【ワンフレーズの君を…】
『おはようございます。今朝の』
唐突に耳に飛び込んできた「見知らぬ」声に、ギンコは小さく眉を顰めた。その声が途切れるのと同時に、ぱし、と小さな音がして、イサザがちっともすまなそうじゃなく謝る。
「あ、ごめん。起きちゃった?」
「……いや…」
「起きちゃってんじゃん。俺さぁ、用事の無い日に目覚まし掛けるの嫌いで、代わりにラジオ鳴らしてんの」
アラームとかベルの音なんかより、人の声の方が耳に優しいだろ? なんて、聞かれもしないのに勝手に喋って、イサザはするりとベッドを抜け出す。何も身に着けない後ろ姿に、窓から差し込む光が当たっていた。今更エロくなんか見えないけど、逆光がそのままの意味で、ただ眩しい。
「あれ、ギンコも起きる? だったらトースト、二枚焼くけど」
「あぁ、うん、いや」
どっちなんだか。イサザは肩を竦めて見せ、ぶかぶかのサイズのシャツの袖に腕を通した。まず右手だけ通して、その手でトースターにトーストを放り込み、もう一方の腕も通してから、マグにミルクを注いでヒーターの上へ。冷たくなきゃいいや。
イサザはギンコの昔馴染みだ。幼馴染と言い換えることも出来るのに、それでも体の関係まであって、上になったり下になったり。ふらふらと放浪癖のあるギンコが、年に一、二度転がり込むのを、イサザは気楽に受け入れている。好き合ってるとかじゃなく、かと言って、どっちかだけが相手に想いを寄せてるでもない、ただの…。
ただの、なんだろう? よく分からない。ちょっと変わった、友人てところか。
「イサザ…今の」
「んー、なに」
「今の『今朝の』何なんだ?」
ラジオの声のその続きが変に気になって、ギンコは尋ねた。聞かれたイサザは、トーストを口に咥えたままで、すたすたとベットに近寄り、枕もとに転がっている手のひらサイズの古いラジオを手に取る。そうして彼はそのラジオから、単三電池を二つ抜いて、うんともすんとも言えなくなったそれを、スウェットパンツの尻ポケットへ捻じ込んだ。
電池は胸ポケットに放り込み、一口齧ったトーストを、片手に持ってイサザが笑う。
「ギンコってさ、声フェチ?」
「…はぁ?」
ベッドの脇に座ったまま、白い前髪を怠そうに掻き上げて、ギンコは少しイラついていた。おはようございます、今朝の…まで言われたら、普通気になるだろ、と眉を寄せる。イサザはトーストを齧りながら、ポケットの上からラジオを押さえていた。
「声フェチだろ? 俺とこうなった切っ掛け、覚えてない? 一人で気持ちいーことしてた俺のこと盗み見しといて、お前のそういう声って結構いいな、なんて言ってさぁ。その晩初めて俺のこと誘ったの」
「…だったらなんだよ」
「別にぃ。俺って実は髪フェチだけどね。ギンコの髪、そうじゃなかったらこんなふうにはなってないな」
トーストの最後の一欠けらを口に放り込んで、ヒーターで程よく温まってたミルクで流し込み、それからイサザはポケットの中のラジオを取り出して放った。ぱし、と、ギンコがそれを片手で受け止める。
「ここらにしか届かない超ローカル放送だよ、さっきの。有志だけでローテーションして、毎日ちょっとの時間だけやってんだけどね。今のは十五分かそこらの番組だから、もう終わるかも?」
「………」
じろ、とギンコはイサザを睨み、オンオフのスイッチをカチカチと弄る。勿論うんともすんともだ。魂が綺麗に抜かれた沈黙のラジオ。耳ではあの「声」が、何度もリプレイされている。
おはようございます、今朝の。
おはようございます、今朝の。
おはようございます、今朝の。
おはようごさ…
あぁ、穏やかで、取り澄ましたようで、深く心地よく低いこの声が、色んなことを言うのを聞きたい。自分だけを相手に何か言うのを、目の前で聞いてみたい。耳に直に、流し込まれたい、などと。
「…電池」
「欲しい?」
「……欲しい、寄越せよ」
「しょうがないなぁ、はいっ」
からかうのが心底楽しそうに、イサザが単三電池を一個だけ差し出す。それから更に焦らして、もう一個はベッドの上に放った。ギンコはクールな振りを投げ捨て、裸の体を捩じってシーツにダイブ。跳ねて転がった電池を握り、慌ててしくじりながらも、ようやっとラジオに魂を戻した。で、スイッチ・オン。聞こえてくる声は、確かにさっきの。
『……健康ワンポイントアドバイス、でした。今朝のパーソナリティは、わたし、○○市の』プツ…っ!
