Flower Flowers 5 




何も考えず、ギンコは目の前に滑り込んできた電車に乗った。行き先は見ていない、案内の声も聞いていない。自分の意思ではなく、電車にどこかへ連れて行ってもらおうかと、開いたドアを通り抜けて、空いている車内で壁に寄り掛かり、薄目を開けて流れていく風景を見ていた。

 だが、ホームごとの駅名は見なくとも、少しすれば目に映る風景で、自分がどの電車に乗ったのか分かる。そういうことか、と、諦めたように、ギンコは溜息を吐いた。こうなるような気はしていた。バックの中のカメラも、このカメラの元の持ち主も、きっとそうと望んでいたのだ。

 たたんた、たたんたた。
 たた、たた、たた…。

 目を閉じても閉じなくても、勝手に脳裏に浮かぶ、この電車の中で、この路線で、駅で、あったこと。


『窓側がいーいっ…』

 母親に連れられた女の子の無邪気さ。少し苛立ったのを覚えている、この国のあまりの平和さに。

『撮って撮ってー。お前来た記念っ』

 古馴染みの友人の声を聞いた時、過去を消してくれればいいと思った。痛みから逃げたいとも思いながら、それでも奥底に抱き込んだ、あの痛み。

『一番線に、只今から電車が参りますよ。
       気を付けて、いってらっしゃい』

 駅員の、まるで家族をでも送り出すような言葉。好きじゃない、勝手に心が緩む気がして。

『あー、なんだ笑えんだねぇ、あんた』

 行きずりの乗車客にはそう言われ、気遣われて蜜柑を手渡され、なんなんだ、この路線、誰も彼も俺を放って置いてくれない。

 そして声に惹かれ、でも近付かないようにしていた筈の相手に、自分から近付いたのもこの電車の中でだった。危なっかしくて、とても放ってはおけなかった。

『寄り掛かりなよ、具合、悪いんだろ?
     あんたとはよく偶然会うよな…?』

 そして、同じ日、その男が言った言葉は、今も変にはっきりと、ギンコの耳に、残って。今も、奥へ奥へと浸透していく。

『…君が、好きなんだ』

 駅の救護室。震える声で、彼は言った。ギンコはそれを笑い飛ばしてやり、軽く脅しさえして。だけれど盛大に焦りながらも、彼はギンコを案じた。絡められた指の、迷惑な温かさ。

 その後、彼の部屋で、重ねた体の温度を奪う様に怖がらせても、あの医者は怯まなかった。いや、怯みはしたが、引かなかった。

 電車の揺れに身を任せながら、ギンコは思っている。

 それでもまだ、俺は捕えられてなどいない。もう、近寄らなければいいんだ。部屋の鍵を渡されたことなど、何の意味があるだろう。一人でいたい心を、変えられてなどいないのだから。


 気付けば電車は途中から各駅停車になり、焦らすようにゆっくりと進んでいく。体を静かに揺すられつつ、ギンコはイサザや化野のいる町の駅を過ぎ、その先へと運ばれていった。

 辿り着いたのは、この路線の終点。ダム建設が頓挫したせいで、壊されるだけ壊されて置き捨てられ、けれどそのままにはとどまらず、少しずつ再生していく。

 廃駅のように傷んだ駅舎。今にも端から崩れそうなホーム。改札には殆どの時間誰も居なくて、自動改札機も勿論ない。かさかさと乾いた枯れ葉を踏んで、一歩その町に足を踏み入れると、もうギンコの手が、指が、どうしてもそれを求めた。

 撮りたい。
 写真に、収めたい。
 朽ちて再生しようと足掻く、この町を。
 蹂躙されても、元に帰ろうとする姿を。

 でもギンコは堪えて、じっと堪えて、冷たい風の吹く寂れた町をゆっくりと歩き、山へと一人で入って行く。

 すっかり葉の落ちた落葉樹の枝。その向こう、中天から大地へ、ゆっくりと色を傾けて広がる空。高い雲は、飽くほど緩慢に形を変え、薄く伸び、空の色を透かし、やがては夕の色を帯びる。

 分かっていた。抗える筈の無い場所だ。だからこそ来た。風景は、空は、刻一刻と姿を変える。ほんの数秒足りと、同じ姿をしていない。撮り逃したら、あんたが怒る。何してたんだと俺を責めて、二度と同じ時は来ないと、言い募るだろう。

