 結局、最後まではしなかった。ギンコをイかせて、俺のもギンコがイかせてくれて、少しはギンコの「声」も聞けたし、それだけで凄く満足だった。体の方だけは満足して、それで、なんだか心は凄く疲れて、イサザはそのまま眠った。




「…サザ…。イサザ……」
「ひぅッ」

 いつの間にか寝入ってしまっていたイサザが、耳元で囁くように聞こえたギンコの声に、飛び上がる。妙な奇声付きで飛び起きて、ギンコが激しく退いたのがわかった。下手をすると頭同士がぶつかっていたところだ。

「あぶねぇな」
「あ…っ、ごめ…」

 振り向いて視野に入ったギンコは、まだ全裸だった。ベッドの上に胡坐をかいて、そこもここも曝したままである。そこが目に入って、少し動揺するも、ギンコが全然気にしてないようだったから、イサザも頭を一つ振って切り変えた。

「シャワー先いい?」
「あぁ、じゃあトースト焼いとく。それとも出掛けてから食うか? 今の時間からだと、朝か昼か曖昧だし」
「え…?」

 振り向いたイサザが目で問えば、ギンコは部屋着を身に付けながら、もう聞いて知ってたように軽く笑う。

「休みだから案内してくれるんだろ…?」
「う、うんっ、よく分かったね」
「…あれを分からないヤツがいたら、そいつがどうかしてるんだよ。あんな分かり易いのないぜ」
「えへへ」

 嬉しくなったからか、イサザはドアを開けっ放しで、鼻歌を歌いながらシャワーを浴びだした。蒸気で壁がカビそうだから、わざわざ閉めに行ったギンコに、泡だらけの体で声を掛ける。

「ね、ギンコ、こないだのカメラ持ってねっ」
「…なんで。あれは暫く使わないから分解清掃してたんだ」

 嫌だ、と言ったのと同じような返事が来て、イサザはかなり盛り下がった。パタン、とドアが閉じられてしまったから、急いで体と髪の泡を流す。それからバスタオルで体を拭きながら出て行って、口を尖らせて彼は言った。

「景色いいとことかも連れてくよ? 撮らないの?」

 カメラマンは写真を撮るのが好きだから、カメラマンなんだとイサザは思ってる。期限を切られて、他人の欲しがる「絵」を撮るだとか、そういう「仕事」を休んでも、好きなことならしていて欲しかった。

「撮らないとは言ってない」

 いつの間にかギンコの手の中には、電気屋さんに安く並んでいる感じの、小さなカメラがあった。手のひらに隠れてしまうくらいの、シルバーの少し丸いフォルムの。

「写真を撮るのは、嫌いじゃ、ない」

 好き、とは言わなかったけど、でもそれは同じ意味だよね、とイサザは勝手に思った。思って嬉しそうにトーストに齧りついた。マーガリンの塗り方が随分適当で、指についたのをちろりと舐めているギンコ。案外行儀が悪いんだ。

「じゃあ、支度したらいこっか。覚えてるかどうかわかんないけど、子供の頃、ギンコと遊んだあの公園と、凄く似てるとこがあるんだよ」

 言えばギンコは一口齧ったトーストを、ゆっくり咀嚼もせずに飲んで、手元にある小さなカメラのバッテリーを確かめた。







 


13/05/03





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