モノクローム  1




たたんたた
  たたんたた
    たたんたた

 停まっていた電車が、またゆっくりと走り出した。各駅停車ののんびりした運行である。座席は半分ほどが埋まっていて、ほとんどが一人の客だからか、窓側はほぼ塞がっていた。

「窓側がいーい…っ」
「はいはい、空いてたらね」

 子供と若い母親の声が、後ろから。そして、

「あ、ほらっ、あそこ。おじいさんの隣。座らせてもらいなさい」

 母親がそう言って、幼い女の子がパタパタと駆けてくる。そして女の子は彼の横まで来て「おじい…」と、そこで声を途切らせた。

 白い髪の、後ろから見た背格好で分かるように確かに男の、でもそれは、老人ではなかった。うっすらと開いた目は軽くくすんだ緑。暗い色のジャケットを着て、その膝に、大きな鞄を抱えて持っている、若い男、だったのだ。

「おじ…っ、おにぃさん。隣座って、いいです、か?」

 女の子は、興味津々で白い髪したその男の顔を、じっと見たままそう言った。おじさん、から、おにいさんにわざわざ言い換えたのは、母親の教育の賜物か。

「どうぞ」

 重たげなゴツい鞄。網棚の上にも別の荷物がある。男は子供相手ではないような、沈んだ声で短く言って、それ以上何も言わなかった。それでも鞄を体に引き寄せ、膝をぐ、っと引っ込めて、女の子の通るスペースを開ける。

「ありがとぉ」
「…いいえ」

 舌足らずなお礼の言葉に、また男は一言言った。低いが、よく通る声だった。そうして彼はそのすぐ後、次の停車駅のホームに滑り込む電車の中で立ち上ると、網棚の上の荷物を下ろして持ち、膝に置いていたバッグの紐を肩にかけて歩き出した。

 下りる客は彼を含めて、一人、二人程度。確かに寂れた駅だ。それでも聞いてイメージしていたより、明るい感じだと思った。もっとこう、数年後には廃駅、な感じかと。
 
 ベンチに荷物を放って、鞄の中から黒い塊を出し、弾く様にキャップを外して、一枚、撮る。撮ったのはひび割れかけたホームと線路、茶色に汚れたレールの枕木。その枕木を半ば埋める砂利。人間は、フレームの中に入れなかった。

 るるるるるるるるーーーーーーーー。

 発車の合図を聞きながら、僅かに下がって、走り出す電車のボディも今度は納める。シャッタースピードは変えない。ブレて流れる車体と、動かないホームと。

 そうして去っていった電車の姿。またカメラを目元まで上げかけて、彼はベンチの軋む音を聞いた。

「なーんだよ、都会で溜めた仕事の疲れ、癒しにきたとかじゃないの? ギンコ」
「…別にこれは仕事じゃない」

 ベンチに並べて置いた荷物と、カメラの鞄。その真ん中に無理無理座って、彼はその両方に腕を乗せていた。抱きかかえるように、ぎゅと腕を狭め、人懐っこいような笑顔でいる。変わらない顔だ。変わらな過ぎて、たった今までの数年が、どこかに消えないだろうかと思った。

「変わらねぇな、イサザ」
「変わんないよぉ、そりゃあ。こういうとこに住んでりゃね。ギンコもどっぷりこんな田舎に埋まっててみなって。あ、荷物こんだけ? 身軽だね、さすが」

 助かるよ、俺の部屋、広くないしね。と、イサザは軽く笑っている。住むとこが見つかるまで、とか、そういう空気は感じなくて、本当に相変わらずだと思った。ただ意味も考えずにつるんでた昔の頃に、時がするりと戻るような…。

 戻して、構わないだろうか。
 あのことも、あの言葉も、あの日々も、
 起こる前に、聞く前に、迎える前に、
 戻してしまっても。…すべてを。

 構内放送が、聞こえ始めた。一番線、電車が参ります。白線の内側まで…。視線をやった側のホームには、誰も人がいなかった。こちら側にだってギンコとイサザだけだ。駅舎の中に駅員が一人だけ、ぽつん。

