続・モノクローム

Closed door 2






 電機屋はどこだっけな。起きたのが遅かったから、時刻はそろそろ昼に差し掛かる。上着を一枚引っかけて、ギンコはぷらりと町を歩いた。記憶では南の方の端っこと、確か駅の向こうにもう一軒小さい店が。

 この町には何でも揃うホームセンター、なんてイイものは無いし、スーパーマーケットに行ったって、食品以外は日用雑貨しか無い。つまりはトイレットペーパーとか歯磨き粉とか、台所洗剤とか、シャンプーとか? 電化製品は懐中電灯一個買うんだって、電機屋に行かなきゃ駄目なのだ。

 ちょっと風が冷てぇかな、などと思いながら、上着の前を掻き合わせれば、通りすがりの知らないおじさんが、唐突に話し掛けてくる。

「さんむいねぇ、兄ちゃんや。使い捨てカイロあげよか? 二個持ってっから」

 声に出しての返事はせずに、さりとて無視するわけでなく、遠慮するよ、の片手上げ。変な町だと未だに思うが、そういうのにも随分慣れた。と、道の向こうで魚屋の店主が、さんまの尻尾を掴まえて揺らして見せてる。

「おぅい、にいさん、昨日イサザが買ってったさんま、もう食ったかい。今日も大特価だよ、もう一、二匹どうだ?」
 
 そしたら返事はギンコで無しに、カイロをすすめたおじさんが。

「へぇ、さんま安いんか? どら、うちとこ今日のおかずそれにしようかね。三尾で負かるかい?」
「んー、しょうがねぇなぁ、どうしよっかなぁ」

 ぱちぱちぱち、と、そろばんはじく音がしてきて、まるで随分時代が戻ったようだ。魚屋もおじさんもにこにこしてて、今時こんな土地はどうにもないだろう、などとらしくなく思った。

 ギンコは足を止めずに歩いて行く。かなり近付いてやっと見えた店の看板に「ナーソナルテレビ」なるカタカナの文字、確かに有名メーカーだが、これはいったいいつからある看板だろうか。

 がらがらと音の煩い戸を開けて入り、ラジオはどこかと、ギンコは狭い店内をうろうろする。小さな棚の上に、一個だけ乗ってた携帯ラジオを手に取り、パッケージの電池別売の文字を読み取って、今度は電池電池、と店内を見回す。

 と、その時、あんなにも立て付けの悪い戸を、がた、とも言わせず開けて入ってきた男がいた。

「おはようございます! いや、今日はいい天気ですね」

 この声。まさに、朝に、ぴったりの。ラジオからだろうと、直にだろうと、耳に通りの良い温かな声が、聞こえたのだ。でももう時刻は昼を過ぎ。からからと笑う店のおばさんが、まさにそこをつっこんだ。

「嫌だよ、あだしのセンセ、朝のラジオじゃないんだからさ、とっくにコンニチワの時間だよぉ」

 そうだった、と朗らかに笑う声が、ギンコの右耳のすぐ後ろから。そろり産毛を撫でられたような、背筋のぞくりとする感覚がきた。ひょい、と視野に入ってきた色白の手が、彼の目の前にある電池を取る。

「あだしの、せん、せい?」

 振り向く自分のその仕草を、ギンコは既に意識していた。髪を見ていた相手の目が、すぅ、と自然に目へと吸い寄せられるように。

「えっ、はい」

 驚いたように見開かれる目の、その奥の感情が、いきなり名を呼ばれた小さな驚きから、ギンコの見目に吸い寄せられた驚きに変わっていく。こんなことはギンコにとって、何度も、何度も経験したことだ。珍しい容姿なのは、今日まで生きてくる間、うざいほど承知してること。

「あだしの先生」

 にこりともせずに言った。気を悪くした様子などなく、ある意味営業スマイル風に「あだしの先生」が頬笑む。

「あなたは? あぁ、そうだ。知ってますよ、イサザ君のルームメイト、でしょう」

 今度はギンコが驚く番、あいつ、この野郎、顔見知りだなんて今朝は一言も。けれど顔には僅かも出さず。

「…あいつは俺のことをなんて?」
「いや、そうじゃないです。この町は余所と違ってこんなに狭いから、君と彼とが部屋をシェアしてるってことぐらいは、聞かなくても分かるんですよ。すみません、不躾だったかな。改めて、化野といいます。すぐそこの医院で医者をやってますから、お体の不調の際は、気軽に」