「へへ、いい声だよねぇ、この人の声って実は俺も結構好きでさ。だから休日の目覚まし代わりに聞いてんだよ、彼の『おはようございます』」
ラジオのスイッチに伸べた手を引っ込めながら、イサザがにこにこ笑ってた。慌ててもう一度スイッチを入れても、聞こえてくるのは別の番組の、別の声。
「…『わたし、○○市の』なんだ」
「知ってても教えないー。ギンコさ、気に入ったら手段選ばずなんだもん、こんな狭い町でノンケの男オトしに行かないでよね」
さすがは幼馴染の古馴染み、体までギンコと馴染んだイサザである。鋭いところをついている。
「いいじゃん、別に声フェチじゃないんでしょ。だったら声だけちらっと聞いた男の全部が知りたいとか、まさかそれはないよなーそれはないよー」
「……」
ち、と小さく舌打ちが聞こえた。ラジオをぽい、と放り出し、拗ねたようにギンコはベッドで丸くなる。でも諦めた振りをしながら
周波数もしっかり見たし、時間も覚えた。後で自分のラジオを買いに行くのだ。それと電池も。
次にいつあの声が聴けるのか分からないが、例え殆どの時間、雑音を聞くだけに終わっても、イヤホン耳に差しっぱなしで探し当ててやる。手段を選ばないギンコとしては、そのくらい別にどうということはないのである。
その日の昼下がり、小さな電気屋でギンコがラジオを買い求めている時、その声は聞こえた。店のオバサンが笑って答える。
「おはようございます! いや、今日はいい天気ですね」
「嫌だよ、あだしのセンセ、朝のラジオじゃないんだからさ、とっくにコンニチワの時間だよぉ」
「おっと、そうだった、いやいや、つい」
その声はそう言って、ギンコが買おうとしていた単三電池を、ひょいひょい、と先に取った。振り向いたギンコの白い髪と、緑の目を、男はびっくりしたような顔で見る。
「あだしの、せん、せい」
「え、はい」
正直、かなりびっくりした。びっくりしてまじまじと見るのを、ギンコは止められなかった。
こんなところで会えたのも驚きだったが、声と同様、顔まで好みだったのだ。背格好も、雰囲気も。いや、俺の声フェチも、極めたもんだなとそう思った。声だけで、こいつが自分好みの男だと分かるとは…! その上オトせる自信もある。
「あだしの先生」
「…あなたは?」
ラジオを買うのをやめて、ギンコはイサザの部屋へと戻り「あだしのせんせい」に強引に出させた名刺を見せた。見ろよ、これ、と告げる声も浮き立って、イサザは早くも苦笑している。
「でさ、何? 二股する気? 別に俺は構わないけど、ノンケの先生、泣かせんなよ?」
終
ギンコ×イサザな関係でありつつ、化野×ギンコなお話。
未来さんへのお誕生日プレゼント作品でした♪
対になる感じ?に未来さんに書いて頂いた、
とっても素敵な「ブルームーン」はこちらっv
2013/03/09
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