Flower Flowers 24 





「こ、ここ…っ?」

 ここだ、と言われて顎が落ちた。今にもぺしゃりと潰れそうなあばら家を指差し、ここで寝るんだ、とギンコが言ったからだ。

 扉も、窓も無い。長い年月を風雨に晒されて、歪んで外れて、硝子は割れて散らばったろうし、木の枠組も腐って殆ど土に還っていた。斜めになった壁にも隙間があって、外が見える。それに、家の中から空まで見えるのだ。屋根の真ん中が崩れて落ちて、ぽっかり空いた二畳分ほどの大穴からは、瞬き始めた星も見えた。

「野宿の方が、よかったかい?」
「…えっ、いや、野宿かも、とは思ってたけど、ちょっと想像と違ったから、驚いた」

 化野を其処に居させて、ギンコはすぐに薪を探しに行った。落ちた枝だの倒れた木だの、あたりをうろつけば見つかるらしい。

 ものの五分もしないうちに、ギンコは空き家に戻ってきて、土間らしき場所に、ガラガラと枝の塊を放り出す。それから、ポケットを裏返すことで、そこに突っ込んできた枯れ葉で、床に小さな一山を作る。

「手伝うよ」
「んん? 分かんのか?」
「火を焚くんだろう? 原理は分るから、多分ね」

 原理とはまた、大仰な言葉が出てくるもんだと、ギンコが手を止めて化野がやるのに任せると、彼は乾いた枝の細いのを、程よく隙間を開けて組んで、その上に生木や太い枝やらをのせていく。そして最後に枯れ葉を、下の方の隙間に詰めていった。

 うまいもんじゃねぇか、とギンコが感心している前で、一枚の板に細い枝を立て、手でその枝をぐりぐりと回して、火まで起こそうとし始める。ギンコは、ぷっ、と軽くふいて、ポケットから出したライターで、枯れ葉に直に火を付けた。

「そこまでしないでいい」

 枝の積み上げ方が理にかなっているから、焚火は見る間に大きく燃えた。赤々と炎が燃えて、互いの影が床で揺れることで、辺りが随分暗いと気付く。

「もう、夜なんだね」
「あぁ…。ここは山に包まれたような場所だからな。山の向こうに陽が翳ると、あっという間に夜が来るんだ」

 言いながら、ギンコは寝袋を取り出している。それほど大きくない荷の何処から出てきたのかと思ったが、この空き家のどこかに、彼が置いたものであるらしかった。他に出てきたものは、オイルランプに、毛布に、食べ物も、少しばかり。缶詰とか、乾パンとか、そういう。

 あとは、二種類の、三脚。替えのレンズも、二、三。

「こ、ここに置いて行ってるのかい?」
「あぁ」
「盗られたりとか、は」
「誰が盗るって。こんなとこには誰も来ないし、仮に来たとしたって、今にもぺしゃっと行きそうなあばら家に、何かが置いてあるなんて、誰も思いやしないだろ?」

 ひとつひとつが、密封できる袋に入れられて、湿気らないようにしてあるそれを、ギンコは大事そうにゆっくり取り出しながら呟く。

「……なんか、本でも持って来いって、言っときゃよかったな」
「本?」
「暇するだろ」
「そんなこと、無いよ。君のすることを、見てていいなら」

 言えばギンコの手が止まった。ずっと見ていられるなんて、やっぱり気になるんだろうか、見ていてはいけないんだろうかと、化野はがっかりする。

「そこらへん、散歩でもしてこようかな」
「止せ。もう暗いし足元も悪いんだ。怪我でもされたら困る」

 ギンコはそう言って、止めていた手をまた動かした。ふと見れば、ギンコは笑っていた。声の無い、随分と沁みるような笑みだった。

「見たけりゃ見てていい。前も言っただろ…?」

 だから化野はずっとギンコを見ていた。彼の手のすることや、その眼差しを。床に広げたシートの上で、ギンコはカメラを弄っている。レンズを付け、キャップを外し、ファインダーを覗いて、何かを撮る。沢山ついてるボタンやダイヤルを動かして、また、撮る。

 撮っているのは何も無い床や、傷んだ畳や、隙間の開いた壁。ただの試し撮りなんだろうとは思うけれど、化野はギンコがそうやってカメラに触れているところを、ずっと見ていられるのが嬉しかった。

「……飽きるだろ…」
「ちっとも」
「モノ好きもいたもんだ」
「そうかなぁ、そんなことないと思うけどなぁ」

 どうしてギンコが自分を連れてきてくれたのか、化野には分らない。もしかしたら最後まで分らないのかもしれない。それでもいい。連れてきてもらえたこと。今こうして傍に居ること。今まで知らなかった、彼の素顔を見られることが、嬉しくて堪らない。