 朗らかに、親しげに話しながら、どこかで彼は一歩引いてる。ほんの数言の言葉のうちに、ギンコはそれに気付いていた。声にも話し方にも、この町の誰にでもあるような、やぼったさは無い。

「あだしの、というのは、どんな字を?」

 会話から外れた唐突な問いだったが、彼は手のひらをギンコの前に差し出し、そこに指で文字を描こうとする。ギンコは初めて笑んで、彼の顔を見ないままでこう言った。

「できれば、名刺かなにか」
「…あぁ、名刺? 名刺は…肩書きばかり御大層で、あまり使わないんですが」

 それでも差し出された名刺の名前は、想像の範疇の「化野」の文字。そして御大層だと自身で評した肩書きが。

 青雲市七夕町立総合病院院長

 やけに長くて。それに、確かに御大層だ。見せれば大抵のものは同じ感想を抱くだろう。この若さで院長を、と。そう思ったから、ギンコは逆に何も言わなかった。そう取れるような表情すら見せない。礼をいう変わりに、名刺の一辺を撫でて、それを無造作に胸のポケットへ滑り落とす。

 名乗らない気か、と思わせて、立て付けの悪い扉を開けてから、どこか面倒臭そうにギンコは告げる。

「俺は今は、特に働いてなくてね、イサザんとこに転がり込んでるんだ。名前はギンコ。名刺なんてないから、俺の名はそらで覚えてくれるかい?」
「ギンコ…君か。不思議な名ですね。容姿と同じで、とても不思議だ。印象に残るよ、忘れっこないな」

 
 

「えー、びっくりだね。凄い偶然」

 部屋に戻って話をすると、イサザは大袈裟に驚いて見せた。

「でさ、何? 俺と付き合ったまんまで、二股する気?」

 笑いながらで、勿論本気でそんなこと言ってやしない。付き合うとか付き合わないとか、イサザとは最初から今までずっと、そんな関係じゃない。

「俺は別に構わないけどさ、先生のこと、泣かせたりしたら大変だよ? 噂んなったら町中みんな知ってるってことになっちゃうだろ? それに当然ノンケなんだし? ま、ギンコのノンケ好きはよく知ってるけどさ、もっと軽く遊べる都会の子じゃ駄目、なんだろうねぇ」

 構わない、なんて言いながら、多分気のせいじゃなくて、イサザの声は途中から本気混じりだ。暫し黙って、さらに声に本気が混ざる。

「でも、さ。本気になるんだったら、いいよ、俺、応援する。だってあの先生、いいひとだもん」

 イサザの言葉を聞いて、浮き足立っていたのが、少し冷めた。脳裏についさっき聞いた声を思う。耳に馴染みのいい、柔らかな声だった。荒立てることや乱れることを想像しにくいような、とても理性的な喋り方をする。そういう声だからこそ、上擦ったような響きを出させたくなるけど。

 でも結局は、長続きなんかさせる気のない遊びだ。イサザが自分の為を思って言っていたと、感じるほどに後ろめたくなる。

 あぁ…。
 変わんねぇな、俺は。趣味が悪ぃよ。
 自分で狙いたくなる相手は大抵、
 経験なんてあるわけないノンケ。

 でもそういうのがどうしても欲しくなるんだ。ノンケの男でもあっさり落とすような魅力が、自分にあるのだと意識して、みみっちい自尊心を満たそうとしちまう。ここは乾き切った都会じゃないのに。元から雑多に歪んで壊れかけの、あの都会の地じゃないのに。それでも俺はまだ乾いてるってのか?

 何をどうしようと俺の勝手だ、なんて、そんなふうに傍若無人に、やりたいことをずっとしてきて、そういう俺を許さなかったのは…あんた、で。
 
 ギンコはぴん、テーブルの上の名刺を指ではじいた。なめらかにそれは弧を描いて、テーブルの端から落ちて床に舞い散る。

「まぁ、声はいいけど、俺の相手をさせるにしては、堅苦し過ぎるかもな」

 落ちた名刺を、ギンコは拾わなかった。






 

 




 
誰にも本気になんか、なりたくないと思うギンコ。誰かにちゃんと恋をしたら、ギンコの隠してる寂しさも、埋められたりするのかな、と、本気の恋なら応援する気持ちのイサザ。

 化野先生の意向を聞かず、そんなことを話し、そんなことを思っているイサザ。先生はくしゃみしまくりですね! いや、そういう軽い話ではなかった筈だ。…おかしい…。



13/12/23