Flower Flowers 2
あぁ、参った。などと言うのは不謹慎だろうか。結局化野は強引に熱を測られ、七度八分もあったということで、すぐに帰って静養するようにと言われたのだ。
冗談じゃないと内心で青ざめて、必死で抵抗した。出張の間待ってもらっていた書類は山積みだし、今日化野が居るからと、日を合わせて訪れる患者だっている。
だいたい今部屋にとって返したりしたら、まだ帰らずに、彼が居るかもしれないのだ。
共寝をしたベッドにそのまま、
ギンコがまだ眠っていたら、
あぁ、そうだ。
美味しいコーヒーでも入れて…。
そんなあらぬ思考が一瞬頭をかすめて、化野の頬は益々赤くなる。多分熱もさらに上がったろう。そもそも風邪などではない、体の火照りによる熱が、だ。ナース長の視線が化野の赤くなった頬を見ている。ふう、とひとつ息をついて、誰にともなく彼は呟いた。
「……わかった…」
「それでは、すぐタクシーを呼びま」
「いや違う、帰らない。でも今日は俺は院長室から出ないから。ご足労だが、書類を此処へ運んで欲しい。あと、俺じゃなきゃ話が聞けない患者がくるから、そうしたら診察室から内線で呼んでくれ、電話で患者に話を聞く」
それでは静養にならないだろうと、ナース長に何度か噛み付かれながら、化野はなんとかそれを皆に了承させた。部屋には電気ストーブが持ち込まれ、軽い朝食代わりの食べ物と風邪薬がデスクに運ばれる。
手間をとらせてすまないと詫びられ、ナースたちが院長室から出ていくと、化野は広い院長室にたった一人取り残される。まずは食事をし、薬を飲んだ。
それから山積みになった書類を、上から順に目を通して判をついたり、返答を書き入れたりで、昼過ぎまでの二時間びっしり。あと数枚のところで、化野はころりとペンを転がした。集中力が切れてしまったのだ。
火照りが引いてしまえば、もともと熱なんか無い。頭ははっきりしていて、その脳裏に鮮明にギンコの姿が映し出される。見えてきたのは寝顔だ。寝顔が見られたことだけで、気持ちがふわふわしてきてしまう。
けれど、あの、冷たい体…。
「…何考えてるんだ、おい、化野」
ぴしゃ、と両頬を打って、気持ちを切り替える。仕事中だぞ、と己に言い聞かせる。心のままに彼を思うのも、自分の責務をちゃんと果たしてこそだ、と。その時、気を利かせたナースがブラックのコーヒーを持ってきてくれ、その前にと体温計を差し出した。
「ん?」
「あの、先生。やっぱり先生が今日はいると思って来ている患者さんも沢山いるので、今お熱がなくて体調がいいようなら、ここからお出になられてもいいと、ナース長が…」
「あぁ、うん、わかった。熱は無いがね、さっきはその…ほら、遅刻しないようにと焦って走ったので、ちょっと暑かったものだから」
言いながら大人しく熱を測られ、平熱なのを分かって貰うと、化野は最後の書類を片付け、コーヒーを有り難く頂いてから部屋を出た。ナースと並んで廊下を歩きながら、遅刻しそうだったから、は無かったな、とぼんやり思う。予定より1時間も早く来て置いて、それはない、それは。
「先生?」
ナースが化野の、マスクをつけた顔を覗き込んで、恐る恐ると言ったふうにこう聞いた。
「何かあったんですか? 先生は今日、いつもとなんだか違いますよね」
「…そうかい? どんなふうにだろう」
聞き返されると彼女は思案顔になり、診察室に辿り着くまでずっと黙って、そしてそのドアの目前で、言ったのだ。
「恋でも、なさったのかなぁ、と」
化野は、たった今自分で開いたドアに額をぶつけて、うめいた。
「………」
会ったのは半月振りだが、そんなのはもういつものこと。でもイサザは戻ってきたギンコの顔を見るなり、目を丸くして暫し絶句していた。ただいま、なんて言う習慣はギンコには無くて、イサザも何も言わないと、当然そこには沈黙が流れる。結局口を開いたのはイサザが先だった。
