Flower Flowers 18
アップテンポのメロディが短く鳴って、ドラ爺は尻ポケットからスマホを出した。今のは、パソコンに届いたメールが転送されてきた時の音だ。添付つきのメールを開いて、短い一文にドラ爺は眉を寄せ、ついで添付サイズに目を剥いた。
こんなもん、スマホで開けるわけがない。頭を掻き、パソコンのある部屋に移動しながら、もう一度文面に目を通す。
鳥渡里。
情報通のあんたのことだから、
この土地のことも知ってるだろう。
あんたのやりそうなことかと思って、
一通の遺書と古いアルバムを、
写真に撮ったデータで添付した。
興味が湧いたらそこへ電話してくれ。
イサザも手を貸したいそうだ。
川野辺瑞希 080-XXX-XXXX
メールアドレスには見覚えが無かったが、差出人は、ギンコだ。鳥渡里のことは確かに知っている。当時の新聞記事はスクラップして、何処かに取ってある筈だった。何処だったかと記憶を探りながら、ギンコからのメールを改めてパソコンで開いた。
添付は圧縮されたフォルダで、中身は数十枚にも及ぶ写真である。一番最初の写真は「遺書」。それは、箇条書きのような綴りを含んだ、故人の言葉だった。
……さいごまで身勝手で、申し訳なく思う。
それでも私は、望みを叶えるために、
やりたいようにやり、生きたいように生きた。
その上でこうして、
願いごとまで託して逝くのだから、
きっと誰よりも、幸せな人生を送った筈だ。
一、 鳥渡里が、自然のままであれるように。
一、 鳥渡里が、忘れ去られることのないように。
一、 鳥渡里が、人々に愛されるように。
一、 鳥渡里が、永遠であるように。
これらの願いが叶う様を、
何処かで私は見ている。
この里の恵みに皆が笑う、その顔を、
きっといつまでも、見ているよ。
これまで本当に、ありがとう。
これからも鳥渡里を、よろしく頼む。
顎を撫でながら遺書の画像を閉じて、次に進むと、今度は古いアルバムのページを何枚も何枚も撮ったもの。あまりにも古い白黒の写真、セピアに色褪せた写真。写っているのは何十年も前の鳥渡里の風景と、鳥渡里の人々だった。山や川で遊ぶ子供らや、笑い合う大人たちの姿もある。
そしてそれらが終わると、今度は一変して「今」の鳥渡里の写真が三十枚近くも並ぶのだ。それはきっとギンコの撮った写真なのだろうが、美しいものばかりではない、惨く壊されたところもある、朽ちた家々や、荒れた大地の様も多い。
ドラ爺は、時間をかけてそれらを全部見終えると、もう一度頭を顎を撫でて、唸りながら項垂れた。
だがその口元はにいやりと笑っていて、項垂れたまま、彼は抽斗の中から手帳を取ったのだ。そらで開くのは電話番号ばかりを並べたページ。癖の強い文字で、そこにがりがりと新しい名前と番号と書き付ける。
川野辺瑞希 080-XXX-XXXX
その下に、いつぞや聞いたイサザの番号と、ギンコの番号も。それから手帳をペンの先で、とんとん、と叩き、ドラ爺は今度はスマホを取ると、最初にメモした番号を、気軽な様子でコールした。
「ヨーコね、ヨーコ、すききらい、なくなったんだよーっ」
長めの昼休憩で、化野は時々訪れるいつものレストランで昼食をとっていた。目の前でお子様ランチを食べているのはヨウコちゃん。その横で、化野と同じ日替わりランチを食べているのは、ヨウコの母親である。
「へぇ、凄いね、ピーマンとかも大丈夫なんだ」
「えっとね、あのね、ピーマンはー、まだー、ちょっときらーいっ。ニンジンならたべれるよーっ」
元気にそう言いながら、ヨウコは椅子から飛び降り、窓から外のよく見える場所へと駆けていった。微笑ましげにしていた化野に、声を落して母親が言う。
「小学校に上がったら給食があるんだし、遠足でお友達と一緒に、お弁当を食べることもあるんだから、好き嫌いあったら恥ずかしいよ、って言ってたら、頑張るようになったんです。でも…」
彼女は急に沈んだ顔になって、こう続けた。
「急がない方がいいって、主治医の先生にこの間、言われたんです。心の病気のせいで、ヨウコは他の子と比べて、成長が少し遅れてて、だから…」
一年見送ることを考えていると母親は言う。その方がヨウコの為なら、そうしようと思っている、と。化野は真摯に頷いて、一年なんて案外あっと言う間ですよ、と柔らかく笑った。彼女も頷き、目の前のランチをまた食べ進める。