 寂れてんな、とギンコは言った。だろ?と嬉しげにイサザが笑っている。

「あ、なぁ、撮って撮ってー。お前来た記念、とかさ」

 ふざけて言ったイサザの目の前で、ギンコはカメラレンズにキャップをつけた。

「撮るかよ、勿体ねぇ」
「えー」

 イサザは屈託なく笑う。どこかに心配しているような顔を隠して、何も言わずに、笑うのだ。




 信じられないことに、稀にだが木の電信柱。蛍光灯っぽい古い街灯。夜になって明かりが点いたら、たぶん切れかけてそうに瞬いていて、蛾やらなんかが集まりそうな。

 八百屋の店先に、虫食いアリなんて書いたキャベツ。しかも歪に切った段ボールの板に、マジックで黒々と値段。丸一個150円、半分で75円、難ありとは言え安くて、半分で割高にならないのがまた不思議な。

「キャベツ炒めたら食べる? ギンコ。うちにベーコンあるよ」

 眺めていた視線に気付いたか、イサザが横からそう言った。そしてそのセリフが聞こえたのだろう。八百屋の店主がもうキャベツを手に取っている。

「おっ、兄ちゃん虫食いキャベツ最後の一個だよっ? なぁに、青虫は食っても死なねって」

 などと、都会の女が聞いたら、視線を合せず歩み去りそうなことを。なのにイサザは買うかどうかと既に思案顔だ。冷蔵庫の中身と、キャベツを炒める以外の料理法も一緒に検討。

「んー、でも折角ギンコ来たし、たまにビールも買いたいしなー」「ビールは俺が」
「やった! プレミビアーっっ」

 一番高くて美味い銘柄を、何気に指定しながらイサザは上機嫌だ。ならもうご購入っと、八百屋はキャベツを新聞に包んでいる。葉っぱと泥の付いたニンジンと、シメジも一緒に買って、隣の小さな商店で安売りの角パンとインスタントコーヒー。

「ギンコさー、生活費どんぐらい入れてくれれそう…?」

 気を遣いつつも、このタイミングでそれを聞けないような気の遣い方はしない。幾らなら見合うんだ、と、ギンコも遠慮なく聞き返す。増えた買い物のビニール袋と紙袋が、がさがさと生活の音を立てていた。ビールは500mlが三本。あまり飲み過ぎないように。

「んーー、幾らって、どのくらい食べるのかとかにも寄るよ。じゃさ、最初一万入れといて。出来そう?」
「……」

 ゴッ、とギンコはイサザの額を手の甲で殴った。痛ぇ、と騒ぐイサザの目が安堵してる。

「あっは、そういやさっき、躊躇いもしないでプレミビア6本パック買おうとしてたっけ。あるよね、そりゃ」

 逆にイサザのが、今現在生活に窮しているのかと心配になる。キャベツのことと言い…。

 そして暫し歩いて辿り付いた部屋は、割にちゃんとしたアパートだった。見てきた町並みからしたら、イイ方の部類だろう。郵便受けの数は、八世帯分。上げて貰い、部屋数を目で数えて、風呂トイレの他に二部屋。内一部屋は物置扱い。

「あのさ、ベッド一つだけど? 布団もそれっきゃない」

 買ってきたものを冷蔵庫にしまいながら、イサザがそう言った。ギンコの答えが、どこか投げ気味。

「あぁ、見りゃ分かる」
「だよねー」

 くすくす。笑うのはイサザだ。二人して言葉には出さず、昔の事を思い出している。若気の至りというか、そういうことに興味のある頃だったし、あの頃、何しても違和感ないほど近くにいたから。

「…する?」

 短い問い。笑い含みで照れの混じった。

「どっちで」

 上とか下とか、どっちが、と。

「あー、俺、ここんとこ襲ってないや」
「俺はその逆だな」
「だったら、お互い、今慣れてる方でだねー。じゃっ、かんぱーいっ、だ」

 喋りながら、冷やしても無いグラスにまだ注ぎながらのイサザ。ギンコはグラスをいらなそうに、ぷし、とリングプルを押し上げ、口をつけた。

「今、相手は?」

 ギンコはどうでも良さそうに聞く。

「いないよ、いたら寝ようかなんて誘わないって」

 意外と「おカタい」イサザは健在らしい。

「ギンコは?」
「………」

 答えないのは、どう言う意味か。笑う口元で察しは付く。隠す気も無いのは、これも相変わらずだと思った。つまり行き先を言わずに、放ってきた。放る程度の付き合いしか、していないということだろう。

「あーぁ、わっるいヤツ。変わんない、ギンコ」
「乾杯」

 妙なタイミングでギンコはそう言った。イサザは肩をすくめ、それでもどこか嬉しげに合わせた。

「かんぱいっ」

 変わらない俺らに、乾杯。









13/04/14








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