続・モノクローム
Closed door 5
ギンコが出掛けた。今日のバックは小さめのやつだったけど、それでもその中に何が入るかぐらいは、もう俺だって知ってる。カメラの本体と交換レンズ二つか三つ。
近場に写真撮りに行くんだ。
ってことは、少なくとも何時間か戻らない。
ってことは、今がチャンス…!
足音が遠ざかってから、がばり、とイサザは起き上がり、ベッドの上の布団も滅茶苦茶にギンコのPCへと飛び付いた。実際にはイサザの部屋のだけど、ずっと前からギンコに貸しっぱで、ギンコがこれを何に使ってるのか、って言ったら。
うぃぃ…。
古い機種だから起動がイヤんなるぐらい遅い。待つ間に隠し場所から、例のもの取り出す。二つ折りして葉書サイズのカード。隣町の、滅多に行かないスーパーのポイントシールを貼る台紙だけど、要するにこれはカモフラージュで、そこに挟んであるのは、小さな文字をメモったメモ帳の一枚と。
そうそう、こないだはファイルナンバー042、ここまで見た。だからこれよか新しい数字のは、まだ俺が見てないやつ。
ドキドキしながら選んで、開いた。この動悸は盗み見のせいじゃなくて。いや、確かに盗み見てるせいもあるんだけど。だってつまり写真を見るってことは、ギンコが何処に出かけて戻ったかも知ることになる。でも、本当にそれだけじゃなくって。
一個のファイルの中身、また百幾つ、とか。すっごい。これはこの近所で撮ったのばかりみたいだ。並ぶ小さなアイコンは、やっぱりモノクロのが殆どだから、がっかりするんだけど、その中に混じるほんの数枚のカラーのが、イサザは嬉しくて。
一枚一枚、最初から一個ずつ開いて、淋しげに色の無いのもよく見て。見て。そうして辿りついたカラーを開く時は、よりいっそうドキドキする。
あぁ、これ。
これ、こないだの雨の日のなんだ。そういや夕方に晴れたんだっけ。四角く切り取られた枠の中、夕日の色が道端の白い花にうっすら紅を映してた。名前もわかんないような、何処にでもあるような小さな花。触れようと手を伸ばしたら、指の先で姿が隠れてしまうような、ささやかで可憐な花。
ティアドロップみたいな形の花弁が、くるりと雄蕊を囲ってて、その一枚の花弁の先に、透き通ったビーズのような、丸い水滴。その水滴も、薄紅。その薄紅の中に、こっそりと移り込む、多分これは傍らの街路樹の、葉の無い枝。
「ふわぁ…、きれー」
それにしても、どんな目ぇしてんだろ、あいつ。こんなの道端這うようにしてなきゃ、気付かないぐらいちいさい花…。こういうの撮る時も、あの、なんも浮かばないような、つまんなそうな顔してんのかなぁ。
またモノクロ写真を、イサザは一個ずつ開く。デスクに肘をついて頬杖。その手の平に顎をのっけて、一個ずつ、一個ずつ。あ、次、もう一枚カラーの。期待してポインタで選んで、クリック。
その時、部屋の外で音がした。足音じゃなくて、コンビニのビニールがガサガサ言う音が、微かに。イサザはびっくりして、フォルダを閉じようした。そういう時に限って、マウスのポインタが画面で行方不明になって、焦るばっかり。
あぁ、もう…っ、なんて呟いてたら、キーボードのとこに放ってたメモが、ポイント台紙と一緒に膝に落ちて。結局なんにも出来ないまんまで、イサザは部屋に入ってきたギンコと顔を合わせた。
「………」
「…えと、あ…の…っ」
「…………」
お前、なんも言わない。知っててやってんだろ。こういう時のだんまりは、下手に責められるより怒られるより、ずっと刺さる。テーブルの上に乱暴に落っことされるコンビニ袋。中身は缶コーヒーとなんかみたいで、ゴツ、ってでっかい音が鳴る。それからカメラ入りのバッグを、その隣に静かに。
「ごめっ、俺」
「別に。俺が不機嫌そうに見えるんだったら、好きに謝りゃいいけどな」
こういう、勝機を分かってのギンコの態度は、本当に本当にタチが悪い。意地悪く笑うぐらいしてくれたって、と思う。
「あーっ、もう、分かった。俺の負け! 全面的に! 盗み見してた俺が悪い! だからもっと何か言えよ。もうすんなとか、あぁしろとかこーしろとか、頼むから言ってよ…!」
ちろ、とギンコの目がイサザの傍の床に流れた。落ちている紙片は、メモ帳から千切ったらしき紙片と、それから、名刺。この部屋で名刺なんか見ることはない。覚えがあるあの一枚を除いたら、ない。
「…イサザ」
「うん、何っ!?」
「……」
「…えッ!」
唐突に、シャツの胸ぐらを掴まれた。片手で、それから残りの手でも。一番上のボタンが飛んだ。なんという乱暴。ついで二個目も。イサザは焦って、三つ目からのボタンを自分で外す。ボタン付けなんか、出来なくはないけど、裁縫セットだの針と糸だの、この部屋にはないんだよ。
「何、ヤりたいってこと? イイけど、なんか…なんか変だよ、ギンコ。外で何か…っ」
言い掛けて気付く。言う前に気付くべきことを。つまりこれはあれだ、気付いても、素知らぬふりをしておいた方がいい種類の? どうしよう、俺、またやったのかな?
