Flower Flowers 3





 化野は手のひらの上の鍵を見つめている。ここは公園。冷えたベンチに一人で座って、何度目かに深くため息をついた。

 置いておいた鍵を、ギンコが持って帰ってくれたこと。馬鹿みたいに単純に喜んだ一週間前の自分が、みっともなく思えて、知らずに笑いが零れる。

 もしかしたらちょっとは気を許してくれたのかも、なんて、浮かれて。今度会ったら何を話そうか、とか。いろいろ、撮った写真を見せてくれるのかも、だとか。滑稽なくらいだ。

 あれから、ギンコは一度として部屋に来てくれない。迷惑だったのかもしれないと、女々しい思いでぐるぐるして、イサザと彼の部屋を、勇気を出して訪ねたら、帰ってない、と。

 もう七日かそこらになると、イサザは言った。化野のところに泊まったのは知ってる。その事を言い当てたら、何だか少し不機嫌そうにして、そのまま出掛けて、その後一度も戻っていないと。

 ショックで。
 自分のせいでギンコが、
 ゆくえをくらましたように思えて。
 イサザにも申し訳なくて。

「とにかく上がってよ、外寒かっただろ、今あたたかいのを入れるからさ」
 
 そう言って部屋の奥に戻るイサザの声を聞きながら、音をさせないようにドアを閉めた。階段を駆け下りてこの公園まで走って、そんな自分の行動も情けない。  

「あぁ、鍵なんか…渡さなければよかった」

「鍵渡したの?」

 唐突に頭の上から声が降ってきて、化野は弾かれたように顔を上げた。部屋着の上にコートを羽織って、踵を潰したスニーカーを引っかけ、息を少し切らしたイサザが目の前に立っていた。

「いきなりどっか行くの、勘弁して。そういうのアイツひとりで持て余してる」

 戻ろ? そう、イサザは言った。上着の袖を捕まえて、子供がそうするみたいに、ぐいぐい引っ張って。せっかくあっためたミルク、冷めちゃうから戻ろ? と。

 とにかく、謝らなければと思って着いて行った。あたためたミルクを渡され、話したいことでもなんでも聞くから、それを飲み終えてからにしなよと、イサザはいつも通りの顔をしている。

「なんかさ、多分、心配し過ぎ。ああやってすぐふらふらすんの、ただのあいつの悪い癖だから。でも何があったかは聞くよ? 俺が聞きたいのは興味が六割だけどね。残りは心配してるからで、あいつとは長い付き合いだからさ。力にはなれるかも?」

 投げるようなその言い方に、化野は目を丸くした。半分以上がただの興味だなんて、そんなこと、普通だったら言葉にしない。藁にも縋るような気持ちでいるところへ、そんな言い方。しかも力になれるとか。

 醒めかけていたミルクを、ごくごくと一気に飲み干して、たんっ、とそれをテーブルに置き、化野は決心が鈍らないようにと、一気にそれを言葉にした。

 電車で気分を悪くしてたのを、ギンコに助けて貰ったこと。でもそんな自分よりも、ギンコの方が助けを必要としているように思えたこと。なら冷えた体を温めてくれるのか、なんて、誘い文句を投げられて、承諾したこと。

「ふうん、それで先生、ギンコと寝たんだ」
「…ねっ、寝ては…ない、よ」
「え?」
「いや、あの…肌を、か、重ねはしたけど、彼とそういう…行為は別に、何も、多分」
「え…っ!」

 二度驚かれて頬が熱くなる。ああ、これはまた顔が赤くなって、熱を計れば七度越えの微熱になっていて。ここが病院じゃなくてよかった、などと、妙な思考が頭をかすめた。

「俺が先に眠ってしまったかもしれなくて。でも寝てる間に何かされてはないと思うから…」
「ちょっと待って。それ、服脱いでベッドで抱き合って、そのまま眠っただけってこと? あのギンコと? それどういう…っ?」

 そんな話を聞かされるとは、思っても見なかった。心配よりも興味のゲージが上がり過ぎ、勢い込んで聞く寸前に、心の何処かでブレーキを踏んだ。待って。何か今、聞き逃しちゃいけないことが、するっと目の前、通り過ぎていかなかったか?

「…先生。ギンコは先生の患者さんじゃあないよね?」
「え、それは医者として診たことはないから」
「だったら、俺がギンコの親しい友人として聞いたら、教えて貰えるのかな。さっき先生言ったよね『ギンコの方が、助けを必要としてるように見えた』って」

 問われて、化野は迷ったようだった。動揺して、何も考えず言葉にしてしまったことを、今、イサザに尋ねられている。医者と患者の間のことじゃなくたって、プライバシーは存在するのだ。これは、答えていいことなのか?

