Rajul Bila Wajah … 6  







『インっシャ、アッラーっ』
『インシャアッッラーっっ』

 タクシーから降りた途端、随分と下から声がしたのだ。化野は飛び上がるほどびっくりして、砂に顔を埋めるかのように、深く深く跪いている二人の男を見る。

「な…何? 何ですか…っ?」

 男たちは半分以上布で覆った顔を上げる。見えているのは目元ぐらいのものだったが、それでも必死の顔だというのはわかった。そして。

「じゅっ、すいっ、とーんっ、せるびっとーる…っ」
「え…っ?」

 いきなり言われたのと、あまり発音がよくないのとですぐには分からなかったが、そのフランス語の意味が分かって、尚更化野は絶句した。黙り込んだ彼の横から、バシルが助け舟のように口を挟んできて、聞き間違いではないと理解する。

『この先、この二人はあんたの下僕だ。なんでも好きなように命じてやってくれ。それで許してくれってよ』

 そうだ、さっきのは確かに「あなたの下僕になる」と言う意味の言葉だ。あまりに有り得なく聞き慣れなくて、脳内で訳するのに戸惑った。

『そ、そんないきなり言われても』

 うろたえる化野の前で、跪いたままの男たちは顔の覆いを荒々しく外す。目元や頬に、それぞれ酷い痣のあるその顔は、まさしく昨日の、あの男二人の顔だったのだ。

「あ…ッ」

 誰なのかわかって化野は後ずさり、後ろに立っていたバシムに体を支えられる。

『怖がるこたぁねぇよ、ダスィーノ。この砂漠であんたを守るのが、この二人の命を懸けた償いだ。もしもあんたが嫌なら、こいつらはこのままサハラで日干しか飢え死にだが、それだって文句ひとつ言えねぇ話だからな』
『う、飢え死に? ど、どうしてなんでそんな話にっ? お詫びなら昨日ちゃんとされたし、それでもういい、ってあの時も、確か言ったはずでっ』

 バシムを見てそう言い、二人にも頷いて貰おうと彼らを見たら、また二人は砂に額をつけて蹲っている。その体は震えていて、とても頷いてくれそうにない。困り果てている化野に、バシムははっきりと言ったのだ。

『あんたはアブヤドの大切な人だ。そんなあんたにこの二人がしたことを思えば、今命があるのだって道理が通らねぇ。悪いが、あんたが許したって此処の砂が許さない。あの太陽が許さない。覆せない砂漠の民の生き方さ。…例え、アブヤドが許したってな』
 
 言いながら、バシムは懐に手を入れて、そこに隠した何かを取り出した。柄にあざやかな青い布が巻き付けられた短剣だった。彼は鞘から剣を抜き放ちながら、二人の男の前で屈み、その切っ先で、ぐい、と片方の男の頭の布を裂いたのだ。

『なっ、なにを…っ』

 親指の長さほど布は切れて、その内側に重ねて巻いてあった布の色が見えた。酷く褪せてはいるものの、それもまた青い布だったのだ。もう一人も黙って頭の布をずらして、その下に隠していた布の青を見せたのである。 

『俺らは、追放された"アマーズィーグ"なんでさっ。砂漠を追われ、なんとかシャウエンで生かしてもらえてたってぇのに、馬鹿だからまた罪を犯したんだ…っ』
『バシムさんの言う通り、死をもって償えって言われたって、仕方ねぇ立場よ。それをバシムさんがっ』
『あんたを…いや、あなた様を守り抜いたら、元居た部族に口聞いてやってもいい、って…っ』

 たどたどしい言葉で、それでも必死で伝えようとする彼らの前に、思わず化野は近付いた。けれど何を言ったらいいかわからず、手を伸ばし、彼らの顔に触れてこう言った。

『ひ…酷い痣だ。この傷は、少し冷やした方がいいよ。いったい誰がこんな』
『誰が、って…。ダスィーノ。すまんね、俺だがな』

 ぎょっとして振り向くと、バシムがさっきまでとはがらりと違った迫力のある眼光を、手品みたいに引っ込めるのが見えた気がした。

 タクシーの運転手とはそこでお別れだったから、重ねて道中の礼を言い、街のほうへと走り去る車を見送った。そのあと、まだ跪いている二人を化野は無理にでも立たせる。

 名を聞けば、背の高い痩せた方はメフディ、バシム程ではないが、がっしりした方はヤアグーブという名だと言う。どちらにしても二人とも、化野よりはずっと大きい。

『旦那、旦那、この布を頭に巻いてくだせぇ』
『そしたら、旦那っ、次はこちらへどうぞっ。上等なラクダを用意してありまさぁ、乗って下せぇ』
『…えっと。ラクダに乗ったことがないので乗り方を詳しく』
『すみませんっ、気ぃ利かなくてっ。座らせますんで…ッ』