ど、と背中から床に落とされる。痛くて顰めた顔の前にたくし上げられたシャツの白。どんだけもどかしいんだか、どうでもいいんだかしらないけどさ、あと一個ボタン外せば簡単なのに、ギンコ。
「ギ……、ん、ぁ…っ」
「……」
「さ、盛ってんの? ギン…っ」
胸を摘ままれ、捩じられて、痛みと同時の快楽がくる。赤く腫れたようになるまで乱暴してから、口で、舌で散々に。甘い痺れが腰に直撃して、はやくズボン脱がして、って思った。汚れちまう。これ結構まだ買ったばっかの、新しいスウェットなんだけど。
機嫌の悪いギンコに抱かれてると、いつもの対等があっという間に何処かへ吹っ飛んでく気がする。もうやめてよ、って思ってる気持ちが遠のいて、結局はギンコの思惑通りに散々喘いで、腰振って、このままじゃ立てなくなる、って思っても、ギンコが放す気なかったら、放して貰えるまで泣くしかない。
はぁ…はぁ…、は…。
「ん、ん…っ。げほっ…」
どんだけやられてたろ。喉が渇き過ぎて辛くて、咳き込む。床に放り出されたままの体を、だらだらと起こして視線を動かせば、すぐ傍でマウスを弄っているギンコの姿が見えた。画面に開いたフォルダに、データをどんどん移してる。
イサザが乱されたと同じくらい、自分も乱れてる服を直そうともせず、淡々とその作業を。画像をどんどん投げ込んでるそのフォルダ、って、ゴミ箱、なの?
「け、消してんの…? 俺が、見たから…? ギンコ」
「…移してるんだ。HDに」
「あぁ、そう…なんだ」
ほっとして、でも性懲りもなく残念に思って、そっか、毎回HDに移してそれどっかに仕舞われたら、盗み見ももう出来ないなぁ、って。
「会っただろ」
「誰に…?」
「…会っただろ」
主語が抜けた問い掛けでも、なんのことを言ってるのかほんとは分かった。水。欲しいなぁって思ったけど、罰のひとつだと思って、我慢。
「う…ん、先月だったかな、駅前で、ね」
俺からは何も言わない。会いたかったら俺のとこ来てよ。そう言った言葉が、嘘になってしまった。さらにもっと、上乗せする。先生、ゴメン。でもお互いに惹かれてるんだから、いいよな?
「お前のこと見掛けたって言ってて、すーごい気にしてて。その気に仕方が、さ。だから俺、もう付き合ってんのかと思っちゃったよ。もうそういう関係なのに、お前自分のこと何にも言わないから、不安がってるのかなぁ、とかさ。そうじゃないの、すぐ分かったけど」
で、俺、つい言っちゃった。
ギンコに会いたきゃ、俺んとこきなよ、って。
結局来ないけど、きっと勇気が出ないだけ。
「俺も会った。ここからちょっと行った向こうの、公園で」
「え、いつー?」
「たった今。子供を連れてた、まだ小さい」
「あぁ、ヨーコちゃん、かな。心の病気なんだよ、その子。先生の患者さんなんだって」
ギンコのマウス操作が、止まる。今の会話のどこに、手を止める要素があったのか。ちょっと考えて思い当たって、先生の子供じゃ、ないよ? と教えた。
「……」
気のせいじゃないなら、俺、初めて見たなぁ。オトそうとしてる相手の、そういうことを気にするギンコ。今までだったら、んなもんまったくカンケーないっ、て、そんな感じだったもんね。で? 何、ヤりたい相手に手ぇ出せそうもないから、俺をこんなにしたってこと? それはそれで、酷い。
こういうこと、はっきり言われるの嫌いなの分かってるけど、このぐらい仕返しさせろよな。
「付き合っちゃいなよ。言ったろ、応援するって。ノンケ相手で大変だったら、セーヨク処理ぐらい、俺いつでも付き合うってば。も少し加減はして欲しいけど」
「馬鹿、か」
呑気なことで、腹の立つ。
ギンコは心の底で思っていた。ノンケだからとか、独身だとか、ガキが居るとか居ないとか、そんな次元じゃないんだよ。ただ、そういうことを材料にして、どこまでも逃げたいだけのことだ。
心の病を、持つ子供。
無邪気な笑い声に、俺は苛立った。
最低、だろ。
ふさわしくないさ、これっぽっちも。
ちっとも優しくなんかない俺は、喉がカラカラのイサザの前で、缶コーヒーのプルトップを開けて、飲んだ。
続
水が欲しくなんかない、死に掛けの花。枯れて散るのを待っている人形。人形でいいヤツしか傍に来させないよ。俺を生身に見るのは、気の利かないルームメイト一人でいい。変わりたくなどない、一度は変わった。それで充分。
あんたがそうしたように、俺を弄る人間なんか、もう要らない。あんたを特別にしておきたい気持ちぐらい、そっとしておいてくれたっていいだろ?
っていうのが根底にある、のだろうか、って想いながら書く、難しいワンフレのシリーズでございます。ガサッとストーリーが動くシーンが、待ち遠しいけどそう簡単にそこまで進まんっ。気長に読んで下さる方、募集中v
14/02/11
