Flower Flowers 4
今時、四畳半。それ自体珍しいぐらいだ。でもスペースから言ったら三畳あるのかないのか。壁と言う壁は棚で覆われ、棚でなければ白いパネルが立て掛けられている。そして、そのどちらでもない場所は安っぽいドアだ。
棚の中は様々なパーツ。もしくはそれらが、あるべきように組み合わさったもの。どれもが色褪せて、或いは歪みや傷があり、古いものなのが分かる。
棚の縁や、ほんの少しだけ残っている壁のスペースには、統一性のないポストカードやピンナップが。
あとはでかい机がひとつと、その机に向かう椅子が一つ。それから部屋の隅に、錆びたパイプ椅子が一つあるきり。
部屋は随分と薄暗い。天井の照明は点されていなず、ごちゃごちゃとものの乗った机の上に、スタンドライトが一つあって、それが下を向いて机上を照らしていた。
丸い形の明かりの中に、手で握り込んで隠せるほどの、何かの部品。そうしてそれを覗き込んでいた顔が、ひょいと上がって、パイプ椅子の方を向いた。
「煙草やめろ、煙草。俺が何してると思ってんだ?」
咎められた相手は、視線も含めて微塵も動かず、ただ煙を長く吐き出さずに、静かに己の顔の前に漂わせた。すぐにその白煙は、彼の真上にある換気孔へと、やんわり引き寄せられて吸い込まれていく。
「ったく、あいつがそうやってたからって、お前までなぞるな、お前まで」
目元に嵌めたレンズを外し、初老の男は首をぐりぐりと回し、肩も回して椅子の背もたれに寄りかかった。
「もうちっと待ってろ。なんか買ってきて飲むとかしてろや。あ? 買いに行くなら俺にもコーヒーな。そこ出て突き当りに自販機あるから」
「……」
返事もせずに、煙草を消して横を向き、丁度視線を向けたところにある棚をその男は見た。少し、目が見開かれる。その眼差しは暫しそこから動かず、さっきの男がまた彼へと話し掛けた。
「M55C型。見覚えがあるだろう。そいつはヤツが持ち歩いてたもう一台の、後継だからな、フォルムから何から似てんのさ。なんなら手に取って見てもいいぞ、こっちはまだかかるからな ギンコ」
そう言われた男、髪の白い、目立つ容姿をした…。
椅子を軋ませて立ち上がり、ドアを開けて外へと出て行ってしまう。廊下へ出たギンコは、窓の傍で足を止めた。隣のビルの壁しか見えない、ここは殺風景な雑居ビルの一階。縦横に罅の走った壁を見ながら、ギンコは呟く。声無き声で。
あぁ、知ってるさ。
あいつが持ってたのは国産M51のボディに、
ドイツツァルバー社製の口角で。
元は誰の持ち物だったかも聞いたことがある。怪我をして遠出をやめた修理屋の愛機だったって。そしてそいつは今も、国でカメラを治していると。
がらんとした殺風景な廊下で、ギンコは新しい煙草に火を点した。肺まで深く吸い込んで、胸にたまった匂いを、どこかへ押しやってしまおうとする。あの部屋は、あいつと匂いが酷く似ていて、いつも心がざわついてしまうんだ。…けれど。
無茶ばっかさせられてんのを見てきたろ?
ちょっとの不具合だと思って甘くみりゃあ、
あっという間にスクラップだぞ、そいつ。
それで構わんってんならお前さんの好きにしろや。
何処まで本当か分からないそんな脅し文句でも、無視は出来なかった。腕も分からない見知らぬ業者に、預けようなどども思えない。だから渋々ここを訪れたものを、数ヵ月前のあの日、驚かれ、嬉しげな顔をされて息が詰まった。
来なければよかったと思いながら、でも預けてしまえば取りに来る必要も生じる。部品が足りない、用意するからまた来いと言われればそれも無視できず。そうしていつも来るたび、一時間は足止めを喰らった。仕上がりだけを毎回残してあるのは、多分わざとなのだろう。
どいつもこいつも、どうして俺を放って置かない? どうせもう、壊れた人形に等しい俺を。
「おぅい、コーヒーまだかぁ? あのな、上の段の右から二つ目のカフェオレ。微糖って書いてるやつにしてくれ、ホットで」
能天気な声が閉じたドアの中から聞こえ来て、ギンコは仕方なくポケットの小銭を探った。
「これでいいのか、ドラ爺」
所望されたコーヒーを買って戻れば、眉を上げたひょうきんな顔で、目にレンズのままの老人は振り向く。
「んーっ?」
「微糖のミルク入り」
「おぉ、それそれ。にしても、ドラ爺、ってなぁまた懐かしい」
ここ数年、誰にも呼ばれた覚えがない。古い名だった。専用の精密ドライバーをいつでも数本持ち歩いていて、例えば他の道具がなくても、大抵の故障は直してしまう。そんなところからついた仇名。
腐れるほど平和なこの国とは違い、物騒な場所では、専門の工具を幾らでもというわけにいかない。持ち歩くものは少なければ少ないほどいい。いざという時に、身軽であることが命を左右する場所にいたから。
