モノクローム 14
手持無沙汰でぶらぶらと、イサザは街灯の下にいた。目の前には、とうに今日の診察を終えた小児科内科。病院って、診察終わったら先生も看護婦さんも、みんな仕事終わって帰っちゃう、なんてわけでもないんだよな。
当たり前のようでいて、今まで考えていなかったことを、イサザは思っている。ぱし、ぱし、と頭上の街灯が点いたり消えたり。街灯自体疎らだから、そのたびに辺りは暗くなり、明るくなる。
おさきしまーす…っ。
元気のいい声が、それでも少しの疲れを滲ませて聞こえてきた。イサザの待ってた彼女の声で、ぱ、と顔を上げると、丁度彼女もイサザに気付いたところ。
「わぁ、年下の男の子に待っててもらえるなんて、嬉しいなぁ」
などとおどけて言うが、目は期待してきらきら輝いてる。近くのCDショップのイサザが、なんの用事で待っていたかちゃんと分かったからだ。
「ね、もしかして、シィナジィノ、の?」
「おねぇさんが持ってないやつだといいんだけど、いちお、押さえて持ってきてみたんで」
「えー、どれどれー?」
取り出して見せた途端、また1オクターブ、おねえさんのテンションが上がる。
「いやぁっ、これ、一番聞きたかった曲が入ってるのよっ、どうしようっ。あーっ、ほんとにありがとうっ」
静まり返った街角に、彼女の声がやたらと響いて、ぎょっとしたのはイサザと彼女本人と。
「ごっ、ごめんなさい、あたしったらっ」
「や、えと、だいじょぶです、だいじょぶっ」
「あーでも駄目、焦らしたいわー。ちょっとお酒、付き合わない?」
家に帰ってすぐ聞くとか、勿体ないから、とおかしな理屈で、彼女はイサザを飲みに誘う。
未成年じゃないんでしょ、お店この近くだから、ちょっとだけ、などと、これが中々誘い上手な。貸しの一つを返した、なんて訳じゃないけど、ヨーコちゃんの1件があってから、ちょっと友達にでもなれたような感覚もあって、いーですよ、とイサザは言った。
それから小さな飲み屋さんで、カウンターに並んで座って、ほろ酔いの彼女の話を聞いたりしていて。そのうち何でか、妙な質問が彼女の唇から飛び出した。なんというか、身に覚えのない話。
「ねぇ、好きな子とその後、どうなの?」
「…は?」
「あれっ? 違ってたかな。ほらこの間の『好きなものを嫌いになって、また好きになるのって、どんな』なんて、君、聞いたじゃない? 意味深よね、あの質問てさ。だからあたしてっきり、好きな子のことで悩んでるのかなーって」
「ち、ちがっ、違いますよぅー」
あれは友達のことで、と、しどろもどろになるイサザに、常連客の気安さでか、カウンタ上に額付け、斜めに彼女が見上げてくる。
「ふーん。でもきっと特別大事な相手なのよね、そうなんでしょ?」
問われて頷いてしまう、そして淋しげな顔をしてしまう。ギンコ、今、どこ? もう季節がふたつ変わるとこだよ? いつ戻ろうとか、そんなこともまだ思ってないの…?
「あいつとはさ、ガキの頃からの付き合いで、でもむつかしいヤツでさ。助けたいのに、助けさせてくんねえのっ。なんかぼろぼろんなってるだろうに、弱ってるの見られそーになったら、あっという間に逃げちまいやんのっ」
イサザが半笑いで、わざと投げ気味の言い方で言うと、おねえさんは変にしんみりと言ったのだ。
「そっかぁ、それ多分心の傷なのよねぇ、その人の。無理に見ようとしちゃ駄目よ? 見えるところに引っ張り出されるだけで、きっと凄く痛いんだわ…。痛くって痛くって、想像しただけでも痛いの。だからせめて、必死で平気なフリをしてる。フリで自分を誤魔化して、なんとか立ってるのよ…」
看護婦の顔になって、彼女は言った。今の勤め先がそういう専門じゃなくたって、ずっと医療に携わっていると、色んな人を診るから。
「…うん、わかってる」
イサザはそう言って、彼女の勧めた冷酒を喉に流し込んだ。あんまり強くないから、急に強いお酒なんか飲んで、喉がひりひりした。
酔ってしまって、ふらふらと部屋に戻って、入口を真っ暗にしたままもどかしげに靴を脱ぎ飛ばし。
「…だいまっ」
誰も返事をしないと分かっていて、それでも言って、どかどかと短い廊下を歩く。物置にしてる部屋の前を通り抜け、リビングでは荷物も放って、そのまんまどっかりベットへ身を投げ…。
投げようとして、イサザは固まった。灯りが点いていなくても、窓から差す街灯の光で部屋はほの明るくて、ベッドの上の布団が、こんもりしているのが分かったから。
何も言わない。言葉が出ない。視線はそこに釘付けにしたまま、宙に手探りを散々して、灯りの紐をやっと引っ張る。目を眇めたいように眩しい灯りにも、見開いたままにした目に。その目の前に、ギンコが寝ていた。布団を被って体を丸めて、寝乱れてくしゃくしゃになった白い髪を、シーツの上に広げて。
