続・モノクローム
Closed door 9





 目の前に落ちてきた書類を、読む気などなかった。それでも無意識に視線がいって、そして眩んだ。あまりの愚かさに。

 ひとつの不幸の欠片も知らずに? 
 無邪気に、って。
 …どこが…。何がだ?
 知りもせずに。

 視野も茶色く霞んで見えた、砂礫の砂の色のように。目をやる先の足元に、プリントアウトされた無機質な文字。

 父親

 自宅前の事故

 即死

 精神障害

 白い紙に黒い文字で書かれてあるのに、その白が、どんどん砂に汚れた色に思えてくる。けれど、変色を押し留めるように、目の前に、さ、っと白い手が差し出された。

「すまない。見えてしまったのなら忘れて欲しい」
「……あ、ぁ、そう…だろうな」

 断片しか読めていなくとも、推測を含めればだいたいが分かる。今のが何だったか、何を見てしまったのか。あの、楽しそうにしか見えなかった子供が、癒えぬほどの傷を心に負っているなんて…。

 ほらな、俺はあんたの教えなんか、ちっとも頭に入っちゃいない。


 泣いてやってどうにかしてやれるのかい?
 身勝手な思い込みも、中途半端な同情も、
 ここじゃぁ誰も欲しがっちゃいねぇよ?
 そんなので救われるもんじゃないって、
 身に沁み付いて知ってるからな。

 
 あぁ、あんたの声。優しく、教えてくれてたのに。

 傍らのパイプイスを引いて、ギンコはぐたりと腰を下ろす。喉がカラカラに乾いて、吐き気を催しそうな気がした。化野は集めた書類を、今度はもっとしっかりしまい、ギンコの方を見ぬまま言ったのだ。

「…。電車が、そろそろ来るみたいだね。最終だ。本当に、家に来ないか? ハーブティーを入れるから」

 頷いた覚えはない。なのに、隣り合って電車の椅子に座って、じっと揺れに身を任せてた。駅に停まるたびに、開くドア、人が出てって、入って、また閉まるドア。

 
 ドアってのは、
 どうしてこんなにも違うんだろう。
 誰かが待っててくれる部屋のドアと、
 もう誰も帰っていくことのない、
 冷たく閉じたままのドア。

 かと思えば、
 疲れた姿で家に帰る人々を、
 受け入れる為に開いては、
 包み込んで閉じるドアもある。


 あぁ、何してるんだ。駄目だろ、駄目だ。心の中で言ってるのは、俺自身。別に構わねぇさ、遊びだぜ? それを言うのも俺だった。あんたの顔が脳裏でちらちら、堪えたように、笑ってる。なんでそんな顔するんだ? 俺の「ほんとう」を知ってるからか。

 忘れたくない。だから「ナカ」に、何も入れたくねぇんだよ。そんな気持ちで様々を拒んでいること自体、意識したくなんかなかったのに。

「……あんた…きもん、かも、な…」

 ぽつり、零してギンコは化野の傍から離れた。ガラガラに空いた電車の座席、どこでも選べる空白の、斜め前を選んで座り、車内が映って外の見えない窓ガラスをぼんやりと見ていた。

 化野は勿論、追って傍になど行かなかった。かたことと、昼間より少しは大人しく聞こえる電車の音を、それでも遠く遠くまで届いているだろう音を、聞きながらじっと、ギンコの姿を視野の隅に映していた。

 きもん、というのは「鬼門」という意味だろう。拒絶するかのその声を、どうしてか拒絶とは取れなかった。

 駅名が、ひとつ、ひとつ、七夕町へと近付く。でもまだ遠い。こんなところで降りてたら、翌日仕事場に行くのに支障がある。遠くにゆっくりと流れるネオンは、あれは、そういうホテルだろうか。むしろ、そういうホテルじゃない方が? 音の洩れないようなところの方が。