「…やっと進展、したんだ」
「何が」
「何がってさ。泊まったろ、先生のとこ。だってギンコからする石鹸の匂い、先生とおんなじだもん」
そんなベタな理由でバレるとか、誤魔化す気も起きなくて、ギンコはただ小さく息をついただけだ。そもそもなんでイサザが化野の家の風呂場にある石鹸の匂いなど、とも思ったが、それだけ何度も化野とイサザが会っている、ということなのかもしれない。
どうりで、ポストカードのことも伝わっている筈だ。きっと、自分が居ない間に、この部屋へも何度か来たのだろう。何となく癪に障る。なんとなく、気に入らなかった。理由など無い筈なのに。
「イサザ」
「ん? なになに?」
なのにイサザは変に上機嫌だ。
「なんでもない」
「何が何でもないんだよぅ、いろいろ聞かせてくれたっていいじゃんか。前だったらよく話してくれたろ、今度の男はー、とかさっ。あ、嘘、ごめんっ。先生めちゃめちゃノンケだもんね、俺に聞かれるだなんて嫌かもっ。言わなくていいよ、ギンコ」
そもそも、話す気なんかない。ギンコはイサザの体を押しのけるようにして部屋に入り、勝手に自分の分だけコーヒーを入れると、窓辺にあるヒーターに寄りかかった。日差しが入って温かいから、今日は熱が切ってあって、座るのにも高さが丁度いい。
何気なく見上げた空が高い。細く細く伸びた雲が、驚くほど途切れず長く伸びていて、丁度そこへ太陽の光が、放射状に振りかかっていた。着たままの上着のポケットに、無意識に手が滑り込む。指先がカメラに触れて、ストラップに付けてある紐にも指が届いた。
スペアキーのことを思い出す。無意識に指がそれを探る。今ポケットから出すわけに行かない、イサザに茶化されるに決まっているから。それに、どこか昨日までと違う自分を自覚して、それも嫌だった。
心の中で笑っている顔が見える、嬉しげに、酷く満足げに。望みどおりということかい。あんたはいつも俺の気持ちなんかお構いなしだ。そんなんじゃない。そんなんじゃないのに、あんたがそうして笑うと、俺は。
「出掛ける」
「えぇー、今帰ったばっかりじゃないか…っ」
「…すぐ戻る」
「あ、そう、ならいいけどさ」
イサザに押し付けられたマフラーを首に巻いて、ギンコは駅へと向かった。駅舎の前で無意識に立ち止まり、ふ、と息を吐いて入って行く。老いた駅長と、まだ若い駅員が、ふたり一緒に振り向いて、ギンコを見るなりにこりと笑った。
あぁこの町のひとが、
今日もこうして幸せそうで、
この上もなく嬉しいことだと、
そう言うような顔をして。
苦手に思う理由が唐突にわかった。この町は、似ているのだ。イサザに、化野に、そしてスグロにも、何処かが。胸に何かが染みる。染みて、抉じ開けて、埋めようとする。何故それが怖いのか、ギンコには分からなかった。
「すぐ、戻るさ、すぐ…な」
ギンコは単両の電車に乗る。ガタゴトと揺すられる体を隅の方のシートに委ねて、じっと目を閉じていた。今日は蜜柑をくれる男はいなかった。母親に連れられた女の子もいなかった。医者も、勿論いなかった。
ポケットに入っているのはコンパクトカメラ。それからあとは財布ぐらい。充分だと思っていた。何もしたくない。何かしたくなどならないから、これで充分だと。
続
時々言っているような気がするが、ストーリーは生き物だね! とても思う通りになんかならないよ! でもそれで仕方ないし、それでいいんだと思っている。化野やイサザが可愛いのはいいとして、ギンコもちょっと可愛い気がして。あ゛あ゛あ゛。
うん、いや、あの…。いいじゃないの! それも!
最近、ちょっと私の書くもの鮮度が悪い気がするんですけど、それはいろいろ心のモンダイだったり、まあ、最近ほれいろいろあるから仕方ないわけよ。
でも書くことが好きだ、好きだよ!
変なコメントでスンマセン。
14/11/24
