Flower Flowers 11





 二つ離れた小さな町の、小さな古い映画館。たった36席ばかりの座席を、最後の最後に残らず埋めて、それで開館から50周年の、最後の幕を閉じたいと。

 だから頼む、チラシを配ってくれ。
 あんた凄いんだって、そこのスーパーで聞いたんだよ。
 拙いこんなチラシで出来るだろうか、無理だろうな。
 でももしも出来るなら。もしもやってくれるなら。




「はぁぁ、つっかれた。馬鹿だ、俺、ほんと」

 その日の上映は午後一番からで、最終はレイトショーどころじゃない、深夜を回ったミッドナイトショーの時刻だった。

 そうして最後の最後のそんな時間になっても、結局満席には一度もなれてなくて、たった二つの席を残してしまって。映画は残り30分を切り、あぁ、精一杯やったけどなぁ、って、思ってがっかりしてたイサザは、館長に強引に腕を引かれ、隅っこの席を二人で埋め…。

 名残りの雫が、思い出したようにもう一つ。自転車を漕ぎながらのイサザの頬に滑った。嗚咽しながら泣いてた館長からもらい泣きで、画面のチャップリンが滲んで見えたのまで、また思い出し泣きしそうで逆にイサザは笑った。

 バイト代はほんとに雀の涙ほどだったけど、こんなイイ仕事は滅多にない、なんて思ってる自分にちょっとばかり呆れ、そのちょっと以外の全部で自分が誇らしい。

「へへ。いい夜。いや、もう朝だよなぁ」

 立ちん坊で疲れた足でもうひと頑張り、ぐい、ぐい、とペダルを漕いで、やっと辿り着いた自分のアパートの、自分の窓に。

 明かりが、点いてた。

「え…っ」

 あんまりびっくりして、イサザは急ブレーキ。手入れしたばかりだから、キ、とも言わずに自転車は止まって、もう一度しっかりと見上げた窓に、よく知っている人影が映っていた。

「あー…。先生に…っ。で、でもいくらなんでもこんな時間、電話出来ないじゃないか。なんでこの時間なんだよ…っ」

 小声で悪態吐きながら、イサザはそろそろと自転車を階段下に停め、そろそろと音を立てずに階段を上り、以下同文鍵を差し。なのにそうして泥棒みたいに入って行ったイサザの目の前で、ギンコは何一つ動じずにパソコンを弄っていた。

「……おかえり」

「あぁ」

 あぁ、って言うだけマシなのかもだけど、それ以外言うこと無いのかと掴み掛りたくなる。

「めっちゃくちゃ久し振りだけど、元気そうで、何より」

 言いながら、イサザの目はPCのウィンドウに釘づけになる。美しい写真が、次から次へと表示されてく。何か専用のソフトで表示させてるのか、一枚0.5秒かそこら、それをマウスを操作しているギンコの手が、すっ、すっ、と画像を動かしたままに横のフォルダに、抜き出してる。

「………」

 見るなと言われないので、イサザは黙って見入っていた。綺麗だ、と思う以上の感情が、さっきからずっと彼を揺さぶっていた。其処が、よく知っている場所だったから。ざっと百枚は見ただろうところで、イサザはぽつり、呟いた。

「…鳥渡里」

 マウスを操作するギンコの手が、ぴくりと揺れた。でも動作は止めない。画像も止まっていない。それからさらに50枚は流れて、ラスト一枚が消えて、画面には四隅に見知らぬメニューが並ぶ、イサザの知らないソフトだけが残った。

「そこ、行ってたんだ、ギンコ。…ずっと?」
「知ってるのか?」

 この土地を。

 流れていた画像は殆ど自然の様ばかりで、土地の名を言い当てるのは、よく知っている、ということだろう。

「知ってるよ。子供の頃にね。たまに、父さんに連れてってもらってたんだ。ひとりでも行ったし。凄く好きだったから。でも、ちょっとね、その土地色々あって、もうずっと行ってない。今もそんなふうなんだ。ちっとも昔と変わってない」

 そう言ってから、イサザは少し複雑な表情になって、苦笑する。

「…まぁ、変わってなくは、無いんだろうけどね」

 ダム計画が頓挫して、壊されたままに放置された、かつては平和だった美しい里。イサザはそのことを、少なからず知っている。たった今のその一言だけで、ギンコはそれを察して、そして、何も問わなかった。