 あぁ、そうだ。
 これは、彼の素顔なんだ。
 きっと彼ひとりでいる時も、
 こんなふうに、しんと静かで、
 澄んでいて…。

 暫しあと二人して腹が鳴って、簡単な食事をとったその後で、化野は急に眠くなった。道なき道を随分歩いた疲れと、日頃の疲れが重なって、やがては舟を漕いでしまう。それでも起きていたくて頑張っていたけれど、終いにはギンコにこう言われた。

「もう寝ろ。俺に付き合って起きてることはねぇよ」

 言いながらギンコは立ち上ると、部屋の隅に毛布を一枚敷いてから、そこへ寝袋を広げる。使えと言うと化野はすぐさま遠慮した。

「だってそれは君の寝袋じゃないか。俺はいいよ。火があるからそんなに寒くはないし、もう一枚中に着る服を持ってきてるんだ。それを着れば」
「焚火はじき消す。いいから使え」
「じゃあ、毛布を一枚だけ借りてもいいかな」
「毛布だけじゃ寒くなる。寝袋に寝ろ。…後で交代して貰うから」

 ギンコは重ねてそう言って、化野がとうとう了承し、寝袋に潜り込むまでの間、ずっと見ていた。

「…気にしなくていいから、眠れ」

 やはり疲れているからだろう。寝袋に潜り込んだ途端、化野はすぐに目をしょぼしょぼとさせ、そのうち寝落ちた。

 消そうとしなくても、焚火の火は段々と消えてゆく。火の燃える音がなくなると、外の音が聞こえてきた。木々の葉が擦れ合う音と同時に、虫の声が聞こえる。それはもう煩いぐらいに引っ切り無しに。今は春だが、それはきっと春に鳴く虫なのだろう。

「ったく。…ガキみてぇに、な」

 吐息のように言って、それからギンコは、ごろり、と床に仰向けになった。天井の大穴から見える星を眺めて、彼の心は自然と遠くへと渡っていった。遠くへ、遠くへ、過去へ、過去へ。





 差し伸べられた手を、
 最初は突っぱねた。
 いらねぇ、ガキじゃねぇ、って、
 そっぽを向いた。

 あの頃、そうやって助けられることは、足手まといだって意味にしか思えなかったんだ。意地張って、結局転んで怪我して、腫れあがるほど脚を傷めて、初めて本気で怒鳴られた。

 連れてくるんじゃなかった、って。そう思われたと決めつけて、返事もしないでまだ横を向いていたら、怪我をした足のその腫れたところを、すっぽり手で覆うみたいに、撫でられた。

「ガキじゃねぇ、っていうけどな。おめぇはガキだよ。いいか。体はデカくたって、誰もが普通は通ってくるところを、いろいろすっ飛ばして来ちまったんだ。見てりゃ分かるよ」
「…また、ガキ扱いかよ」
「聞けよ。だからな、お前はガキなんだよ。でもお前が悪いなんて言ってるんじゃないんだ。ところどころガキのまんまでいたっていいさ。ごまんといる人間の、誰でもが少しはそういう部分を持ってる。それでな、俺は、そういうお前が」





 見えてきたもの。聞こえてきた声。ギンコはカメラを胸の上に置き、両手で目元を覆った。目を塞いだって見えてしまうけれど、心の中で過去の自分と、ブレながら何度も重なるものを、見ているのに慄いている。

 手を引かれて歩いた。

   慣れない山道で、 
   随分足を引っ張ったっけな。 
 
 尻餅をついた。

   めちゃくちゃ笑われたんだ。

 野宿の時はいつも、 
 寝袋や毛布を押し付けられた。 
 それでも眠らずずっと見ていた。

   何が面白いんだって、呆れられたよ。
 
 嬉しかったんだ。ひとつひとつ、全部がきれいな結晶みたいに、宝物になった。もっと欲しくて、幾らでも欲しくて、素直に言葉にならないまま、それでもずっと傍に居たがった。居られると、思ってた。

「………」

 深く息を吐いてふと見ると、寝袋から出した目元を、化野は片手でこしこしと擦っていた。起きているわけではないらしい。そのまま寝袋ごと丸まって、猫かなんかみたいに見える。それか、幼い子供みたいに。

「…化野……」

 酷く小さな声の、その呟きの向こうで、ほんの少しも声にはせずにギンコは言った。

 過去が、見えるんだ。
 あんたの姿に、
 とうに失くした、過去が。




 続



 
 


      
 ひとつ前の話で、ふわふわとよく分からなかった、その答、が、なんとか書けたのです。

 人が人を求める。温もりを、優しさを、或いは、必要とされることを求める。その気持ちは時に強過ぎて、貪欲で、そして、一度得てから失うと、深くて塞がらない傷になる。ギンコは自分が求められる側になったことで、過去の自分の姿を垣間見る。

 そこには、もう取り返せない彼の宝物も、息づいているのです。思い出して、それでもズタズタにならず居られるのは、きっと化野が彼を少しずつ癒したからなのではないだろうか。

 そんなこんなの一話でした。



17/01/10