現地では単に「ドライバー」と呼ばれ、物資の運び屋と勘違いされたりもして、そういや少々難儀な呼び名だったが。
懐かしい名で呼ばれたせいか、ちょいと余計なことを言う気になった。前々からギンコに聞きたかったことを口に出そうと言うのだ。若い時の無茶に比べりゃ些細なことで、今まで問えずにいたことがおかしいぐらいだ。
大丈夫さ、こいつももう、
終わらそうなんて、しやしない。
幸いにもそう思える。
それでもついこないだまでは、正直僅かばかり危ぶんでいた。細い糸の上を、一人で歩いているようなものではないかと思っていた。でも、カメラを診てくれと、久々に表れてそう言った顔を見た途端、随分と安堵した。
何がこいつを変えたのかと言えば、心当たりが確かにある。
「なぁおい、今お前、トモダチんとこにいるのか?」
「……あぁ…?」
肯定じゃない。何故そんなことを、と問う響きでもなかった。強いて言えば、うるせぇな、とでも言った感じか。すぐ出て行っていい状況ならば、きっとふらりと帰ってしまっただろう。
帰れないのは、人質がドラ爺の手の中にあるからだ。引っ掴んで奪い返せるものでもない、まだパーツごとに、バラバラになったままのギンコの一眼レフ。それを分かっていて、ドラ爺は、にぃ、と人の悪い顔で笑う。
「いつだったか会ったぞ、それでほらお前の個展、あんとき作ったポスカードな、あれを欲しがったんでくれてやったのさ。余ってたしな。えぇ、と、あぁ、イサザだっけ? いいトモダチだな。大事にしてるか?」
「…あれはあんたか」
ため息交じりに言って、ギンコはドラ爺を見据えた。いつかイサザの部屋の壁に貼ってあった、例のモノクロのポストカード。まだきっとあいつは、どこかにしまい込んで持っている。そしてイサザはそれを「彼」にも見せた。
もうパイプ椅子にも座らず、足元に視線を落とすギンコ。髪で顔は殆ど隠れるのに、ドラ爺はまだ嬉しげだ。
「ほぅほぅ、そういうお前の顔も久々だ。無愛想には変わりがないが、俺にとっても嬉しいこったよ」
勿論言葉になど出来はしないが、きっと喜んでいるだろう、と、ドラ爺は古い馴染みの顔を思い出す。声の届くところにはもう居ないが、ギンコのことならば、ちゃんと見ているだろうと思うのだ。
「もう帰る。…早く仕上げてくれ」
不機嫌度の上がった顔で、ギンコは低くそう言った。
「まぁ、そう急かすな。あと二、三分ってとこだ。組み上げたらしまいだからな。シャッターの僅かの渋さはなおった。あとは前から騙し騙し使ってたパーツも、合うのを見つけといたからついでに取っ換えといたぞ。でもマウントの接合部がちいと気になるが、今日のところはこんなとこだろ。持って帰るか? 外した部品」
「あぁ…」
「…ま、こいつは螺子一本に至るまで、お前のもんだからな、ほら」
皺深い手から、渡される一眼。ぬくもりも共に手渡される。ドラ爺の、そして、これを長いこと愛用していた男の。
「いいか? 寄れたら帰りにどっか寄って、いろいろ撮ってやるといい。数日ここに閉じ込められちまってて、こいつも詰まらん思いをしていたろうよ」
心のあるもののことを言うように、ドラ爺は言って笑った。行けたらな、と投げ捨てるようにそう返したギンコが、まるで宝をでも扱うように、カメラをケースにしまい込む。なぞる指先が、過剰な程に繊細で、それを見れたこともドラ爺には嬉しかった。
「最近、何を撮ってる?」
「なんで」
「いや別に」
ドラ爺はまたにいやりと笑う。カメラを預かったとき、ダイヤル類は全部ニュートラルに戻されていた。もっと細かな設定も、余すところなくフラットで、その様は神経質なぐらいだ。
何かを隠そうとしているのが、ありありと。
「メンテに関係ないだろ」
その言葉を終いに、ギンコはその狭い部屋から出る。大事なカメラを持ったまま、男をひっかける気にも、引っかけられる気にもならないと、そのまま駅へと逆戻りする。ドラ爺の言葉のせいか、心の奥で誰かが何かを言ってくる。
撮りてぇだろ。撮りてぇんだろ?
だったらあそこがいい。
土のぬくもり。水の香り。木漏れ日。
暮れ空に星。今ならば細い月。
単両の電車の音が、体の奥でもう刻まれ始める。
たたんたた、たたたんたた、たた…。
続
案外? 大事なキャラなんです。この爺さん。っていうか今さっきそれを決めた。とか言いながら、その大切な部分がいつどのようにストーリーに出て来るかはさっぱりわからんのですが。もしかしたら表には出てこないかもですね。
ただ、スグロにはそういう友人がいて、その友をあの地から遠ざけたのは彼で、だからドラ爺はいろいろと心にわだかまった後悔というか、悔やんでいることがあって、余計にギンコを気にするのです。
同じ傷を持っているんだね、きっと。
って訳のわからないコメントですまんことです。そしてギンコと爺さんしか出なかったじゃないかーいっ。
15/01/27