 音として聞こえる声じゃなくても。あんただけは俺に届く声で言うんだ。逃げようなんて、思っちゃいない。逃げられるなんて、思わない。

 俺は、あんたからは逃げないのさ。
 あんたから、だけは、な。

 ギンコはバッグからカメラを取り出し、交換レンズを選ぶ。そしてボディの、オールニュートラルのダイヤル類に触れていく。

 もどかしいような気持ちを抑え、ゆっくり、ゆっくり、一つずつ確実に。まるで初心者みたいに、何度もファインダーを覗き、見え方や光量を確かめ、絞りや、シャッタースピードを調整し。

 そうしているうちに、空は随分と姿を変えた。目を凝らせば、光の強い星はもう見える。葉の無い木の枝に抱かれ、捕えられているように。

 ギンコの指が、焦らすようにとうとうシャッターボタンに触れて、ゆっくりと、押す。ピントが綺麗に合って、ボタンを押し切れば、耳に、胸に、心地のいい音が響く。

「………」

 言葉は無い。けれど、満足したかい、と、心では問い掛ける。まだかい? まだまだ欲しいか? 撮りたいか? 答えはないけれど、カメラに触れている手のひらが熱かった。

 俺はそんなこともないんだけどな。
 カメラは、あんたは、撮りたいんだろう?

 写した画像を確かめて、つきりと胸の痛みを感じる。取り返しのつかないことをしているような気持ちは、カラーの写真を撮るたびに、まだ。だって、あんたがもう居ないのに、まだ写してるなんて、止まった時が、動いてしまうようで怖い。

 あんたの居た時間が、後ろへ、後ろへと流れて離れて行ってしまう。俺は嫌なんだ。でもあんたが、撮れって言うから、このカメラで撮ることを、望み、喜んでくれるから。そして、声が聞こえる。すぐ横にいてくれるように、はっきりと、生々しいほど。

 いいか、ギンコ、心を澄ませろ。
 澄ませた心で自分をコントロールしろ。
 自信がないからって逃げるな。怖がるな。
 失敗するって決め付けるな。

 耳の奥で聞こえ出す彼の声を、また別の撮り方に、丁寧にカメラを調整しながら聞く。
 
 なぁ、人生も、実は同じなんだ。
 逃げたって、そのうち追い付かれて捕まる。
 だったら通らせてやれ、その心の真ん中を。
 楽に通れるように、広く開けてやれ。
 何が通ったって、お前が変えられちまうことはない。
 お前を変えるのは、いつもお前自身だ。

 言われたって怖いよ。俺は、何からも入られないように、閉じていたいのに。何にも近付かず、開かず、受け入れず、あんたの居た場所をそのままにしておきたいのに。その為には、顔なんか上げたくないのに、撮れって、あんたが望むから。

 おいおい、俺のせいかよ。
 ま、いいけどな。
 俺はお前の手の中のそれに宿って、
 いつまでだって、そこにいるぜ。

「…卑怯だよ、あんたは」

 二枚、三枚と撮りながら、ギンコはいつしか呟いていた。

 そこに居るって言ったって、本当の意味では此処には居ない癖に。俺は、あんたに抱いてて貰いたかったのに、もう、温もり一つあんたにはないじゃないか。

 でも「温もり」を受け取る方法は、
 しつこいぐらい教えたぜ? 
 だから、寒い寒い言ってねぇで、
 お前に温もりくれるヤツんとこ、行きな。

 もう見つけたろ。
 沢山、見つけたろ。

「あんた以外、欲しくない…」
 
 あんたがこのカメラに宿っているっていうなら、カメラと、俺とでいい。モノクロばっかで嫌なら、ちゃんとカラーも撮るから、俺と、あんたで居させてくれ。他のものなんか。

 でも、あぁ、スグロの望むような写真を撮る為には、心は閉ざして居られない。ほんの少し隙間をあけて、カラーの世界を目に映せば、心はもっと開いてしまう。

「あんた以外、欲しく…」

 意地になったように、ギンコはずっとファインダーを覗いていた。枝と、空と、星と月と、それだけを撮り続けて、空腹を感じる事さえ忘れて、そこに居た。














 和み過ぎてる気がしますが、時間かけてもこの和みどうにもならなかった。久々に書いたら、あれっ、なんかそろそろ一区切り付きそうな予感もしますね? っていうかその区切りがついても、flowerで書きたいことはもうちょっとありますけどね?!

 タイトルで予想がつくかもしれませんが、いい感じに、出来たらと思っているのです。あくまで「一度はいい感じに」ですが。その後は…まぁ、ねっ。flower、再開!しましたのでまたよろしくお願いしますっ。しかし、ヘタレていてすまんですー。



15/05/17