 二人とも緊張した顔のままアタフタしているのだが、ラクダの扱いは流石のものだ。四頭いるうちの一頭のラクダの体に触り、何か声をかけた途端に、大きな茶色の体が化野の前でぐっと低くなる。ラクダが四肢を折りたたんで、砂の上にぺたんと座ったのだ。

 それでも簡単に跨がれる高さではなくて、よじ登ろうとしていたら、ヤアグーブが化野の前で体を丸めて蹲った。

『踏んでくだせぇ』
『え…っ』
『いいから踏んでくだせぇ』
『でも』
『どうか構わず踏んでくだせぇ、旦那にその足で踏んで貰いてぇんで…っ』
『ヤアグーブの体で嫌だってぇんなら、このメフディを踏んでくだせぇ。俺だって旦那に踏まれてぇ』

 言いながら、メフディまでがラクダの横で踏み台になるので、ヤアグーブ、メフディ、ラクダ、とみんなが化野に乗られ待ちをしている格好になる。

『ふ、踏まれたい、って、そんな、まさか』

 至極真面目に言っていたら、後ろで腕を組んで仁王立ちをしていたバシムが、無表情なまま自分まで膝をついて丸くなろうとし。

『旦那ぁ、俺の体の方が踏み応えあるんで、なんなら』
『ちょ…っ。待っ…』
『………ぶっはは、いやいや、冗談冗談っ』

 バシムはいきなり太い声で笑い出し、身を起こしたと思ったら、化野の腰を両手で掴んで、ひょい、と持ち上げたのだ。

「うわ…っ」

 声を上げた時には、化野はラクダに乗っていた。分厚い布の置かれた上に跨ると、どうやらそこはコブの前。どういう風になっているかわからないが、一応掴まる取っ手らしきものがあったので、しっかりとそこにしがみ付いた。

『いいかい、立たすぜ? 落とされねぇでなぁ、ダスィーノっ』

 言われ終えるか終えないかの一瞬に、化野の体は前に大きく揺さぶられ、息つぐ間もなく今度は後ろに揺すられた。落ちる…っ、と焦った時には、視界が遠くまで遥かに開けて、細かな砂を顔に感じる。

「た、っかいっ」
『あっ、いけねぇ、旦那、布が解けて』

 いつの間にか他の三人も、それぞれラクダに乗っていた。メフディに頭の布を巻き直され、さらにもう一枚の大きな布で、腰下まで全部を覆うようにされる。両側から支度を整えられて、化野までが砂漠の民のような格好になっていた。

『さぁて、行くかぃ。少し急ぐが、具合が悪くなったら遠慮をせず言ってくれ。正直、慣れねぇあんたにゃ、易い道中とは思えねぇからなぁっ』
『わ、わかりました』

 まず先に、ヤアグーブがラクダを進めた。そして次はメフディが。そして化野のラクダがゆっりと歩き出し、ラクダの首の長さ分後に、バシムのラクダが続く。先の二人は少し離れている。聞こえないと見てか、バシムは化野に話しかけた。

『さっきは驚かせてすまんね、ダスィーノ。砂漠の民の掟だなんだ、異国のあんたには分らんだろう。けど、俺らにゃ命綱でもある大事な井戸を、うっかり他所に奪われちまった罪は、そう簡単には消えねぇのさ。頭が悪ぃんで他部族に付け込まれたんだけどな。それだって罪は罪だ』

 だんだんと歩みの早くなるラクダの上で聞いたのは、とても重い声だった。もちろん、口など挟めるものではない。バシムの言葉は続いている。

『俺が先に殴ってなきゃ、袋叩きにされてたかもしんねぇよ。俺らみたいに一時砂漠から離れて、シャウエンとかフェズあたりで、働いてる砂漠の民も少なかねぇから。食うに困らん暮らしは、奴らをクズにするだけだったってこったろう。麻薬なんかに手ぇ染めてたのにも呆れたけどな。…砂漠じゃ、馬鹿なりに真っ直ぐな奴らだったのによ…』

 渋めていた顔をすっと真顔にし、頼む、と、バシムはラクダの上で化野に頭を下げたのだ。

『あんたを守り抜きゃ、あいつら部族に帰れるかもしんねぇ。俺なんぞに大した力はねぇが、アブヤドが口を聞いてくれりゃ、或いは。だからあいつらに守られてやってくれ。蠍からでも砂嵐からでも、命を懸けて守るって、二人とも言ってるんだ』

 ただ、化野はバシムに頭を下げ返し、お願いします、と言うしかなかった。ほっとした顔のバシムが、化野の乗ったラクダの首を、数回撫でてもう少し下がる。

 見渡す限りの砂漠しか、もう見えない。後ろを向いても同じだった。蠍、砂嵐。それに毒蛇も、サハラには居るのではなかったか。正直、あっさりと懐から刃物を出したバシムに、怖気てもいた。それを見て当たり前のように、逃げずじっとしていた二人の姿にも。

「…砂漠」

 ここは日本じゃない。安心が約束された土地ではない。知らない異国の只中で、ましてや大人数のツアーでもない。そのことを今更のように芯から感じて、化野は震えた。パンフレットで見たからわかってる、なんて、よく平然と言ったものだ、と今更思う。
 