「持ち歩くには、メモリがさすがに膨大になったから、ここに入れて、必要なものだけ抜き出しに来た」
「まさかまたすぐ出るの? 二、三日くらい、居ればいいのに」

 そしたら先生に知らせて会わせられるのに、でもきっと止めたってすぐ出掛けるんだろうさ。こいつときたら、まったくとんだ根無し草だ。そんなのもう知ってたけど。でも行く場所が分かったから、充分進歩。化野先生はきっと喜ぶだろうし、きっととても、ほっとする。

「気ぃつけて行きなよ。ギンコ、もう寒いんだからさぁ。あそこはぐるっと山があるから、風はそんな強くないけど、それでも」
「詳しいのか?」
「え? あの里のこと? まぁね。何なら案内しようか? 俺、山道とかも結構知ってるよ。二、三日後だったら、CDショップのバイトも無いし」

 そう言って、なんとか数日引き止める工作に出るイサザを、にこりともしない顔でギンコは眺めて、好き勝手、自分の言いたいことだけを言うのだ。

「渡来川、の上流。行きたいのは、そこだ」

 聞いたイサザは、ほんの一瞬表情を薄れさせた。その脳裏に、今はもういない父親の顔が過る。ついさっき思い出していた、山を一緒に歩いてくれた時の顔とは違う。もっと、もっと暗い顔だ。渡来川。それは、あの里に作られようとしていたダムの水源にあたる川の名だ。

 鳥渡里。渡来川。どちらも大好きな名前だった。好きな里で、好きな川だったのに、父の会社が関わった、あの無茶な建設計画のせいで、イサザの父親にとっても、イサザにとってもその名は複雑な響きを帯びて、それは今も、そうだった。 

「話したこと、なかったし、今も詳しく話したりしないけど、そこね。色々、あった里なんだ。ずっと行ってたんならもう、あの土地の事情は知ってそうだけどさ。父さんね、あの里の人と、自分の会社の側で板挟みで、ほんと、いろいろ」

 はぁ、と、イサザは短くため息ついて、それからにこり、と笑った。過去のことだし、そんな嫌いな土地みたいに、もうあの土地を避けたくないと、改めてそう思ったのだ。ギンコが行きたいというなら、それは、丁度いい転機なのかもしれない。

「いいよ。俺、案内する。でもほんとにちょっと待って。俺もバイトあるし、あの川の上流に行くなら気軽にひょいっとってわけにいかない。いっかい連れてってもらった時、父さんもややこしい地図片手にだったから。…形見、の中身、探してみる」

 そこまで聞いて、ギンコはそれでも留まる気にはならずに、早朝の外へと出掛けて行った。イサザのバイトが休みの日に、また来る、と、そう言い置いていったから。

「約束だからね!」

 イサザはそう言って、朝焼けの背景の中、ギンコを送り出したのだった。




 握り飯が、最近、時々喉に閊えそうになる。高い秋空の下、そんなふうに行った老人に、化野は水筒の温い茶を差し出し、急がないで休みながらゆっくり食べて下さい、と、そう言った。受け取った水筒の蓋を、乾いた唇に当てて傾ける老人。その喉元を化野はそっと見ている。

 咳き込むことなく嚥下しているのを、ほっとしながら見届けて、化野も自分にあてがわれた梅の握り飯を頬張る。

「なぁ、先生」 
「化野です」
「化野先生」
「だから。医者として来てるわけじゃない。プライベートです」

 これはもう、いつもの問答だ。ゆっくり昼飯を食べ終えた老人は、のろのろと背を大地に預け、眩しい空と自分の目の間に、自分の両手を挟んでいる。

「行きたいところがある」
「どこです?」
「川だ。そこの山のずっと、ずっと奥。渡来川…に、行きたい」
「渡来川、ですか」

 渡来川。化野は口の中で、その言葉を大事に転がした。老人の声の響きから、細めた目の奥の表情から、そこがどれだけ大事な場所か分かった。

「行きましょう。近いうちに、きっと」

 だから化野は、そう言った。













 かなり久々のフラワーフラワーズ、です。とても楽しく書きました。無くてよさそうなシーンも、とても楽しく書いたとも! ブランクあるのに楽しく書けるって、素敵なことよ! 続きはあんまり考えていませんで、ぼんやーーーーーーーり、としかね!

 化野もギンコもイサザも出てきて、満足ですっ。ではまた次回。もしかしなくとも来年かもですっ。読んで下さった方、ありがとうございましたっ。



15/11/29