「イサ…」

 名を呼びかけて、化野はその言葉を切った。縋るような目を、イサザがしていた。気付いて逆に冷静になれた。イサザが聞きたいような何かを、化野は多分何一つ知らない。

「…そんなふうに、思えただけで。きっと何か辛いことが、あったんだろうなって、そう感じ取れただけなんだよ、俺も。簡単に癒せるようなものじゃなく、彼は寧ろそれを誰にも、癒して欲しくなんかないのかも、しれない…」

 言いながら、嗚咽が喉に込み上げた。なんて愚かなんだろうと、自分のことを思った。スペアキーを持っていってくれたことが、嬉しいだなんて、彼のために何も出来ない自分のままで、なんという愚かしさだろう。

「……っ…」

 テーブルに両肘をついて、化野は己の両手で髪を掻き乱した。そんな化野の前から立ち上がって、イサザはどさりとベットに腰を下ろした。そのまま仰向けになり、片手で壁の一箇所に触れ、そっと撫でながら呟く。そこはあのポストカードが、貼ってあった場所だ。

「でもさぁ、それでもギンコは先生に、そういうとこを見せたんだね。どっかが凄く辛くても、ドライに笑って見せてるか、それとも人形みたいに無表情になっちゃうか、どっちかしか『他人』には見せないヤツなんだよ、あいつはさぁ」

 それがまだ知り合ってちょっとの先生には見せたとか、それだけで俺、なんかもやっ、てしちゃうぐらいだ。また俺以外の誰かに、あいつ心を許すのかって。

「だいじょーぶ、多分だけど、きっとだいじょーぶ。先生、安心して待ってていいよ。戻ってきたらさ、心配なんかこれっぽっちもしてなかったって顔で、平気で会って、今度はあいつと寝なよ。あいつすげぇ巧いよ。俺がほしょーする」

 うわ、ヤなヤツ、俺。今ので先生が気付かないかなって、思ってる。俺とあいつは幼馴染で友達で、でもセックスはしちゃってるんだぜ、って。ずっと前から何回も何回も、そういうことまでしちゃう仲なんだぜって。あぁ、本当に本当に、ひっどいよなぁ。

「イサザ君、は」
「…うん? 何?」
「ギ…」
 
 ちらりと見た視野で、化野が狭い部屋の中を見渡してる。ベッドが一つっきりの、寝る場所なんかここしかない部屋を、ぐるり、不安そうに見てる。

「あ、その…ごめん、何でもないよ」
「何でもなくないよね、こっちこそゴメン。俺、今物凄い意地悪言ったんだ。俺とギンコ、さ。お年頃のガキの頃に、興味本位の遊びでやっちゃって、そっからそのままの気持ちで今もたまに。だから、特別ってことなんもないから。俺とあいつは、ただのダチだよ」

 イサザが盛大に凹んでそう言うと、化野は弱弱しく笑った。二人してまったく冷静じゃない。嫉妬とかなんとかより、ギンコの事を大切に思いたいのに、どうしてこうも脱線するのだろう。

「人を強く好きになるっていうのは…。それはその、友情でも、だけど。理性的なんかじゃいられなくなるね。俺は、彼を好きだよ。でもイサザ君が彼を好きなのも分かる。…ミルク、もう一杯もらっていいかな」
「いいよ、勿論」

 くく、イサザは吹き出すように笑った。そうして大きなマグにミルクを注いで、この間買ったばかりの新しいレンジで、丁度いい温度にあたためる。チーン、なんて安っぽい音が鳴って、取り出したカップからは白い上気がふわふわと上がっていた。

「俺だけじゃなくて、先生もいるから、ちゃんと戻るさ、ギンコは。前より写真も撮ってるみたいだし、カラーのもきっといっぱい。あぁあ、見たいなぁ…すっごく見たい…っ。俺あいつの写真のファン、なんだと思う。見たいー」

 足をバタバタやって、駄々っ子の子供みたいなイサザ。化野はテーブルについていた片肘を寝かせ、その上に頬をのせて目を閉じた。長い睫が綺麗に見えて、イサザはその瞼を眺めてから、自分も二杯目のミルクを温めに立った。

 ギンコ、早く戻りなよ。
 そんで自分の好きな方法で、あったまったらいいよ。
 俺も先生も、出来る事ならするんだからさ。
 
 












 なんかすごく進展してない感てんこもり。いつもの惑ってことですねっ。すんませんっ。あぁ…。でもなんだか先生がやっぱり可愛くて、院長先生そんな可愛くていいのんかい、ってまた思ってしまいました。

 お前今いったい何処にいるんだよ? って、私はギンコに問いたい。葦の原にいるのか? ん? ん? これの続きが早く書きたい気がしますv


 
2015/01/01