 明日は仕事があるのに、
 俺はいったい、何を考えているんだろう。

 ちら、とギンコの顔を見たら、丁度チカリと目が合った。化野は立ち上り、ギンコの目の前に立って、軽く体を屈めた。耳へと唇を寄せて、低く言う。

「次で降りよう。大きな町だし、ビジネスでも観光のでも、ホテルがあると思うから」
「…あんた、意味分かって、 …っ」

 気乗りしなさげに呟くも、腕を取られて引きずられる。ほんの少し前には、支えられなきゃ歩けなかった男とは思えない力で。

「君の方は気紛れだっていいんだ。今日がいいって、今夜、って思ったんだよ。早い時間にタクシーで飛ばせば、大丈夫、仕事には間に合う。ちょっとバタバタしてしまうけど」

 開くドア。ホームに化野の足が届く。ギンコのも。けれどギンコは緩く抗い、車体ぎりぎりの場所で、一瞬、力比べのようになる。

「…どういう気か、当てようか? お医者の先生。あんた俺を」

 心を病んだ可哀想な男を、
 助けてくれようっていうつもり。

 言葉になどしたくない言葉が、かすれて細い息だけになる。思い浮かべてしまえば、もう、そうとしか思えなかった。聞こえた筈もないのに、化野は首を横に振って。

「言っただろう。君を好きだから、君が欲しいんだよ」
「…欲…し……」

 ギンコはその一瞬、虚を突かれたような顔をした。発車の音が鳴り始めて、笑いを堪えながら、化野の腕を引き電車の中へと戻る。

「欲しいって? ぶっちゃけりゃ俺の想像してたのと違うけどな。あんた、俺を抱きたいのかい? 男も知らないのに?」
「え…っ! や、そうじゃないよ?! でっ、でも…その、もし君がその方がいいって言うんなら、教えてもらいながら、挑戦してみるけど…」

 徐々に小声になる化野と、何処か諦めたような薄い笑みのギンコ。

「下なら初めてもアリだけどな。やったことのない相手に抱かれるってのは、正直、今ちょっと面倒だ」

 電車はまた走り出す。隣り合い座る二人を乗せて、降りる駅までは長くて長くて短いような、不思議な距離を感じていた。結局するのかしないのか、はっきりとした答えは貰っていない。七夕町の二つ手前で電車は停まり、こんな深夜だとそこからは折り返し運転。

 駅前に一台だけいたタクシーに手を上げ、化野はギンコの顔を見た。

「来る、だろう?」
「……本気だったわけか」
「それは! 勿論」

 また薄く笑ったギンコの顔が気になった。諦めと、もう一つ何か揺るがぬ思いが、妙な割合で混ざったような。

「なら、行くさ。…ハーブティーとやらを飲ませて貰いにな」

 タクシーのドライバーが、緊張を解いたような空気が伝わって、二人はその後、無言でいた。



 小さなマンション、のようにも見える三階建ての、三階が化野の部屋だった。一階にはコンビニを半端に真似たような個人商店が入っていて、二階は大家が住んでいるそうだ。商店は夜の十時で閉まるのだとかで、だから何かを買いにいくことも出来ない。勿論、他に空いてる店もない。

「あ、帰ってきちゃったけど、必要なものも、いる、よね…?」

 今更のように思い当たり、困った様子で化野が言うと、ギンコは上着の内ポケットから無造作にその必要なものを取り出して、テーブルにガラリと置いた。

 コンドームと、小さなローションの容器。

「ケーベツ、するかい?」
「…え、軽蔑…」

 軽蔑も何も、その品物を見たショックが、少なからず。それらをみて固まっている化野を、淡々と眺めながらギンコが言った。

「こんなものを持ち歩いてるってことは、そういうことをする決まった相手がいるか、決まった相手もいないのに、誰かとそういうことをしてるってことさ。後者なのは、だいたい想像がついてんだろ?」

 こくり、と小さく、化野が頷く。それ以上を聞かれる前に、速足でバスルームへと入って行く。新しいタオルをおろし。

「先に、シャワーを浴びて構わないだろうか。覚悟を決めるから」
「覚悟?」

 く、と笑う気配に、焦って。

「あ…! い、嫌だからじゃない。その…痛い、とか、苦しいとか聞いたことがあるから」
「まぁ、慣れるまではな」

 落ち着いた返答に、ただ化野の眼差しが深くなった。唇の形が、待っていて、と。つまりは帰らないでくれ、と言ったのだろうと、思った。


 閉じたドアを開けて、去ってしまわないでくれ。
 どうしてだろう。こんなにも、今は君に居て欲しい。
 いいや、そうではなく、俺が君の傍に、居たいんだ。


















 いつもそこまでは書かないんですが、気紛れでコンドーさん用意してしまいました。ローションと、本当はさらにこの前に、カンチョーしなきゃってなるんですけど、流石にそれは、ね。毎度そんなんやってたら、変なお話になってしまいますwww

 さて、化野は想いを遂げるのか!? 

 次回辺りでまた一回、終了にするかと思います。長過ぎるからもありますが、別に止めてるものもあります故に!





14/04/29