続・モノクローム
Closed door 1
閉じた扉に背中向けて、ギンコは階段を下りた。速くもなく遅くもない足取り。金属の音が階下へと響いている。今まで居た部屋の中に、彼は何も置き忘れたりしていない。ベッドに残してきた相手は、夕べ会っただけの顔も覚えないゆきずり。
服を着たままみたいに、いいや、それよりもっと。口を閉じた袋の中にいるままみたいに、何を表に出すでもない。何かが零れ落ちるわけもない。夜の間、相手が肌に感じた温みすら、偽物染みたもの。変に熱いか、冷めてるままか。
俺と遊びてぇって?
人形遊びでいいのかい?
いいなら、いいけど?
誘い文句には、このところずっとそんな返事。意味も分からず相手が頷けば、うっすら笑う。硝子みたいな目の色で。
行為は下手じゃない。言えば巧みな方。だけれどいっそ器用なぐらいに、体と体、肌と肌だけ。その内側にはミリほども入らない、入らせない。コイビトの真似事すら、しない。その一夜に、大抵の相手は言うのだ。
ヨかったけど、つまんない。
まぁ? ゆきずり、だしな。
だから言ったろ? 人形でいいのかい、って。こういうのがまるで、数年前に戻ったみたいだ。それでも単に戻ったわけじゃない。耳の奥に聞こえてくる声があるだけ、酷くあの頃と違っているんだ。
おっまえガキの癖してなんだぁ?
おもしれぇのかい?
んなことばっか繰り返してて
人形でいいのかって?
いーわきゃねーだろ。
しばらく俺んとこ転がり込んどけや
何ででもいーんだよ、んなもなぁ
咥え煙草の煙が、一瞬撓んで風に広がる。あの頃には、どっか癖のあるあんたの煙草の匂い。今は別にそうでもねぇ、俺の煙草の匂いだけ。ガキ、って…。それでもあの時、ハタチは越えてたけどな。あんたにしたらガキだったろうよ。
「…は、どうせな…」
おら、ガキ! 傍にいろっつったろ?
嫌でも「ニンゲン」にしてやっから。
そう言ったあんたの声。
なれたのかい? 俺は。ギンコはそこで、黒い袋にしまい込むようにして、その思考を止める。ここから先へ行ったらそこに見えるのが何かを知っているからだ。ふらりと足を向けたホームに、丁度滑り込む電車の行き先を眺める。あぁ、何か月ぶりだっけな?
イサザ、また呆れ顔して、ベッドの端半分をお前は俺にあける。気紛れネコめ、今夜のエサはないからね。そんな軽口、睨みながらのお前の肌の温みは、俺に痛いほど染みるんだ。
電車の振動。かた、たん、たたん。窓で区切られて流れる景色。冬だ。枯れた色の畑に、うっすら雪が。着く頃には夜だろう。相変わらず部屋ナンバー上の隙間に、きちん、おさまってるキー。いつでも入んなよって、野良猫のための小さな扉みたいだな。
なぁ、イサザ。ドアってのはさ、
どうしてこんなにも違うんだろう。
誰かが待っててくれる部屋のドアと、
誰かを待つための部屋のドアと、
ひとりぼっちでいる為だけの、
空箱みたいな部屋のドア…。
気付いたら居た、みたいなふりは、お前が戻ってくるたびの勝手な約束。夜に鍵穴の音を聞くたびに、目が覚めるんだけどね。そんなことはお首にも出さないから、安心してふらりと戻ってきなよね、ギンコ。
そんなふうに思って待つこと暫し、やっぱり同じように、数か月ぶりでギンコが戻ったのは前の前の晩。イサザがバイトに出ている間、自分の部屋みたいにごろごろ過ごして、戻るといつもどおり、ブランクがあったのなんか忘れたように、ギンコは好き勝手に冷蔵庫のものを漁り、気が向きゃなんか買い足してるんだ。
チーかまとプレミビア、とかね。
そんで、その夜はじゃれるみたいにして、セックス手前の絡み合い。ちょっと寝入っただけのつもりで、イサザが寝返りを一つ打ったら、もうとっくに朝だった。眩しい日差しが目に刺さってくる。布団の中からヒーターに手を伸ばして、スイッチを入れた。
今日はバイト休みだから起きなくていいけど、休日の目覚まし代わりがそろそろ鳴り出す頃。あぁ、ほら、古い古い小さなラジオが、ふつ、と先に息をする。さわやかな音楽の後に、声。
『おはようございます』
いつも聞いてるラジオ放送が始まって、ぴくん、と隣に寝てるギンコの肩が揺れた。その一瞬でイサザは思い出した。そういや昔、ギンコは「声」好きだったんじゃなかったかな。気に入りの声が聞こえたら振り向いて、そっから「入る」ことが多かった。
どんなに気が合いそうでも、どれほどイケメンでも、声が嫌だったら見向きもしなかったっけ。逆に声がよけりゃ、あの時の声が聞きてぇ、なんて言ってさ。ってことは…?