「…お前、さぁ…っ。腹、立つんだけど…っ」
もう上擦った声で言いつつ涙目になる。なにこの伸ばしっぱの髪。何この無精ヒゲ、そのくせ男前度は下がってなくって、ムカつくんだけどっ。なんでこいつ、当たり前みたいに俺のベッドで寝てんの。人がいったいどんな気持ちで。
はぁ、と、息を一つ吐き、イサザは部屋の中を見渡した。今日のイサザはギンコのことなど言えないが、帰ってきたまんまに、そこらに放り出された鞄と上着がだらしない。パソコンをおいたテーブルの上に、でっかいカメラが乗っていて、ディスプレイの下で小さく光が点滅。
「あー…、もう…使いっぱで電源落としてもないってこと?」
すたすたと近付きマウスを掴んで、省エネモードからゆっくり切り替わる画面。部屋はもう明るいのに、暗い中で光を見たような、不思議な感じがした。
「……」
画面いっぱいいっぱいに、映し出された、土の色。光と、のびやかな木々の姿、高い空、枝先にちらちらと残る葉。訳も分からず、イサザの目から涙が溢れた。見たかったものが、そこにはあった。
ギンコ、お前の撮った写真。
ちゃんと息して、ちゃんと生きてる、
お前が好きで撮った写真だね、これ。
風景はどこか見覚えがある。木々の隙間に遠く見える山の形が。そして季節は丁度今頃で、最近撮った写真だとわかった。ぽろりぽろりと零れる涙を、ぐい、と腕で拭ってから。
「ちょっとどいて、お前の腕邪魔っ。俺の寝るとこ、空けろよ…っ」
遠慮なくぐいぐいとギンコの体を押して、投げ出されてる腕を持ち上げて退かせて、布団をめくり、イサザはギンコの隣へと潜り込む。感じる温もりにまた泣きたくなって、頭まで布団をかぶった。
変だよなって思う。写真1枚見ただけじゃんか。でもその写真が、傷が癒されていくギンコの心を、映すものに見えて仕方ない。俺、なんも出来てないから、誰が、何がお前を癒したか知らないけど、嬉しいんだよ、それでもさぁ。
「…イサザ」
起きていたのか、それとも今起きたのか、ギンコが一言、呼ぶ。いつも通りを装わなきゃ、って、イサザは頑張る。
「うるさいなぁ、何、俺眠いんだけど」
「…冷蔵庫にプレミビア、あるぜ?」
なにそれ、俺が戻ったら一緒に飲もうと思ってとか? ご機嫌取りかよ、ふざけんなよ、俺だってお前が居なくなった日、二人分のたこ焼き、冷え切ったヤツ食べたんだぞ。味なんかぜんぜんしなかったんだからなっ。ふたりで食べようと思ってたあれもこれも…っ。
「…ツマミあんの?」
「さきイカとチーかま」
「あーそう」
ほんっとふざけてる。人にこんなに心配掛けといて、なにチーかまって。そりゃ俺、大好きだけどさぁ。もっといいもん買ってこいよな、馬鹿。声がさ、震えそうになるじゃないか。
「寝る…っ」
そのあと、寝ようとしても眠れずに、寝たふりの長い沈黙が過ぎて、イサザが一つだけ聞いた。
「なぁ…? ギンコさぁ、写真撮るの、好き?」
「………」
返事は聞こえなかった。でもギンコは背を向けて横になっているイサザの肩に額をつけ、軽く頷いた。
「そっかぁ…。ならいいやぁ…」
漸く、眠りの中に落ちていけそうだ。背中に肩に触れた温もりを、けれどきっと無意識の中で意識し続けてしまうだろう。もしもまた消えられても、俺は待つけど、その時もきっと痛い思いをするんだろうさ。愛想を尽かすとは思えないから。
翌朝、目を開けるのが少し怖かった。夢だったらどんなに痛いだろうと思ったからだった。でも目を開ける前に、居ることがわかった。熱い息遣いが、肩のあたりに届いていたから。
無造作に起き上がり、冷蔵庫から食パンを二枚取り出し、トースターへ。それからコーヒーを入れるために、カップを2つ。
「イサザ、俺のも」
身を起こしてだるそうに、ギンコがそう言った。数か月のブランクは、どっちもきっと言葉にしない。容易い約束事が、また増えた。
終
戻ってきて久々に会う、という展開が、別の連載と被っていて、実はとっても書き難いっ。なんてのは言い訳ですがね。すみません難しかったんです。次回は同じシーンを少し、ギンコの側から書きたいと思っておりますよ。
もう話数も増えているし、一度締めてまた続きを別のタイトルで書く流れかと思います。連載の塊いくつも突っ込んだ「ワンフレーズ」のシリーズって感じになりますね。螺旋と同じね、螺旋と。
ちょっと詰まらない回になった気がしますが、読んで下さった方、ありがとうございます。次回はもっと頑張るっ。
13/11/24
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