化野や今の主治医の先生のお蔭で、ここ一年、ヨウコは随分良くなったし、成長もした。普通の子達と同じに、普通の小学校に上げてやれるなんて、去年の今頃は考えることも出来なかったのだ。たった一年の遅れなど、きっと小さなこと。
「沢山のお友達と遠足は無理でも、ちょっとしたハイキングだったら、私が連れて行けばいいわ、って。バスケットにあの子の好きなサンドイッチを詰めて…」
「それは…いいですね。私も、一緒に行きたいぐらいです」
はやいもので、あの日からもうひと月近くもたっていた。またあの里の自然の中を、歩きたいと化野は不意に思う。木漏れ日や草の葉に反射する光が、彼の脳裏できらきらと輝いて…。
「あ…」
ふと、化野が外へ視線を向けると、店の外に知った顔が見えたのだ。目が合い小さく会釈したのは、鳥渡里の老人の、孫である女性だった。自分の食事を終えていた化野は、そろそろ病院に戻ると言って席を立ち、レジで会計を済ませて外へ出た。
「すみません、他の方とご一緒のところを、不躾に。改めてお礼を、と思ったんですが、医院の方に、此処だと聞いて。…先生には、本当にお世話になりました」
「いえ。お礼を言われるようなことは、何も」
「言葉では、とても言い尽くせませんけれど、ありがとうございました」
そうやって、深々と頭を下げてから、彼女は今度は問う顔になって、こんなことを言ってきたのだ。
「それであの。…あの時の祖父を負ぶって下さった方にも、出来れば直接お会いしてお礼が言いたいんです。祖父の願いを、少しでも叶えて下さる方を紹介下さったのも、その方だと聞いて」
「…え? 彼、が?」
「えぇ。今、夫と、そのご紹介いただいた方と、もう一人、鳥渡里の昔をよく知ってる若い方とで…。あ、私、先生も御存じのことだとばかり」
ちらり、腕時計を見て化野は彼女を誘い、すぐ傍の公園のベンチへと場所を移した。何もかも知らない事ばかりで、さっぱり事態が分からなかったからだ。
聞けば、ギンコがドラ爺、と名乗る人物に連絡を取り、そのドラ爺と彼女とそれから、造園業を営む彼女の夫と、それへ協力を申し出たイサザとで、これからのことを色々話しているところなのだという。休憩上がりまでの短い時間で、そんなふうに掻い摘んだ話を聞いている途中、二人の目の前に誰かが立った。
「先生、それに瑞希さんじゃないですか」
「イサザ君っ」
「どうしたの、こんなとこで話し込んで。今日先生お休み? ってことはないかぁ」
軽い上着の下は白衣の下に着る服のままで、休日の服じゃない事ぐらいは分るのだろう。化野は思い出してまた腕時計を見て、焦って立ち上った。
「あぁぁ、すみません、休憩時間がもう終わってしまうので、今日はこれで。イサザ君も、またっ」
急ぎ走り出す化野の背中を見送ってから、イサザは瑞希の隣に腰を下ろして、こんなことを言った。
「ね、瑞希さん。週末みんなで、鳥渡里の山に登るとき、もう二人増えてもいいかなぁ。今さっ、そこのレストランでコーヒーしてきたんだけど、自然いっぱいのところを親子で歩きたいって人が居て。五歳の女の子とお母さんなんだよね。瑞希さんも、悠君つれてくるんだったら、いいかなって思ったんだけど」
聞いた瑞希は、笑って頷いた。
「賑やかな方が、祖父も山も喜ぶと思うから、是非」
「じゃあ、予定通り前の日に里代さんと歩いて、道をしっかり確かめておくね。ドラ爺にも参加者増えたって俺から連絡しとくから」
そんなふうにして、また化野の知らないところで、話が良いように動く。縁とはこうして結ばれるものなのかもしれなかった。
「あっ、私、あの白い髪の方の連絡先、先生にまだ聞いてなかったわ。お礼を言いたいのに…」
瑞希が思い出してそう言って、イサザは軽く天を仰ぐ。
「あー、あいつなら俺のダチだけどさぁ、そういうのすっごく苦手なヤツだから、俺から言っとくよ」
言伝でも聞く耳持たなそう、などと思いつつ、イサザはギンコの顔を思い浮かべるのだった。
続
実は試みたい書き方があったんですけど、出来なかったorz この一話で詰め込みたいことが多過ぎたんですよねぇ。次回こそっ、次回こそは化野とギンコを会わせるんだっ。デートして貰うんだっ。そんなことを思いながら、18話のお届けですっ。
2016/06/19