『今朝の』
ぱし。伸べた手でイサザはラジオの音を切った。眉を寄せ、薄目を開けたギンコに。
「あ、ごめん。起きちゃった?」
「……いや…」
「起きちゃってんじゃん。俺さぁ、用事の無い日に目覚まし掛けるの嫌いで、代わりにラジオ鳴らしてんの」
聞かれもしないのに説明しながら、ちらり反応を盗み見る。うわぁ、猫みたいな目んなってる。まさかのまさか、食指、動いちゃったってこと?
何気ない短いやりとりをしながら、トースト焼いて、ミルクを満たしたマグは、既に熱いヒーターの上へ。バターを塗ったトーストを、口に咥えてぶら下げているイサザに、髪に少しの寝癖のギンコが話し掛ける。なんでもない口調で、なんでもなくない目付きで。
「イサザ…今の」
「んーなに」
「今の『今朝の』何なんだ?」
トーストで塞がれたままのイサザの口が、面白そうに笑ってた。懐かしいね、ギンコ、大学ん時みたいなやり取りだよ、これ。俺はパンを齧ってて、俺よか寝坊のギンコは素っ裸でベッド。Hはしててもそういう関係じゃないから、他の男の話をしたりもしたっけね。
そう思ったら楽しくなってきて、悪戯のひとつもしたくなる。イサザはラジオを手に取って、中から電池を抜き取った。ギンコの眉間に、ちらりシワが寄る。声フェチだろってからかったら、だからなんだよ、って顔をする。
その後も散々からかって、ほんとに昔に戻ったみたいなじゃれ合いが出来て、楽しかったなぁ…ってしみじみ思ったのは、ギンコが外に出かけて行った後。
あ。
そういやこの放送の声、って…。
あのカッコいい先生の声だったんじゃん。
それ聞いてギンコすっかり気に入ってたけど、
ヤバかった、かな、もしかして。
あれって、もうオトすモードに入ってたよね?
でもさ。でも。
ギンコがあの人に、本気の本気になるんだったら、
それはそれで、悪くないのかもしれないよ。
狭い街だけど、会えるとは限らない。会えたとして、それだけかもしれない。あの先生は見るからにノンケだし。でも。でも本当にギンコが本気になったら、そんなの低いハードルかもしれないよね。今までの勝率を、俺は知ってる。
誠実そうな「化野先生」の姿を、イサザは思い浮かべていた。人の体を治す仕事をしてる人。ギンコはまだ、ある意味きっと病気だから。今だって、傷が残ってることを俺は知ってるから、その出会いに賭けたって、いいよね?
もしも運命が、たったの一つでも噛み合うなら、俺も応援するよ、ギンコ。いつだって俺は、お前の味方だからさ。
続
モノクロームの続きに当たります、よろしくお願いしますっ。クローズドドアー、カタカナで書くと、なんか変なので、英語で書きました。え? そっちのが変? き、気にしない方向でお願いしますっ。ワンフレーズ、という名のこのシリーズの、最初の一歩となった短編が、漸く本編?にやって参りました。
その短編、目次の上に並んでるうちの一つです。合せて読んで頂くと、分かり易いと思うのです。
それにしても、一度書いた文を引用は大変。もうなんか…。疲れた←オイっ。今回大変でしたが、次は化野先生とギンコの出会いとかあるので、とっても楽しみですっ。
13/12/15