 でも、約束したんだ。
 彼を見ている、と。
 会いたいんだ、ギンコに。
 

 

『ダスィーノ、そろそろ水を』
『あぁ、ありがとう』

 かなり頻繁にバシムは化野にそう言った。革袋の水を有難く飲ませて貰うが、飲む量が少ないと、もっと飲めと重ねて言われる。そういえば、いつの間にか日は随分高く上がっていて、酷く暑いのだ。肌に殆ど汗を感じないので、高湿度の暑さに慣れている化野は、かえって暑いと感じないのかもしれなかった。

『随分来た。蠍で危ねぇあたりはもう過ぎたし、ここらは蛇がいねぇんだが、どうだい? 腹は減らねぇかい?』
『あーーー、そういえば、少し』

 化野が言うと、バシムはよく響く声で、前の二人に声をかけた。 
『おう、どっちか風のねぇ場所探して砂除け作れ。残った方はいったん高いとこへ行って、アブヤドたちが見えねぇか確かめて来い』

 命じ慣れた風なバシムの声と言葉。化野にもわかるようにか、フランス語でだった。

 すると、すぐにもメフディのラクダが駆けて来る。ヤアグーブは遥か遠くの、砂の山の方へと走った。飛び降りたメフディが荷を解き、分厚い茶色の布と何本かの棒と紐とで、何かを作り始める。見る間に出来上がったのは、大人二人がやっと影に入れる大きさの風除けだ。

 バシムはと言えば、ラクダから降りて、自分の荷の中から食べ物を取り出している。それを風除けの下に押し込んでから、彼は化野をラクダから降ろそうとした。

『じ、自分で降りてみていいですか』

 化野はそう言った。おろしてもらう方が、相手にも手間がないのかもしれなかったが、それでも。

『…あぁ、いいぜ。そんならまず、ラクダの首を三回叩きな。そんでな、オッチっていうんだ』
『こう、ですか? オ、オッチ…? うっ、うわっっ』

 言った途端にラクダが膝を折った。激しく後ろに傾き、次は前に傾く前と逆の動きを、数時間前のことを思い出しながら、化野は必死に体のバランスを取る。屈んだラクダから自分で降りたが、乗るときにあれほど戸惑ったのが恥ずかしくなるぐらい、案外簡単に降りることができた。

『でっ、出来…っ』
『うまいじゃねぇか。ラクダ使いになれるぜ、ダスィーノ』

 砂除けを作り終え、ラクダに乗りなおしていたメフディまで、何故か大喜びして声を上げている。

『すげぇっ、すげぇぜ、流石は旦那だっ』

 化野は一番砂と日差しを避けられる砂除けの奥に入り、背中や頭に布の感触を感じながら、干肉と薄い形のパンを貰って食べた。バシムはその手前に座り、壁代わりになってくれていたし、メフディは日を浴びたままで食事をしていた。ヤアグーブに至っては、遠くの砂の山からまだ戻ってこない。

 場所を変わりますよ、と化野は何度か言いかけた。でも言わなかった。守られることが今すべきことだからだ。あの二人の為にもそうだし、一番弱い自分が体力を消耗してはいけない。

 差し出された水を、化野はごくごくと飲んだ。少しすると、ヤアグーブが、小さな湧水があったと言って、水袋三ついっぱいに水を満たして戻った。心から嬉しくて有難くて礼を言うと、言われたヤアグーブは心底びっくりしたようだった。

 もごもご、と何か言っているのが聞こえて、問い返すと、ヤアグーブの代わりに、バシムが言う。

『どういたしまして、だとよ。はっはっ、あんたはアブヤドの友人だから、こんなこと言うと恐れ多いけどなぁ、俺もあんたの友人になってみてぇなぁ』

 喜んで、と、化野は言おうとした。その時、それは起こったのだった。






 







 オリキャラを増やすのはいいけど、慣れない響きなんでなかなか覚えられないっ。もう一人増える予定ですがっっ。でも書くの楽しいっ。調べながら書くの面白いっ。アラビア語出したいけど、読みが見つからなくて断念すること数回。アラビア語難関っ(それも楽し~い~。

 てか、この話、あと何話続くの? とうに長編の空気になっていました。あと短くても三話はあると思うので、どうぞお付き合いくださいなのです(真顔)。

 アマーズィーグは「自由の民」という意味だそうで、ベルベル人の本当の呼び名。ベルベル人ってのは「何を言っているのか、分からない。ワーワー言っている人たち」という意味になっちゃうんだそうだよ。なんというか、調べてびっくり。ウィキにまであるのに…。よく、こういうネーミングってありますよね…(バルバロイも同意)。

 あと、ラクダは走ると相当揺れると何かで読んだ。化野、体幹大丈夫か。腰やられそうww ああああ、今回ギンコの影も形も…っ(> <) 次は絶対出ますっっっ。ではまた次回~っ。



2018/10/14